在宅診療を通して医師が見たもの[2]
記事
死ぬのは悪いコトじゃない。若い人が死ぬのは悲しい。子が親より先に死ぬのは悲しい。幼なじみに死なれるのは悲しい。
死別という言葉がありますが、死は、いつかは必ず訪れる大切な人との別れです。お釈迦様も「生老病死」といって、死を人生における避けられない苦しみの一つに数えていらっしゃいます。だけどさけられないからこそ、死を受け入れて心の準備が必要なのではないか。避けて通れないからこそ、正面から向き合うべきではないか。
見えないものは怖いものです。死後の世界への恐怖は、地獄という形で洋の東西を問わず語り継がれています。黄泉の国へ死に別れた妻に会いに行き変わり果てた姿に恐怖するストーリーは、古事記にもギリシャ神話にも登場します。死後の世界は見えないが、死は見えるのです。
草木がしおれるように命枯れて、息を引き取ったお年寄りの死に顔は穏やかなものです。まるで仏様のよう。心からそう思い、手を合わせます。
中学の読書感想文の課題で井上靖(1907-1991)の『しろばんば』を読んだことがあります。当時は何も印象に残らなかったのですが、最近読み返してハッとしました。作者の幼少時を振り返った小説の中で、登場人物の死が日常の出来事として語られているのです。
日本では、戦後の数十年、お年寄りが病院で死ぬのが当たり前の時代になりました。老いることや死ぬことは病気ではありませんが、やはり具合が悪くなると医者にかかりたい、家族としても医者に診せたいと思うのは当然です。
しかし死を生活から遠ざけてしまう事で、病院が現代の姥捨山になってしまってはいないか。病院に入ってから死ぬまでの期間をどのように暮らせばよいか、我々は当事者意識を持って考えられているのか。経済最優先の社会は、お金を稼がないお年寄りにとって生きづらいのではないか。
医者として働きながら、このように考え込んでしまうのは、私だけではないと思います。
(年末に当直応援に入った高野山で明日香村診療所の武田以知郎先生と)
前の記事はこちらへ[1]
医師プロフィール
川島 実 総合診療医
京都大学医学部医学科卒業。在学中にプロボクサーデビューし西日本新人 王(ウェルター級)に輝く。29歳でボクシング引退後、自給自足生活を求めて奈良へ移住。奈良→京都→沖縄→山形の病院で医療経験を積み。震災直後から、 山形から宮城県気仙沼市立本吉病院へボランティアとして通う。2011年10月同病院の院長に就任。2014年3月、同病院を退職し、現在はフリー。