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初期研修医から自信を持って患者さんに寄り添える仕組みを作りたい

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山形大学出身で医師3年目の山本竜也先生。外科医として歩む前に、総合的に診られるスキルを身につけようと、救急科で後期研修中です。また、若手のための勉強会を主催する「関東若手フェデレーション」の代表も務めています。今後の目標はどのように考えているのでしょうか――。

◆外科医だからこそ総合的に治療できる医師になりたい

―医師を目指したきっかけから教えていただけますか?

高校時代、ラグビー部に所属していて試合の度に怪我をして病院にかかっていたので、いつか恩返しがしたいと思い、医師を目指しました。診療科は、自分で判断して根治できることや、自分が治療したからこそ一生その患者さんに寄り添い続けられることに魅力を感じ、外科に憧れていました。

初期研修先は、東京医科歯科大学。実は、研修先を決めるまでに21カ所の病院を見学したんです。平均見学数が十数件だったのでそれ以上見学したいと思い、一番西は大阪府の病院まで行きました。決め手は自分のことをよく考えてアドバイスしてくださった外科の先生がいたことでした。

―外科医志望の山本先生は、なぜ今救急科で後期研修を受けているのですか?

初期研修中の2名の患者さんとの出会いが転機になりました。外科系にそのまま進みたかったのですが、総合的に診られるスキルを身につけるべきだと思い、セコメディック病院救急科を選びました。

一人の患者さんは、40代女性で小さなお子さんがいらした方でした。入院してきた時にはすでに、がんがかなり進行していて、余命1カ月と言われていました。その方は中国人だったのですが、これまで診ていた日本人の患者さんとは全く違い、「私はまだ死にたくない!」と強い感情をあらわにされていました。初期研修医の私が担当していたので、毎日、そのような感情をぶつけられていました。この対応がとても難しかったのですが、同時に、人によって命の捉え方や病気の受け止め方が違うことを知り、命について深く考えさせられた経験でした。

そして心のサポートができなかったことが、自分としては非常に悔しかったです。やはり医療的技術だけでなく、心も含めたトータルケアが必要だということに気付かされました。

もう一人の患者さんは高齢男性で、細胞診検査で膵臓がん疑いとなった方でした。高齢だったのですが手術でがんを取ったほうがいいと希望され手術をしました。手術自体は成功したのですが、合併症で自ら食事が取れなくなってしまい、数カ月後に敗血症で亡くなってしまいました。結果的にご家族が悔やむ発端となるような手術をしてしまったことや、術後マネジメントに関して心残りな結果となり、自分としては悔やまれることがたくさんありました。

このような経験をして、外科だけではなくその他の診療科についても、最低限の知識をつけ、外科医であるからこそ患者さんを総合的に治療できる必要があると強く思ったのです。

現在勤めているセコメディック病院の救急科では、救急搬送から集中治療、病棟マネジメント、退院まで一貫して関わることができます。集中治療の要素も大きく、救急搬送の患者さんは外科の先生と一緒に治療に当たるので、外科的スキルを学ぶことができます。また、病棟では内科的マネジメントもある程度担っています。外科や内科の先生方は、私が「これは救急科で必要な知識なのです」と言うと親切に教えてくださいます。私が救急科の中で年次が一番低いので、救急搬送患者さんの最初の対応は、ほぼ全て自分が受けているので責任は大きいですが、その分やりがいを持ってスキルアップすることができています。

―後期研修後は、どのようなキャリアを描いているのですか?

外科系の診療科に進もうと思っています。診療科を絞って専門を深めていくことになると思いますが、専門外のことでも最低限のことには応えられ、患者さんに適切な選択肢を提示できるように、スキルアップし続けたいと思います。

そして最終的には、学生時代を過ごした東北を中心に恩返しできる医師になりたいですね。医師としての総合力が求められる地域でもあるので、自分のキャリア志向にも合っていますし、自分の考え方のベースができたのは学生時代を東北で過ごしていたからだと思っているからです。

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医師プロフィール

山本 竜也 後期研修医

1989年生まれ、北海道出身。2010年4月に山形大学医学部入学、2016年3月同大学卒業。初期研修は、東京医科歯科大学医学部附属病院にて修了、現在はセコメディック病院救急科にて後期研修中。

山本 竜也
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