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INTERVIEW

大分大学医学部附属病院総合内科・総合診療科/宮崎医院

家庭医

藤谷 直明

どこでも当たり前に家庭医を目指せる環境を

町の中で人々の生活に寄り添う家庭医。その家庭医になるための研修を若手医師が受けられる環境というのは、これまで限られたものでした。「普通の”町医者”になりたい」と思っていた藤谷直明先生は、そのことに常々疑問を抱き続けていたといいます。

 

近年、急速な高齢化に踏まえて、地域によって異なるニーズに的確に対応できる「地域を診る医師」が必要であるとして、総合診療医を養成する専門医制度が構築されつつあります。国がこのような施策を取るかも分からない頃から、藤谷先生は「普通の”町医者”としてきちんと教育を受けられる場所を地元にもつくりたい」と活動されています。

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1次・2次・3次医療の役割分担をしていきたい

―なぜ家庭医の道を目指されたのですか。

 医学部に入るまでの医師との接点は、風邪を引いた時に診療所にかかるくらいのものでしたので、私にとって医師というと「町のお医者さん」でした。そのため医師になろうと決めた時も、そのままのイメージで「診療所の医師」を目指していました。

 診療所の医師、つまりは家庭医を本当に目指そうと決意したのは、初期研修の時です。病院の先輩医師たちが休みなく忙しそうに働いている姿を目の当たりにしたことがきっかけでした。医師たちがこんなにも働き疲弊してしまうのは、風邪などの1次医療の患者さんから、入院や高度な手術など2次・3次医療が必要になる患者さんまで全て担当しているからではないかと感じました。そのため、「病院の先生には、主に重篤な患者さんを時間をかけて診てもらえるようになってほしい。もう少し役割分担ができないものか」と思っていました。

 プライマリ・ケアの分野を整備し、1次・2次・3次の役割分担がきちんとできればより良い医療が提供できるのではないか。そう考えて、それを実現するために、私は家庭医として頑張っていきたいと改めて思うようになりました。

―家庭医を目指すにあたり、苦労されたことはありますか。

 当時は家庭医を卒業後の進路に選ぶことに対する風当たりの強さを感じていました。医師の間では家庭医という言葉は知られておらず、そのような分野に進むことに対して、批判的な風潮がありました。授業や実習でも家庭医療のことを学ぶ機会はあまりなかったので、漠然としたイメージしかない状態で過ごしていました。

 また、家庭医になるための情報が少ないことにも苦労しました。診療所へ見学に行ったり、先輩に相談したりもしましたが、家庭医になるために、どこでどのように学んでいったら良いのか分かりませんでした。そのうちに家庭医を目指すことが不安に思えてきて、初期研修の頃には、外科と家庭医で進路を迷うようになっていました。先輩医師の多い外科の方が進路としてとても安定しているように見えて、どちらに進もうか随分悩んだこともありました。

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PROFILE

藤谷 直明

大分大学医学部附属病院総合内科・総合診療科/宮崎医院

藤谷 直明

2007年大分大学卒業後、初期研修を大学病院、大分県佐伯市にある南海病院にて学ぶ。その後家庭医を目指し、後期研修を岡山県の奈義ファミリークリニックで過ごす。日本プライマリ・ケア連合学会若手医師部会代表。「クルー100人プロジェクト」を立ち上げ、プライマリ・ケアに興味のある若手医師が学びを深め、連携できるような取り組みに努めている。

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