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INTERVIEW

鹿児島県立大島病院

家庭医

森川 博久

家庭医を知ってもらう

家庭医の森川博久先生は医師11年目の時、夢であった南極観測隊への参加を、家庭医として初めて叶えました。その後、奄美大島へ家庭医として移住しましたが、新たな夢を実現するため、全く違った環境に身を置くことを決意します。自らの夢を実現しつつも、家庭医として果たしたいことがあるそうです。

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家庭医初の南極越冬観測隊医師

―現在、どのような環境で家庭医として働いているのですか?

奄美大島にある鹿児島県立大島病院総合内科に勤務しています。家庭医として地域に貢献したいと考え、妻の出身地である奄美大島に2017年5月に移住してきました。ここは350床の地域基幹病院でドクターヘリの拠点となっている急性期病院です。ここで内科医の一員として働いています。ここで働いていると奄美群島全域から患者が来院されるため、島の医療の全体像が見えてきます。いずれは病院を出て地域の診療所で在宅医療に従事したいと考えています。

―奄美大島に赴任前は、南極地域観測隊越冬隊に参加していたと伺いました。なぜ参加しようと思ったのですか?

最初のきっかけは、小学生時代に遡ります。映画「南極物語」を見て南極は過酷だけれどきれいな場所だと知り、いつか行ってみたいと思ったのが初めての南極との接点です。その後、二十歳を過ぎてからバックパッカーで海外を旅するのが好きになり、アフリカも南米も旅しましたが、南極大陸の白い景色を自分の目で見ることは叶わず、南極は行ってみたいと思い続けるだけの大陸でした。

北海道大学に進学すると、教養過程の先生方の中には観測隊で南極に行ったことがある先生がたくさんおられ、南極など低温環境の講義を聞く機会に恵まれました。お話を聞くうちに、観測隊として南極に行く姿を具体的に思い描くようになったのです。しかし観測隊はプロの集団。自分も医療のプロとしてある程度の自信が持てるまで研鑽を積み――ついに、医師10年目で応募。運良く採用されて、第57次南極地域観測隊越冬隊の医療隊員として南極に行くことができました。後方支援病院のない環境で、自分が役に立てることを示したい、というのが最終的な理由です。

―観測隊ではどのような仕事をしましたか?

観測隊には12月から2月までの夏の期間だけ昭和基地に滞在する夏隊と、厳寒の冬を通して1年2ヶ月滞在する越冬隊がいます。越冬隊は約30人。彼らが怪我をしたり病気になったりしたときの対応が主な業務でした。しかし越冬隊に選ばれる隊員は、厳しい健康診断をパスした元気な人ばかり。そのため実際行ってみると、医師として治療する機会はそこまで多くなく、本当の主な仕事は他の隊員の仕事の手伝いでした。ブリザード後の雪かきは、運動不足気味になる南極生活の中で、いいダイエットになりましたね。

一方、医師として一番役に立てたのは、精神面でのサポートだったと思います。太陽が全く昇らない極夜の時期には特に、不眠やうつ症状を発症する隊員もいました。また、30人という小さく閉鎖的なコミュニティで1年以上を過ごすので、過去には観測を放棄して1カ月程引きこもってしまった隊員がいたり、人間関係のトラブルが問題になったりしたこともあったようです。

隊員が心身ともに健康に過ごせるよう、食事の時間など、普段の生活にアンテナを張り、健康問題を見つけ出して早期に介入できるようにしてきました。まさに、家庭医の強みを発揮できたと思っています。

観測隊に選ばれる医師はこれまで、怪我の治療ができる外科系の医師が圧倒的に多かったのです。私を通して、家庭医はどんなことができるのかを観測隊側に知ってもらうことができ、家庭医の有用性を示せたのではないかと思います。実際、任期が終了した時に越冬隊長から「メンタル面のサポートができる医師がいてよかった」と言ってもらうことができました。

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PROFILE

森川 博久

鹿児島県立大島病院

森川 博久

大阪府出身。2005年北海道大学医学部を卒業。北海道室蘭市にある日鋼記念病院にて初期研修修了、国立国際医療研究センターで内科、小児科研修を受ける。その後、千葉県館山市にある亀田ファミリークリニック館山で家庭医療研修を修了。第57次南極地域観測隊越冬隊の設営・医療隊員として2015年12月から2017年2月まで南極に滞在。2017年4月より鹿児島県立大島病院総合内科に勤務。2019年9月からは、在アルジェリア日本大使館の医務官に就任予定。

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