医療での国際協力と日本の展望[1]
記事
アジアで医療をはじめて20年以上が過ぎ、その間に日本やアジアを取り巻く情勢は大きく変わってしまった。かつての援助国と被援助国という構図は、もうすぐなくなるかもしれない。
アジア各国から日本にやってくる看護師たちは、今は金銭的・待遇的なものを求めてやってきているが、将来は日本の医療過疎を助けるという大儀を背負ってやってくるかもしれない。
医療分野では、日本の先進的医療を途上国へ輸出する現在のやり方は、ほぼうまくいかないだろうと思う。何もかもがオーバースペックな日本の医療は、途上国ではさまざまな弊害を生み出す。
国民皆保険をすばらしい制度だと思っているのは、少なくとも日本の役人だけかもしれない。大借金をして何とかまわしている制度など、アジアの国々では到底、現実味がない。しかし、もっとスペックを落とし、治療範囲や保険適応の範囲を絞り込めば現実味はあるのかもしれない。近い将来日本の医療保険もそうならざるを得ないと思う。
海外医療支援といえば政府や国連機関を中心とする「保健」であり、20年前は「医療」での支援は時代遅れだと散々言われたが、これからは医療面での支援の比重も大きくなってくるかもしれない。今後、医師たちが行う医療支援は、直接的な医療行為よりも技術移転や技術交流という場に集約されていくように思う。
社会が医療をサービスだととらえ始めると、俄然、日本の看護師たちのアジアでのニーズが高まることになる。看護のレベルはその文化に根ざしているので、日本人看護師はアジア各国で大活躍することだろう。アジアの国々の看護に対するあり方を目の当たりにしてきたが、日本の看護師たちは最も安定的に患者に精神的安寧を提供していたと思う。丁寧さと包容力においては、今のところ群を抜いている。貧富を問わず、人が求める看護師像の理想に最も近いのではないだろうか。
医療者のチャリティーに対するトレンドは、東日本大震災を契機にすっかり変わった。これをどれくらいの人が感じているだろうか? 多くの医療者が、そういう活動も国内外を問わず自分のやるべき大切な役割なのだと認識したのも大震災だった。いまや東北の三陸地域からも多くの医療ボランティアがアジア各国にやってきている。
日本各地で大きく増えたDMATという組織は、その多くが派遣の機会なく訓練ばかりの現実もある。そういう組織が2年に1度は起こるだろうアジアでの大災害に出動できるようなスキームを生み出したい。
医療者個人にフォーカスすれば、医療者が訴訟対策ばかり気にして医療を行っている世界ではなく、患者やその家族と医療者との信頼関係だけが担保の医療活動を行うことでまた医療者として、人間として、再充電ができるのかもしれない。
オーバースペックな医療をそぎ落とす必要があるのは機器だけの、保険制度だけの話ではない。患者と医療者との関係性もそうあるべきなのだ。
やがて海外から逆流するような形で、日本のスペックは徐々に是正されていくと思う。その大きな流れの中に私たちの存在もまたあるのだと認識している。
医師プロフィール
吉岡 秀人 小児科
特定非営利活動法人ジャパンハート 代表
1965年大阪に生まれる。大分大学医学部を卒業後、大阪、神奈川の救急病院で勤務。1995~97年にミャンマーにて医療活動を行う。一度日本に帰国した後、2003年から再びミャンマーへ渡り、2004年に国際医療ボランティア団体ジャパンハートを設立。2008年にNPO法人格を取得、ミャンマーの他にカンボジア、ラオス、フィリピン、インドネシアで医療支援活動や現地人医療者の育成、災害時の救援活動などを行い、また日本では、東日本大震災での被災地支援や心のケア活動、へき地・離島への医療人材支援、小児がんの子どもとその家族を応援する「すまいるスマイルプロジェクト」などを行っている。