がんを早期発見して治せる病気に
現在行っているのはどのような研究ですか?
メインは、がんの診断と治療です。がんが発生するメカニズムの解明を行ったり、がんを早期に発見する方法や新しい治療法を開発したりするだけでなく、基礎研究の成果を臨床で応用するための研究や社会医学的な研究も行っています。
○京都大学大学院 医学研究科 腫瘍薬物治療学講座/京都大学医学部付属病院 がん薬物治療科
http://oncology.kuhp.kyoto-u.ac.jp/
がんを早期に発見する方法には、どのようなものがありますか?
新しく開発した診断技術の一つは、吐いた息で食道がんになりやすい体質かどうかを調べる方法です。お酒が好きという人は多いと思いますが、お酒を飲むと体内でアルコールが分解されて、食道がんなどを引き起こす発がん物質であるアセトアルデヒドになります。このアセトアルデヒドは、アルデヒド脱水素酵素2型(ALDH2)という酵素によってさらに分解されるのですが、持っている遺伝子によってこの酵素の活性が強い人と弱い人がいます。ALDH2の活性が弱い人では、アセトアルデヒドが分解されにくく溜まりやすいので、がんになるリスクが高くなります。
新たに開発した方法では、微量のアルコールを飲んで、呼気を測定するだけでALDH2の活性が強いか弱いかを判別することができます。現場で安く簡単にがんになるリスクを発見することができるので、検診などにも広げていきたいと思っています。
開発中の新しい治療法についても教えていただけますか?
一つには、光線力学的治療法(PhotoDynamic Therapy:PDT)という、エネルギーの低いレーザーを照射する方法を応用した、食道がんの治療があります。
進行した食道がんの患者さんに化学放射線療法(抗がん剤と放射線を組み合わせた治療法)を行っても、がんがなくならずに残ってしまう場合があります。この患者さんに、残ったがんを取る手術をすると10人に1人は命に関わる合併症を起こすことがあります。手術の代わりに従来の抗がん剤治療を行っても、治る人は0%です。ところが、このような患者さんにPDTを行うと、8割以上の患者さんでがんが消えて治るという結果が得られています。
実際には、このケースに該当する患者さんはそれほど多くはありません。たくさんの患者さんを救える治療法ができれば画期的ですが、がん治療の領域では、少数でも効果のある集団を見つけ出し、それを積み重ねていくことで全体の成績が良くなってくる、というように少しずつ進歩してきています。
がんで苦しむ患者さんに新しい医療を届けたい
今後目指しているのはどのような治療ですか?
今やろうとしているのは、10年先や20年先を見据えた新しい医療をつくっていくことです。医学生や若い医師は「患者さんから学べ」と教育されるものですが、それぞれの医師が一人一人の患者さんを診ていたとしても、私が診た患者さんのことを他の病院の先生は知りません。でも、今は電子カルテが導入されてあらゆるデータを記録することができるようになっています。ある治療をして効果があった人、なかった人、副作用が出た人、出なかった人など、患者さんのデータをたくさん集めて蓄積していけば、1例1例の経験が、何千例、何万例という経験になります。その経験を参照して活用できるようになれば、より効果的で副作用の少ない治療法を選択できるようになると考えています。
そうなれば無駄な治療を回避することもできるので、患者さんがよりよい治療を受けられるというメリットがあるだけでなく、医療費の削減にもなります。医師不足に悩む僻地の病院で専門医がいなくても、蓄積されたデータから「この患者さんは急変しそうだ」ということがわかれば、設備の整った都市部の病院に紹介したり、専門の医師に相談したりすることができるようになり、医療の均てん化にもつながります。
京都大学ではどのような取り組みを行っているのですか?
京都大学では、電子カルテの情報を研究に利活用できる形でデータベース化するインフラをずっと前から作ってきています。それを活用して、がん患者さんの診断から治療経過に至るまでのカルテ情報や、治療前後の血液やがん組織の一部などを時系列で収集し、将来の研究に使えるようにする仕組みとして「キャンサーバイオバンク」をスタートさせました。遺伝子情報を含む膨大な医療情報を統合して解析することで、患者さん一人一人に最適な治療を提供する次世代の医療を開発することを目指しています。
○京都大学医学部付属病院 キャンサーバイオバンク
http://www.cancer.kuhp.kyoto-u.ac.jp/cancerbiobank/
ほかにも、データベースなどの情報を使って行っている研究はありますか?
日本全体のがん治療の実態を把握して新しい医療につなげていきたいと考え、レセプト情報を使った研究なども行っています。レセプト情報は解析がすごく大変で、非常に苦労しています。そのままではデータとして使えないので、まずは研究に使える形につくり直さないといけません。データとして利用できる形にするノウハウをまとめれば、ほかの人もこのような情報を使えるようになると思うので、まずはそこから始めています。
日本は社会全体で何かをするということに対しては、遅れている印象があります。各大学に医療政策の講座ができたりして動き出している面もありますが、大学はまだまだ研究が中心で、社会全体をなんとかしようという機運にはなかなかなっていません。
医療情報を使って新しい医療を開発したり、政策に反映したりビジネスに展開したりしようとすると、それに反対する人も出てきます。でも誰かがやらないといけないし、大学のようなところにいる自分たちが問題を解決していかなければならないと思っています。誰かが動き出さなければ、新しい医療は絶対に生まれてきませんから。
地方の医科大学から京都大学の教授に
どのような考えを持ってここまで来られたのですか?
今はがんがメインですが、最初は免疫の研究をしたいと思っていました。しかし実臨床のことを知らないまま研究をしても何が問題かわからないのでよい研究にはつながらないだろうと考え、福島県立医科大学を卒業した後は地元の市立病院に勤務しました。その後、非常にお世話になった先生がいた国立がんセンター東病院(現:国立がん研究センター東病院)に移り、昼間は診療をして、夜に研究をするという生活をしていました。
大学の医局にいた人たちからは「好きなことやっていいなあ」と思われていたと思います。私は医局にとらわれているというのがあまり好きではなかったので、自分がやりたいことをちゃんとやって実力があれば、どこでもひろってくれるんじゃないかという考えで飛び出しました。当時は医局に入るのが当たり前の時代だったので、こういうのは珍しいほうかもしれません。
国立がんセンター東病院は、診療科や研究所との間に垣根がなくアットホームな雰囲気で、仕事も研究もしやすく非常によいところでした。このままここで頑張っていこうかなと思っていたら、京都大学にがんセンターができるということで声を掛けていただいたのです。
京都大学に来るまでは「国立がんセンターだから好きなように仕事ができるんだ、大学ではできないよ」「がんの臨床をするのに、なぜわざわざ京大にいくのか?」など、いろいろなことを言われました。もちろん国立がんセンターは「がん」しか扱っていないので仕事がしやすかったのですが、「本当に大学でできないのか、自分の目で確認して試してみよう」と思いました。「失敗してもいいや、自分さえしっかりしていればどこでもやっていける」と考えて飛び込んだのです。
実臨床に役立つ研究こそ意味がある
研究を行ううえで大切にしていることは何ですか?
特に意識しているのは、日常診療で疑問に思っていること、困っていることに対する研究をして、実臨床にフィードバックするということです。教室のスタッフにも「実臨床に役立つ研究をしなさい」とよく言っています。
はやりの研究に行ってしまう人も多いですが、私はそこにはそれほど興味はありません。はやりの研究は必ず誰かがやるから、絶対に結果は出ます。それなら誰もやらないことをやったほうが面白いと思うんです。新しいこと、実臨床で役に立つことをやるところに医師としての面白みがあり、役割があると感じています。
呼気でがんのリスクを判別する方法にしても、PDTを応用した治療にしても、たぶん同じことをやろうとした人はほかにもいたと思います。そこに何か違いがあったとすれば、研究としてデータを出すことはもちろん、最終的に実際の現場に届けるところまでやれているかどうかだけだと思うんです。要は、突き詰めていく行動力ですよね。
そこには明確なリサーチクエスチョンやクリニカルクエスチョンが必要だと思います。私自身も疑問があやふやなときにはうまくいかず、途中で頓挫したものもいっぱいあります。
それでも研究を続けるのは、やはり研究のための研究では終わらせたくない、現場に貢献したいという強い思いがあるからだと思います。原動力になっているものがあるとしたら、「目の前の患者さんをなんとかしたい」という気持ち、それだけですね。