15歳の決意―医療崩壊を解決する政治家になる
―現在の活動内容について教えていただけますか?
2012年、第46回衆議院議員総選挙で、自民党からの推薦をいただき地元の愛知14区で当選、以来、医師免許を持つ医療に詳しい国会議員としての活動をしています。社会保障政策はもちろんのこと、経済財政、農林水産、国土交通など幅広い分野に携わらせていただいています。
具体的には、自民党本部に設けられている、さまざまな委員会や部会に出席し議論に加わったり、委員長や事務局長など取りまとめ役を担ったりします。これまでに担当したのは、国土建設委員長や厚生副委員長、国土交通・経済産業・農林・水産副部会長などです。厚生労働や社会保障に関しては、すでに医療現場を知っている人間なので、委員会や部会に所属しなくてもプロジェクトチームを立ち上げて、その時の課題に即応するように精力的に活動をしています。
また、2017年8月から2018年10月までは、史上最年少で財務大臣政務官に任命していただきました。本来ならば議論できないような方々と本質的な議論ができたことは、非常にやりがいがありました。
現在は、財務大臣政務官を次の方にお渡しし、自民党内の教育や文化スポーツ関連の委員会委員長などを新たに務めています。教育分野には医学教育も含まれていますので、医学部での教育や大学病院との絡みもあります。
―なぜ政治家を志したのですか?
私は小学生の頃に慢性肝炎を患い、近くの病院の小児科にかかっていました。中学生になった頃には徐々に快方に向かい、週に1回だけ注射などのために小児科を受診していました。ところが、ある時、通っていた病院の2名の小児科医が辞められ、小児科がなくなってしまったのです。つまり私は医療難民となりました。
幸い、自宅からは少し距離があるものの、別の病院の小児科にかかることができました。しかしながら、自分の通う病院がなくなったことは、非常に辛かったです。見捨てられた喪失感や絶望感は、ある意味、病気になったことよりも強く心に残りました。
なぜこんなことが起こるのかと調べていくと、その源流には医師抑制政策による医師不足や医療崩壊があり、さらには医療亡国論にも行き着きました。その時、これは解決しなければいけないと強く思い、医療が分かる政治家になろうと決意したのです。15歳の時でした。
私は文系の人間だったので、官庁に入って政治家になるのがメジャーな選択肢でしたが、父親をはじめさまざまな方と話をしていく中で、やはり医師になって医療現場を経験しなければ医療現場の本質は分からないと思い、数年間でも医師を経験させていただき、政治家になることを考えました。
医師から政治家へ
―医学部を卒業されたのち、どのような医療機関で経験を積まれてきたのですか?
名古屋大学医学部を卒業後、3年間は医師として医学的知識のみならず、医療全体のことをしっかり学ぼうと考えていました。初期研修はJR東京総合病院で受け、医師3年目は、新宿ヒロクリニックで在宅医療に携わらせていただきました。
新宿ヒロクリニックの院長である英裕雄先生には、研修医時代からお世話になっていて、緊急往診システム構築の話を進めていたんです。私自身が自分の力で、どこまでそのプロジェクトを進めることができるのか試してみたかったことや、高齢化問題を抱えている日本において、今後、地域包括ケアシステムが不可欠であり、それをしっかり学ぶためには地域医療や介護、お看取りにまで携わることが重要だと考え、新宿ヒロクリニックで勤務させていただきました。
―先程「3年間は医師として学ぶ」とおっしゃっていましたが、なぜ3年だったのですか?
正直なところ、私自身も長年「何年間、医療現場を経験すればいいか」ということに対して、答えが出せずにいました。しかし、日野原重明先生からの言葉が決め手になりました。
ご生前、日野原先生にお目にかかった時「何年、医師として現場を経験したら、医療現場のことをしっかり理解した国会議員として、医療政策に携わることができるか」と、疑問を提示させていただきました。すると、日野原先生は「今枝君の場合だったら、3年間しっかりやりなさい。何年やっても医療現場は多様だから、全てを理解するのは難しいが、君なら3年やれば少なくとも現場の方の話は理解できるようになる」とお話があり、、3年間しっかり医療現場を経験しようと決めることができましたね。
経済財政の側面から問題解決に取り組み続ける
―ところで、自民党から出馬した理由は、どのようなところにあるのですか?
学生時代は、幅広くさまざまな政党の方にお世話になっていました。私が出馬を決意した時は、総選挙で自民党が政権与党の座を降り、自民党の憲法である綱領を作り直す時期でした。新たに作られた綱領に、自助・共助・公助を大切にした社会保障制度をつくるという項目が入ったのです。私はそのことに感銘を受けました。
社会保障費は手厚くあるべきだと思っています。しかし、ただ財源を増やすだけでなく、病気を「予防」することで、自分の健康を自分でコントロールする自助や、健康保険組合での共助がある上で、それでもまかないきれない部分に公助として税金をあてる。この考え方が大切だと、私は思っています。そして、この考えのもとで社会保障制度を考える政治家でありたいと思い、自民党から出馬しました。
―今後の展望はどのように考えていますか?
私が政治家を目指した原点は、医師不足や医療崩壊を解決したいという思いからです。加えて、医療費高騰や超高齢社会にまつわる諸問題の解決にも関わりたいと考えています。そして、経済財政や社会保障財源の側面からどのように問題解決していくか、この点に尽力していきたいと考えています。
医師不足や偏在については、医師のキャリアもセットで考えるべき問題です。現在、新専門医制度が始まり医師の働き方改革についても議論が進められていて、医師の労働環境の転換点にあります。そのような周辺環境の変化も加味し、医師のキャリアアップも考慮したうえで、医療の諸策整備に携わっていきたいですね。
3年間医療現場を経験してみて一番感じたことは、現場の医師たちは身を粉にして真面目に忙しく働いているのですが、同時に、成長欲求が人一倍強いということでした。医師の労働環境を考えるときには、待遇面の改善だけではなく、「成長したい」という気持ちをどのように盛り上げフォローしていくか、という視点が重要だということを、身をもって感じました。現場を知っている国会議員として、医療現場で働いている医師を全力でサポートしていきたいですね。
そして、医療費の高騰や超高齢社会の問題を考える上でカギとなるのは、地域包括ケアシステムです。いかに、安心して産まれ、生きて、最期を迎えられる環境を整備するか。そして医療費を抑えることができるか。両方の視点を持ちながら、社会保障財源や経済財政に変化をもたらし、安心できる医療や社会保障を届け続けられるようにしていきたいと考えています。
(インタビュー・文/北森悦)