coFFee doctors – ドクターズドクターズ

INTERVIEW

Barefoot Doctors Group代表

医師・社会事業家

林 健太郎

「Medicine Man(バランスを取る人)」としての挑戦

研修時代に遭遇した医療過誤事件や「9.11」をきっかけに「戦場・災害現場で何が起こっているのかを、自分の五感で確認したい」と、国境なき医師団の活動へ参加した林健太郎氏。ミャンマーやイラクなど国内外で医療支援に携わったのち、現在は「八角平和計画」を遂行中です。ミャンマーでタミフルの原料となる香辛料「八角」の栽培に成功し、タミフル中間体である「シキミ酸」を八角から抽出する特許技術を開発、この技術で八角の大量生産地べトナムでの産業化に挑戦しています。最終的にはインフルエンザパンデミック対策として廉価にタミフルを製造・備蓄を行い、八角・シキミ酸の生産地域、国、そして世界平和の構築を計画するプロジェクトです。どのような経緯で「八角平和計画」を始めたのか、原動力はどこにあるのかなどについて伺いました。

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◆ミャンマー・日本の課題感から始まった「八角平和計画」

―現在の活動について教えてください。

ミャンマーの山岳少数民族やベトナムの製薬・伝統医療薬品業界、沖縄の研究者、日本ジェネリック医薬品・バイオシミラー学会の方々と共に、「八角平和計画」というプロジェクトを進めています。「八角平和計画」とは、タミフル(原薬名:Oseltamivir)の元となる香辛料「八角」を栽培・収穫し、中間体である「シキミ酸」を抽出、インフルエンザパンデミックに備えて廉価にタミフルを作ろうという計画です。というのも、2023年に第三世代のタミフルの特許が切れ、ジェネリック医薬品としてさらに廉価に製造が可能となり得るからです。この計画の根幹には、「シキミ酸」とその原料である「八角」の不安定供給及び価格の乱高下への問題意識があります。

3年前から八角の結実が確認できていたのですが、コロナ災禍による移動やロジスティックの制限や、2021年に勃発したミャンマー内戦によって植林地エリアで戦闘が激化し、手入れができない状況が起きています。しかし収穫できている地域もあるので、そこはなんとか続けて、雇用や収入の創出につなげていきたいと考えています。

―どのような経緯で「八角平和計画」の活動を始めることになったのですか?

2008年ミャンマーで、一晩で15万人が亡くなるサイクロン「ナルギス」が発生しました。その数年前に、国境なき医師団のメンバーとしてミャンマーでの医療支援活動に従事した経験があったので、「ナルギス」の人道支援活動を独自に始めました。2010年には、被災地復興支援・移民被災者復興支援を始めるため「一般社団法人 Barefoot Doctors Group」という団体を設立。翌年に東日本大震災が発生し、一時、日本での被災地支援活動をしていましたが、その後、日本財団とミャンマー医師会の共同事業である「ミャンマー少数民族元紛争地域プライマリ・ヘルス・ケア振興プロジェクト」の顧問を依頼され、ミャンマーでの活動も再開しました。

このように20年近くミャンマーに関わり続けている一方で、東日本大震災後、国立保健医療科学院 健康危機管理研究部に客員研究員として所属し、日本の保健医療行政職員(各地保健所長や都道府県・市町村の災害医療対策責任者)に対して、スフィアプロジェクト(SPHERE Project)を中心とした災害対策・教育を広めると共に、国内外、特にASEANの健康危機管理問題やパンデミックも含めた災害に関する研究を行っていました。

その中で、日本の医薬品製造業界の脆弱性、特に感染症に関する医薬品の供給体制が危機的状態にあると感じていて、日本の課題、ミャンマーの課題の両方の観点から「八角平和計画」を始めました。

(SPHERE Project:https://www.janic.org/activ/earthquake/drr/sphere/sphere_project.php

(スフィアハンドブック:chrome-extension://efaidnbmnnnibpcajpcglclefindmkaj/https://jqan.info/wpJQ/wp-content/uploads/2019/10/spherehandbook2018_jpn_web.pdf

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PROFILE

林 健太郎

Barefoot Doctors Group代表

林 健太郎

Barefoot Doctors Group((一社)Barefoot Doctors OKINAWA、(一社)東日本大震災被災地域における地域の医療を守る会、(INGO)Barefoot Doctors Myanmar、(株)Barefoot Doctors OKINAWA/Japan、(株)Barefoot Doctors Vietnam(ベトナム法人))代表、医療法人同善会理事長

東京都出身。琉球大学医学部を卒業後、沖縄県内で麻酔科医師として臨床に従事。その後、日本医科大学に所属し、救命救急に携わる。30歳で国境なき医師団に入り、ミャンマー・ナイジェリア・イラク・スリランカ・大阪野宿者医療などの活動に従事。東日本大震災発生時は、東日本大震災支援プロジェクト(PCAT)本部で陣頭指揮に当たる。現在はBarefoot Doctors Groupの代表、日本ジェネリック医薬品・バイオシミラー学会原薬分科会委員として主に、ミャンマーでタミフルの材料となる八角を栽培し、ベトナムで中間体「シキミ酸」を抽出、インドでタミフル原薬を製造するプロジェクト「八角平和計画」を推進する。

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