「再生医療」という言葉の呪縛を解きたかった
―現在の取り組みについて教えてください。
臨床の傍ら、2016年10月より琉球大学 形成外科に非常勤医師として、再生医療の研究に取り組みながら、それを産業化につなげるコーディネート業務などを行っています。
2017年2月には、再生医療研究を基にした幹細胞化粧品(ローション、エッセンス、マスク)を製造・販売する、株式会社Grancell(グランセル)を立ち上げ、代表取締役に就任しました。
また、Grancell(グランセル)としては化粧品以外にも、沖縄県から委託を受け、医療機器イノベーション人材の育成プログラムの企画・運営にも携わっています。これは、スタンフォード大学ポール・ヨック博士らが開発した、デザイン思考を医療機器開発に応用した「バイオデザイン」と呼ばれるプログラムがベースになっており、隠れた医療のニーズを見出し、アイデアをビジネス創出につなげる実践的なものです。企業を立ち上げた年に本場シリコンバレーまで学びに行きました。
沖縄では、産業の創出が課題で、観光サービス以外はなかなか育っていません。そこで、大きな市場をもつ医療機器分野にも白羽の矢が立ったのです。ただ現状は海外メーカーの寡占状態で、日本全体としては毎年8000億円の貿易赤字が続いているという難点もあります。しかし、アイデア一つで優れたイノベーションが創り出せる可能性も秘めており、この実践的なプログラムを通じて医療機器産業の集積につなげ、沖縄県の産業の柱にしていきたいと考えています。3年間のカリキュラムになっていて、これまでに35名が受講し、ITやCAD関連など、医療とは直接関係のない企業の参加も多いです。
社会医療法人敬愛会 中頭 (なかがみ)病院では形成外科医として主に乳房再建術に携わっています。また、美容外科ではボストンでの留学時代に修得した「ボディーコンツーリング サージェリー」という手技を使って、年齢や体型の変化による皮膚のたるみ(余剰な皮膚)やを切除したり、日常生活に支障を及ぼすレベルの巨大な乳房を縮小する手術などもおこなっています。「ボディーコンツーリング サージェリー」は、欧米では認知されており、例えば、妊娠・出産後に、お腹がたるみ、崩れた体型を元に戻す手術「マミーメイクオーバー」もこの一種です。また、沖縄県は全国的にも肥満率が高い傾向なので、最近では肥満治療も増えています。
―「再生医療」の研究を産業化につなげるアイデアはいくつかあったとお聞きしていますが、その中で「化粧品」を選んだ理由はなぜですか?
大きく2つの理由があります。1つ目は、私たちが発売を考えている幹細胞培養液の化粧品は既に他社で製品化されており、明確にニーズがあること。もちろん、既存の製品とは差別化を図るため、他社では国外産のヒト幹細胞培養液が使われていることが多いので、Grancell(グランセル)では原料から全て国内製造で、安全性と品質管理にこだわり製造しました。
2つ目は、「再生医療」という言葉の呪縛を解きたかったからです。「再生」は生物が備え持つ自然現象ですが、「再生医療」という言葉により、無意識にフィールドが医療に限定されてしまっています。言葉によって、他の可能性がシャットアウトされて、利用できる分野が狭められてしまっている。化粧品にしたのは、そこに対するアンチテーゼでもあります。たとえば、化粧品に入っているサイトカイン(細胞から分泌されるタンパク質)の効果につながる新たな事実が、この製品から分かり、そこから医療業界に対してインパクトを与えられれば、面白いと思いませんか。
世の中を変えることに携わりたい
―ところで、医師を目指した理由はなぜですか?
両親や親戚など、周りが全員医師だったので、自然とその道を選んでいました。しかし、東京大学医学部に入ってからは、どの専門科に進むかは非常に悩みました。そこで大きな決め手になったのは、大学生の時に、ハーバード大学のチャールズ・バカンティ教授が軟骨細胞を培養し、生きたネズミの背中に人の耳を創り出すことに成功したというニュースを見たときです。「ティッシュ・エンジニアリング」と呼ばれ、再生医療の先駆けとなった技術で、医学会に衝撃が走りました。このニュースで、「人の臓器が作れるようになるんだ」と心を動かされ、再生医療をやりたいと思い、形成外科を選びました。
その理由は、「乳房再建」を行う再建外科という分野にあります。人工物のシリコンを使う場合もあれば、患者さんの体の一部(お腹など)の組織を切り取って、胸に移植する場合もあり、どちらもリスクを伴う手術です。見方によっては進歩の余地があり、「再生医療」を実践できるフィールドだと考えたからです。「再生医療」はまだ未知なる領域なので、先人たちが積み上げてきたことに、何かを足せる醍醐味を感じました。
―卒業後はどのようにキャリアを積まれたのでしょうか?
まず東京大学医学部 形成外科に入局しました。当時「患者の全身管理を学ぶために、外科か、救急科を経験すること」という教育方針があったので、2年目には自治医大の外科に入りました。1年間だけでしたが、ここで患者に向き合う姿勢など医師としての心構えを教えてもらいました。また、なかなかできないような手技も経験させてもらったり。医師としての基本と心構えをここで学べて本当によかったと思っています。
その後、自治医大の形成外科で1年間研鑽を積み、医師4年目には、中頭病院形成外科に赴任し、翌年に部長になりました。ちょうど同病院が患者さんのために「乳房再建」を始めたいと、全国の形成外科を回り医師を募集していたので、私は「行きたい」と手を挙げました。それは今から10年以上前のことで、まだ「乳房再建」に取り組んでいる病院が少なかった時代です。中頭病院は全国でも先駆けて乳房再建に取り組んでいたパイオニア的な存在で、私もその頃から「乳房再建」に携わっています。
ただ、私は東京大学の医局員でもあるため、2008年からは東京大学の関連病院である獨協医科大学に籍を移し、 医局長としてチームマネジメントなどにも携わりました。また並行して、鳥取大学との共同研究などを通じて、少しずつ再生医療研究にも取り組み始めました。しかし、再生医療に専念する時間がなかなかとれず、一度集中して研究したいと思い、2013年に留学を決意したのです。
―留学先を探すのに、100校以上にメールを送られたとお聞きしました。
そうですね。医局や研究室が定期的に派遣している留学先や、教授に紹介してもらえる留学先へ行くことが一般的だと思いますが、私は、興味のある研究室を自分でアプライすることにしました。再生医療を学びたいとは思っていましたが、それがゴールではなく、あくまでさまざまなことを実現するための手段として再生医療を考えていたので、自分のやりたいことを伝えて、直接交渉しました。
再生医療関係の論文を読み、欧米の興味のある大学や研究室にメールでアプローチしました。その数100件以上になったと思います。そして、最終的に「引き受けますよ」と言ってもらえたのがアメリカにある2つの大学でした。ただ、その年にボストンマラソン爆弾テロ事件が起こり、1校からは、「今年は受け入れができない」という連絡がきたので、自動的にもう1校の方に行くことにしました。しかし、それが私にとってはとても幸運でした。というのも、留学先が、医療関連ではなくて再生医療の技術面を学べる「バイオサイエンス」の領域だったので、普段出会えない人たちと関わることができたのです。
私が留学先で共に学んだ人たちは、「この研究を製品化したい」「自分の研究で、世の中を変えてやろう」という信念をもっていました。イノベーションの種は持っているものの、それを社会実装して初めてゴールだという強い意識があり、医学部では味わえない空気を肌で感じられたのが非常によかったと思います。また、このときから自分自身も「世の中を変えるものを作りたい」というマインドに変わってきました。
また、私は、自分から「脂肪組織由来幹細胞の有効性」という研究テーマを持ち込んだので、やりたい研究に専念することができました。その一方で、研究の空き時間を利用して、アメリカの興味のある医療施設を回りました。既に研究職でビザの申請が降りているので、どこに行っても「外科医として見学させてください」と言えば、すぐに通してもらえました。そして現地でも、臨床で2つの病院にアプライし、チームに入れてもらいました。先程紹介した「ボディーコンツーリング サージェリー」という手技は、この臨床経験を通じて修得しました。
その後、中頭病院から「女性医師が産休に入るので、戻ってきてほしい」という話をいただいて帰国し、乳房再建をはじめとした臨床に従事することになりました。現在では、シリコンインプラントを用いた再建が健康保険適応となったり、そのための資格医師制度が整備されたりと、私が乳房再建に携わりはじめた当初よりもだいぶ状況は改善してきています。しかし、今もまだ「乳房再建」は再生医療に置き換わっていないので、その研究も同時に進める必要があると感じています。
その他に、10年ぶりに沖縄に戻ると、当時懇意にしていた先生たちと幅広いネットワークを作っていたので、さまざまなところから「協力してほしい」という声をいただきました。美容外科での診療や、2015年に再生医療研究センターを開設した琉球大学での非常勤医師としての研究などがあります。また、2017年には同大学で初めてとなる大学発ベンチャー企業を立ち上げることになりました。いずれは「再生医療の研究を社会実装したい」とは考えていましたが、こんなに早く実現できたのは、素晴らしい仲間に巡り会えたおかげだと思っています。
「産業化」を医師の役割として根付かせたい
―どういった想いで「再生医療」の産業化に取り組んでいるのでしょうか?
再生医療研究を基にした幹細胞化粧品(ローション、エッセンス、マスク)の製造・販売のビジネスは、私の概念としては、再生医療研究の一環だと思っています。毎日お客さまに使っていただくことが効果検証になっていて、この製品に入っている、サイトカインがどのように分泌されて、それが肌の細胞にどのように働きかけているかを解明する。社会のニーズを研究のシーズとしていち早くキャッチして、そこでの新しい発見を社会の利益につなげていくことがとても重要だと考えています。ですので、この化粧品の事業は再生医療のサイドビジネスだとは思っていません。再生医療に研究成果を還元できる本流になりうるという希望を常に持って取り組んでいます。
―今後の抱負を教えてください。
1つは再生医療の研究です。私の形成外科医としての専門は、乳房再建、ボディーコンツーリング サージェリーや肥満治療のようなボディーの治療ですが、再生医療という分野でも、新しい発見をして、社会が少しでもいい方向に変わることに貢献していきたいと思っています。もう1つは、研究だけに留まらずに、「イノベーション」を通じて生活にプラスになることを産み出していきたいです。
医学生の頃は、医師の社会的役割として「教育と研究と診療の3つをバランスよくやりましょう」と教えられてきましたが、今は4つ目に「産業化(社会実装)」があると思っています。
論文を書いて、世界の人々から何万アクセスも受け、そこから臨床に役立てられ、たくさんの命を助けることができるのは本当に素晴らしいことだと思います。しかし、その始まりが論文ではなく、企業でもいいのではないかと、考えています。この4つ目の「産業化」を医師として実現し、ロールモデルまでは行かなくても、若い人たちの活躍できるフィールドが広げられるようになればいいなと思っています。製品が売れるということは、再生医療が世の中に浸透し、社会が変わっていくことだと思うので、人材の育成を含めて産業化は、私にとってはワクワクできる領域です。
(インタビュー・文/西谷忠和)※掲載日:2020年2月25日