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INTERVIEW

衆議院議員

内科

今枝 宗一郎

経済財政面から医療の問題解決を図る

中学生時代に、地元愛知県で医療崩壊を目の当たりにし、政治家として医療の問題を解決すると決意した今枝宗一郎先生。医師として医療現場を3年間経験したのち、28歳で衆議院議員に初当選し、国会議員として多分野に携わりながらも、志を貫こうとしています。

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15歳の決意―医療崩壊を解決する政治家になる

―現在の活動内容について教えていただけますか?

2012年、第46回衆議院議員総選挙で、自民党からの推薦をいただき地元の愛知14区で当選、以来、医師免許を持つ医療に詳しい国会議員としての活動をしています。社会保障政策はもちろんのこと、経済財政、農林水産、国土交通など幅広い分野に携わらせていただいています。

具体的には、自民党本部に設けられている、さまざまな委員会や部会に出席し議論に加わったり、委員長や事務局長など取りまとめ役を担ったりします。これまでに担当したのは、国土建設委員長や厚生副委員長、国土交通・経済産業・農林・水産副部会長などです。厚生労働や社会保障に関しては、すでに医療現場を知っている人間なので、委員会や部会に所属しなくてもプロジェクトチームを立ち上げて、その時の課題に即応するように精力的に活動をしています。

また、2017年8月から2018年10月までは、史上最年少で財務大臣政務官に任命していただきました。本来ならば議論できないような方々と本質的な議論ができたことは、非常にやりがいがありました。

現在は、財務大臣政務官を次の方にお渡しし、自民党内の教育や文化スポーツ関連の委員会委員長などを新たに務めています。教育分野には医学教育も含まれていますので、医学部での教育や大学病院との絡みもあります。

―なぜ政治家を志したのですか?

私は小学生の頃に慢性肝炎を患い、近くの病院の小児科にかかっていました。中学生になった頃には徐々に快方に向かい、週に1回だけ注射などのために小児科を受診していました。ところが、ある時、通っていた病院の2名の小児科医が辞められ、小児科がなくなってしまったのです。つまり私は医療難民となりました。

幸い、自宅からは少し距離があるものの、別の病院の小児科にかかることができました。しかしながら、自分の通う病院がなくなったことは、非常に辛かったです。見捨てられた喪失感や絶望感は、ある意味、病気になったことよりも強く心に残りました。

なぜこんなことが起こるのかと調べていくと、その源流には医師抑制政策による医師不足や医療崩壊があり、さらには医療亡国論にも行き着きました。その時、これは解決しなければいけないと強く思い、医療が分かる政治家になろうと決意したのです。15歳の時でした。

私は文系の人間だったので、官庁に入って政治家になるのがメジャーな選択肢でしたが、父親をはじめさまざまな方と話をしていく中で、やはり医師になって医療現場を経験しなければ医療現場の本質は分からないと思い、数年間でも医師を経験させていただき、政治家になることを考えました。

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PROFILE

今枝 宗一郎

衆議院議員

今枝 宗一郎

衆議院議員
1984年愛知県生まれ。2008年名古屋大学医学部を卒業後、JR東京総合病院にて初期研修修了、新宿ヒロクリニックで在宅医療を学ぶ傍ら、夜間緊急往診システムの構築を務める。2012年12月第46回衆議院議員総選挙で、自民党の推薦を受け初出馬・当選。社会保障や経済財政以外にも、農林水産、国土交通、教育など幅広い分野に携わっている。

 

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