医師不足の解消を目指した制度作りを
―現在、政治家としてどのような活動をされているのでしょうか?
2017年に衆議院議員になってから力を入れて取り組んでいるのが、医師不足の対策です。私の地元の茨城県は、人口あたりの医師数が全国ワースト2位。医師不足は全国的にも問題となっていますが、医師が都市部に集中し、偏在していることによって引き起こされています。そこで行政が取り組んでいるのが「医師確保計画」です。厚労省にいた頃から私も携わっている計画で、昨年法案が成立し、今年1年間をかけて都道府県ごとの計画を立てているところです。
医師確保計画では2次医療圏ごとに必要な医師の数を明確にし、その数の達成を目標に取り組んでいきます。それと同時に医師が過剰な地域に対しては、医療の需要を把握できるようにデータ化する「外来医療の見える化」も進めています。例えば、「港区には心療内科のクリニックが多い」と分かれば、開業する際の地域選定の参考になります。データをもとに医師が自分で選択できるようにしている点がポイントです。
―茨城県でも医師の偏在は深刻な問題ですよね。
つくば市など南部エリアには医師が集まりますが、北部エリアは医師の確保が難しい状況です。その打開策として国が取り組んだのが、臨床研修制度や専門医制度の改定です。例えば、筑波大学で臨床研修や専門医プログラムを選択した場合、一定期間は医師が不足する地域で研修を受けてもらうようにする体制が整ったのです。そうすることで、医師不足が解消されると同時に、研修医にとっては総合的な臨床能力を身につけられるメリットがあります。
もう1つ、筑波大学でも取り入れているのが「地域枠」の学生の募集です。奨学金制度の一種として研修後9年間は茨城県内の医師不足地域で臨床をしてもらう制度で、同大学でも140人の定員のうち約40人は地域枠の学生です。4、5年後には、地域枠を使って臨床に携わる医師が300人を超えますので、その人員によって医師不足地域の医療は満たされるでしょう。そうした取り組みの成果もあり、へき地医療に興味を持ってくれる若い医師たちも徐々に増えてきています。
医師不足は、現場で働く医師の力だけでは解決できない問題です。そうした問題を、制度や仕組みづくりによって解決していく。そこに政治家としてのやりがいを感じています。
医師から政治家へ、広がる視野
―そもそも先生が医師を志したきっかけを教えてください。
母が薬剤師だったこともあり、もともと医療は身近な分野でした。医師になろうと決心するきっかけになったのは、高校時代に同じ柔道部だった友人が練習中に大きなケガをしたこと。麻痺が残り苦しんでいる姿を見て、自分に何かできないだろうか、と思うようになったのです。ちょうど試験問題で読んだ『遠き落日』の影響を受けて、アフリカで医療活動に尽力した野口英世の生き方に興味を持ったのも同じ頃。熱帯病の研究に力を入れていた長崎大学を志望したのもそのためです。
長崎大学に入学してからは熱帯病の研究に夢中になりました。夏休みには途上国の医療を見るために、アフリカや中東、東南アジア、南米に行きました。熱帯医学研究会というサークルを立ち上げ、マラリヤや住血吸虫症の研究をしている先生を手伝いながらフィールドワークを実践。ガーナにあった野口英世の研究所も訪問し、まさに夢に描いていた世界を突き進んでいたのですが、途上国を頻繁に訪れるうちに少しずつ気持ちが変わっていきました。
貧しい国では、疾患予防のために「汚い水を飲まないでください」「薬を飲んでください」と言っても、なかなか生活習慣としては取り入れてもらえません。貧しさゆえに知識がなく、薬を買うこともできない状況なのです。そうした現実を目の当たりにして、疾患そのものよりもその背景にある社会構造に目が向くようになりました。
―その頃から政治に興味を持たれていたのでしょうか?
当時は政治家になりたいとはまったく思っていなかったのですが、社会構造を変えるために政策に関わりたいという気持ちはありました。大学4年生の時に、厚労省の医系技官の方が講義をしに来てくださったのですが、それがとても面白く、将来の選択肢として厚労省への入職を考えるようになりました。また、研修医として救急医療やへき地医療に関わった経験も、その後の進路に大きく影響しています。
特に救急の現場で児童虐待を受けた患者さんを診療したことは、強く印象に残っています。日本にも弱者の社会構造が生まれているのだと、ショックでしたね。私がアフリカで見た世界に似ている、と感じたのです。「お子さんにちゃんとご飯を食べさせてください」と家族を責めるのではなく、その背景を考えて支援してあげなければならない。医療だけではなく、社会や経済状況を支える政策を行わなければ、社会的に弱い立場の人たちを助けることはできないと思いました。
―その後、厚労省へ。医系技官としてどのような取り組みをされていたのでしょうか?
診療報酬の改定や介護保険制度の見直し業務などに携わっていました。介護保険制度の見直しでは、介護予防のサービスを新たに組み込むなど、現場の意見を聞きながらより適切な保険制度になるように制度を整えていきます。専門医の研修をプログラム制にする専門医制度や、総合診療専門医の立ち上げにも担当として関わりました。総合診療はこれからますます需要が高まる分野です。そのため専門医として位置づけることで、国内に広く浸透することを目指しました。臓器ごとの縦割りの診療科では、各分野の医師がそれぞれ1人ずつ必要だったところ、総合診療医であれば全体を2人で診ることができますので、医師不足の対策にもつながります。
厚労省に入職してからは、臨床医だった時には見えなかったものが見えてくるようになりました。その一つが財政問題です。高齢化と高額な薬剤の開発によって、医療費は年々高くなっています。今後、その流れはますます加速するでしょう。医療を提供するためには、財政を考えることが欠かせません。さらに、財源を確保しながら社会全体の活力を維持するためには、経済力もなければならない。それまでは医療ことばかりを考えていたのですが、財政や経済といった医療の背景にあるものに目を向ける必要性を感じるようになり、解決に向けて動くためには政治の道しかないと思うようになったのです。
子育てとの両立でもキャリアップを諦めない
―今後の展望をお聞かせください。
持続可能な医療制度と社会保障制度を作っていきたいと考えています。本当に必要なことは公的にサポートしながら、民間の医療関連サービスの力も借りていくこと。私たちはそのための支援をしていきます。また茨城県での取り組みとしては、医師の偏在を是正することと、財源を確保するためのイノベーションを推進していきたいです。つくば市には国立と民間の研究所が多くあり、イノベーションシティとしても知られています。医療費が抑えられる薬品や医療機器の開発に力を入れていますので、そうした開発への支援も今後は重要です。
高齢者や認知症患者がベッドから転倒するのを防ぐ「見守りセンサー」のようなデバイスや、医師が自宅でも検査画像を診ることができるシステムなど、IoTの活用は医療業界の人手不足の解決に欠かせません。今後はつくばが発信する技術を全国に、そして世界に広げていくことが目標です。
―女性が政治の世界で働くことについてはどのようにお考えでしょうか?
厚労省や政治に興味を持っていても、「女性でさらに子どもがいて、しっかりとやっていけるのだろうか?」と不安を抱く方は多いと思います。そうした質問をされることもありますが、「私にできたのだから大丈夫」といつも答えています。女性であることや子育てを理由に、諦める必要はありません。私の場合、キャリアを築くことと子育てはどちらもやりたいことでした。そこで、私が実践したのが、仕事の仕方を工夫すること。通勤時間にメールを下書きして、職場に着いたらすぐに送信。業務のクラウド化を進めて、徹底的に時間あたりの生産性を上げるようにした結果、20~30%は時間を短縮できました。
私と同じように小さな子どもを育てている女性議員はまだ数えるほどしかいませんが、やりたいという思いがあればぜひチャレンジしていただきたいです。医師にしても政治家にしても、キャリアを諦めずにステップアップを目指してほしい。専門職のキャリアアップとワークライフバランスは、必ず両立できると思います。
―最後に、若い先生方へメッセージをお願いします。
私が政治家を目指そうと思ったのは30歳を過ぎてからです。それまではまったく想像していなかったのですが、その時々に真剣に考えたことが次のステップにつながりました。人生は一期一会。若いうちは出会った人とのご縁を大切にして、自分の持ち場で真剣に取り組んでいけば、自然と自分の道が見つかるでしょう。そして志を立てたら、その道に向かって一生懸命頑張ること。若いうちに、興味のあることを突き詰めていく経験も大事です。
私自身、途上国医療や熱帯病研究を突き詰めていったからこそ、政治家の道にたどり着いたのだと思います。大学時代の恩師からは「社会性を身につけろ」とよく言われていたのですが、そのために学生時代にはさまざまな人が集まる“おふくろ居酒屋”でアルバイトをしていました。実はその時の経験が、今1番役に立っています。私が居酒屋で身につけた、相手の背景にあるものを想像しながら話をする能力は、医師にも政治家にも求められているからです。医療だけでなく他の分野にも目を向けながら、幅広く経験を積んでいってほしいと思います。
(インタビュー・文/安藤梢)※掲載日:2020年1月7日