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INTERVIEW

琉球大学 形成外科 / 中頭(なかがみ)病院 形成外科 / 株式会社Grancell

形成外科、美容外科

野村 紘史

イノベーションで、世の中をプラスに変える

ハーバード大学のチャールズ・バカンティ教授が成功させた「軟骨細胞を培養し、生きたネズミの背中に人の耳を創り出す」再生医療の研究に心を動かされ、形成外科を目指した野村紘史先生。「乳房再建」を先進的におこなっていた中頭病院に手を挙げて入り、再生医療による治療法を深く学ぶためにボストンの大学へ留学。帰国後は、培ってきた特殊な手技や、最先端の再生医療の知識を活かし、臨床、研究そして産業化の推進など、多岐にわたる領域でさまざまなことに取り組んでいます。野村先生がその活動を続ける真意とは、そして今後目指すことは――

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「再生医療」という言葉の呪縛を解きたかった

―現在の取り組みについて教えてください。

臨床の傍ら、2016年10月より琉球大学 形成外科に非常勤医師として、再生医療の研究に取り組みながら、それを産業化につなげるコーディネート業務などを行っています。

2017年2月には、再生医療研究を基にした幹細胞化粧品(ローション、エッセンス、マスク)を製造・販売する、株式会社Grancell(グランセル)を立ち上げ、代表取締役に就任しました。

また、Grancell(グランセル)としては化粧品以外にも、沖縄県から委託を受け、医療機器イノベーション人材の育成プログラムの企画・運営にも携わっています。これは、スタンフォード大学ポール・ヨック博士らが開発した、デザイン思考を医療機器開発に応用した「バイオデザイン」と呼ばれるプログラムがベースになっており、隠れた医療のニーズを見出し、アイデアをビジネス創出につなげる実践的なものです。企業を立ち上げた年に本場シリコンバレーまで学びに行きました。

沖縄では、産業の創出が課題で、観光サービス以外はなかなか育っていません。そこで、大きな市場をもつ医療機器分野にも白羽の矢が立ったのです。ただ現状は海外メーカーの寡占状態で、日本全体としては毎年8000億円の貿易赤字が続いているという難点もあります。しかし、アイデア一つで優れたイノベーションが創り出せる可能性も秘めており、この実践的なプログラムを通じて医療機器産業の集積につなげ、沖縄県の産業の柱にしていきたいと考えています。3年間のカリキュラムになっていて、これまでに35名が受講し、ITやCAD関連など、医療とは直接関係のない企業の参加も多いです。

社会医療法人敬愛会 中頭 (なかがみ)病院では形成外科医として主に乳房再建術に携わっています。また、美容外科ではボストンでの留学時代に修得した「ボディーコンツーリング サージェリー」という手技を使って、年齢や体型の変化による皮膚のたるみ(余剰な皮膚)やを切除したり、日常生活に支障を及ぼすレベルの巨大な乳房を縮小する手術などもおこなっています。「ボディーコンツーリング サージェリー」は、欧米では認知されており、例えば、妊娠・出産後に、お腹がたるみ、崩れた体型を元に戻す手術「マミーメイクオーバー」もこの一種です。また、沖縄県は全国的にも肥満率が高い傾向なので、最近では肥満治療も増えています。

―「再生医療」の研究を産業化につなげるアイデアはいくつかあったとお聞きしていますが、その中で「化粧品」を選んだ理由はなぜですか?

大きく2つの理由があります。1つ目は、私たちが発売を考えている幹細胞培養液の化粧品は既に他社で製品化されており、明確にニーズがあること。もちろん、既存の製品とは差別化を図るため、他社では国外産のヒト幹細胞培養液が使われていることが多いので、Grancell(グランセル)では原料から全て国内製造で、安全性と品質管理にこだわり製造しました。

2つ目は、「再生医療」という言葉の呪縛を解きたかったからです。「再生」は生物が備え持つ自然現象ですが、「再生医療」という言葉により、無意識にフィールドが医療に限定されてしまっています。言葉によって、他の可能性がシャットアウトされて、利用できる分野が狭められてしまっている。化粧品にしたのは、そこに対するアンチテーゼでもあります。たとえば、化粧品に入っているサイトカイン(細胞から分泌されるタンパク質)の効果につながる新たな事実が、この製品から分かり、そこから医療業界に対してインパクトを与えられれば、面白いと思いませんか。

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PROFILE

野村 紘史

琉球大学 形成外科 / 中頭(なかがみ)病院 形成外科 / 株式会社Grancell

野村 紘史

鹿児島県出身。2001年東京大学医学部を卒業後、同大学附属病院、自治医科大学 外科、形成外科にて研修を行う。2005年より中頭病院形成外科部長として赴任し、乳房再建技術を学ぶ。2008年東京大学の関連病院に籍を移し、 医局長としてチームマネジメントなどに携わる。2013年には再生医療の研究をさらに深めるためにボストンの大学に留学。その間に別に2つの病院へもアプライし、ボディーコンツールという特殊な臨床技術も修得。2014年に帰国後は、中頭病院や美容外科クリニックにて形成外科・美容外科医師として従事。2016年からは琉球大学医学部 形成外科にて非常勤医師としても勤務。2017年に琉球大学発のベンチャー企業、株式会社Grancell(グランセル)を立ち上げ、代表取締役に就任。

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