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INTERVIEW

平成医療福祉グループ 代表

内科・リハビリテーション科

武久 洋三

病院経営のカギは「当たり前のこと」にある

31年前、徳島県に60床の病院を開設して以来、各地で病院や介護施設などを運営し医療と福祉を提供することで地域に貢献してきた平成医療福祉グループ代表の武久洋三先生。経営不振に喘ぐ赤字病院をすべて黒字化させてきた武久先生のところには、全国から病院経営立て直しの依頼が絶えません。
武久先生は日本慢性期医療協会会長や日本病院団体協議会議長をはじめ、中医協の分科会委員など数多くの役職を務め、日本の医療のあり方についても提言してきました。70歳を過ぎてもなお委員の依頼が来るのは、「保守的な医療現場では、私のように意見する医師が少ないからだろう」と言います。医療の変革に挑み日本の慢性期医療を切り開いてきた武久先生が、いま若い医師たちに伝えたいことについてもお話していただきました。

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病院のベッドは地域のもの

どうして黙っているのか? それが今の若い人たちに言いたいことです。現在の制度では、自由に病院をつくることは許されていません。私が最初の病院をつくってすぐの昭和60年に第1次医療法改正があり、都道府県が地域医療計画を策定することになりました。医療圏ごとに病床数が設定され、それを超える場合には増床も新設も許可されなくなったのです。つまり、それ以降に医師になった人は勝手に病院をつくることはできないわけです。

地域の中でベッド数が決められているということは、そのベッドは病院のものでも病院長のものでもなく、地域のものです。要するに、地域のベッドをたまたまその病院に預けているというだけなのです。それならば、そのベッドを誰に任せるのが一番良いのかをもっと考えてはどうかと思うわけです。少なくとも、医療に適した人格と技術を持った人にやってもらったほうがいいですよね。

そういう考えがあれば、「うちの病院だからうちの勝手」という発想は出てこないはずなんです。大企業病のようになり組織が硬直化してしまった病院は、このベッドは社会的なものだという意識が薄く、働く人の意欲も低いことが多い。当然、経営もうまくいっていません。

赤字だったり評判が良くなかったりする病院があれば、コンテストをして一番いい人にやらせてみる。そういう制度をつくってくれ、金儲け主義の医療法人になんかやらせるな、と声をあげて市長のところへ談判に行くぐらいのことをしてもいいと私は思うのだけれども、今の若い人たちはおとなしいですね。

診療所をしていればいいとか、どこかに勤めていればいいとか言っても、勤めているのと自分で思うようにやるのとではフレキシビリティが全然違います。IT業界ならば、運と才覚で三木谷さんやホリエモンのように大きく広げていける可能性もあるのに、医療の世界はそれもできない閉鎖的な制度になっているのです。これが意欲のある若い医師の芽を摘んでいると思います。

世の中を変えていくのは、このような規制の枠に収まらない人たちです。自分から行かなければ、ただ待っていてもチャンスは来ません。本気でやろうと思ったらいろいろと経験していくことも大切ですし、そのためには短期目標と長期目標がないとダメです。ただ病院をつくって大きくしたいというだけでは、うまくいきませんからね。30代で何をして、40代で何をして、最終的には何をする、ということを大体でもいいから決めておく。それから、どこかに橋頭堡を築くこと。例えば、最初に人口10万人ぐらいの中小都市で100ベッド程度の病院を手に入れて、地域のための在宅医療も展開する。そのためには48時間働くというぐらいの覚悟は必要です。

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PROFILE

武久 洋三

平成医療福祉グループ 代表

武久 洋三

1966年岐阜県立医科大学卒業。徳島大学大学院医学専攻科修了後、徳島大学第三内科を経て、1984年博愛記念病院を開設。現在は医療法人平成博愛会理事長、社会福祉法人平成記念会理事長等を務め、病院(一般・医療療養・回復期リハ)、介護老人保健施設・介護療養型医療施設、介護老人福祉施設、ケアハウスなどを経営。日本慢性期医療協会会長、日本病院団体協議会議長、厚生労働省社会保障審議会医療保険部会委員、中医協入院医療等の調査・評価分科会委員、中医協慢性期入院医療の包括評価調査分科会委員、社会保障審議会介護給付費分科会委員、地域医療構想策定ガイドライン検討会構成員、経済産業省医療産業研究会委員、経済産業省ヘルスケア産業プラットフォーム推進委員、経済産業省医療・介護周辺サービス産業創出調査事業評価委員、経済産業省次世代ヘルスケア産業協議会委員、日本病院会理事など、多くの公職を歴任。

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