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日本でプライマリ・ケアの価値を示し目指すこと

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医師3年目の島津真理子先生は、幼少期を海外で過ごし、現在は手稲渓仁会病院 総合診療科専門研修プログラムを受けています。日本でプライマリ・ケア医になることを決意した背景には、ある思いがありました。

◆転機

―医師を志した理由から教えていただけますか?

父の仕事の関係で、私は6歳からアメリカ・ニューヨーク州で暮らし、その後、タイ・バンコクに移り住みました。タイで初めて、路上で生活する方々を見て、教育や医療などを平等に受けられてない方々がいることを知ったのです。当時、父は国連職員として働いていたのですが、タイに移住したことで、自分も将来、途上国の人のために役に立ちたいと思うようになりました。

高校生になって、将来の進路について父に相談をした時に「何か1つ資格を持ちなさい」とアドバイスをもらったことから、自分で考えた結果、医師を目指すことに決めたのです。

―海外での生活が長い島津先生。なぜ日本の医学部に進学したのですか?

理由はいくつかあります。1つは、自分の生まれた国で暮らしてみたいと思ったこと。もう1つは、日本の医学部が、卒業までの期間が最も短かったからです。高校は、慶應義塾ニューヨーク学院(アメリカ・ニューヨーク州)に通っていたので、慶應義塾大学医学部に進学しました。

―日本での生活はどうでしたか?

色々な意味で日本の医療に衝撃を受けました。そして、日本の医学部に進学したことが、自分のキャリアパスを考える際の大きな転機になりました。

まず、例えば自分が腹痛のときに、何科を受診しなければいけないかを、自分自身で考え決めなければいけないことに驚きました。他にも、日本で暮らす祖母が認知症になった時に、祖母が今後、どういう医療を受け、どこで過ごすかなどを家族が決めなければいけない現実に直面しました。

日本には国民皆保険制度という素晴らしい制度があるので、これまで私が暮らしてきた国よりも医療や介護、福祉などが充実しているのかと思っていましたが、全然そんなことはなく、国民皆保険制度を全く有効に使えていないことを目の当たりにしました。

そこで、まずは自分が生まれた国である日本で医師として働いたほうが、結果的に良いのではないかと考え、日本で医師としてのキャリアを積むことを決めました。

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医師プロフィール

島津 真理子 後期研修医

幼少期をアメリカ、タイで過ごし、慶應義塾ニューヨーク学院を卒業。2010年慶應義塾大学医学部に進学、2016年同大学を卒業。手稲渓仁会病院にて初期研修を修了し、現在は同病院総合診療科専門研修プログラム1年目として、手稲家庭医療クリニックにて研鑚を積んでいる。

島津 真理子
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