医師10年目の重見大介先生は、日本医科大学卒業後、産婦人科医としての経験を積みますが、公衆衛生を学ぶべく東京大学の公衆衛生大学院を経て同大学院博士課程へ進学しました。現在は、研究と臨床だけではなく、ビジネスとしてICTを活用した遠隔健康医療相談サービス「産婦人科オンライン」の運営にも携わっています。目指すのは、病院の中だけでは医師がアプローチできない、産前産後の女性や若年女性の健康を包括的に支えること。現在に至るまでの思いと、これからについてお話を伺いました。
◆女性の健康を切れ目なく支える
─現在の取り組みについてお聞かせください。
平日の半分は、大学院で公衆衛生・臨床疫学の研究をしています。主にビッグデータを解析し、英語論文を書きます。残りの半分は、産婦人科オンラインのオフィスで運営の仕事をしています。
産婦人科オンラインとは、遠隔で医師・助産師にスマホから相談できるサービスです。平日夜がサービスの稼働時間なので、その対応やサポートをして、空いている時間があれば研究や論文の執筆作業をしています。そして月に2、3回は当直をして、お産をとることもありますね。さらに、現在は書籍の執筆や、医療機器開発にも携わっています。
─産婦人科オンラインでは、どのような課題の解決を目指しているのでしょうか?
産婦人科医やスタッフは子どもを取り上げ、退院していくお母さん達を「おめでとうございます」と見送ります。しかし産後1カ月健診では、あれほど喜んで我が子を迎えていたのに、すっかり疲れ果てボロボロになっているお母さんたちを目の当たりにするのです。中には産後うつを発症する場合もあります。家庭でサポートを得られていなかったり、ご両親が近くにおらず頼れる人がいなかったりと、事情はそれぞれにあります。そういった方々に対し、病院にいる産婦人科医はアプローチが難しく、お母さんの方から来院してくれない限り何もできないことに対して「病院で待っていることの限界」を感じました。
そんな時、産婦人科×Public healthの視点から、病院に来る前の女性にも広くアプローチができればこの課題を解決できるかもしれないと考えました。その後、東京大学大学院に進学した秋頃に、LINEや電話などで気軽に相談できるサービスにするためICTを活用することを思いつきました。アイデアを周りに話したところ、小児科で同じコンセプトのサービスに着手している人がいると紹介されたのが、小児科医の橋本直也先生でした。
小児科と産婦人科が協働すれば、妊娠中から産後~育児の期間まで切れ目なくサポートすることができます。そこで株式会社Kids Publicにジョインし、翌月には「産婦人科オンライン」β版を、その9カ月後には正式版をリリースしました。現在、産婦人科オンラインは30程度の法人に導入していただいており、月間で数百件の利用があります。同じ利用者IDで小児科・産婦人科のどちらも相談可能ですので、妊娠中から利用していた方が出産後には小児科でお子さんの相談もしていただけます。
妊娠中の不安が産後うつのリスク因子であることが分かってきており、実際に産後精神的に辛いという相談も多く来ています。妊娠中から不安を早めに取り除き、産後の育児不安や精神的負担を軽減することを支援することで、産後うつのリスクを減らすことができるのではと考えています。このサービスによって、病院ではアプローチできなかったお母さん達にまで、アプロ―チできている実感はありますね。
◆産婦人科医としてクリエイティビティを発揮する
─ところで、なぜ産婦人科を選んだのですか?
両親や親戚に医師はおらず、科へのこだわりはありませんでした。産婦人科は、生理や出産といった教科書で分かりづらく、自分が体験できない内容も含むため、学生時代はどちらかというと苦手意識があったくらいです。しかし病棟実習の中で、医師や助産師や看護師などさまざまな立場の方が、出産現場では全力で1つのことに集中する。そして無事に産まれたら、皆で喜ぶという経験が印象に残りました。病院には、高齢者の患者さんばかりの科や、治らない病気を診る科もあります。そのような中で産婦人科は、学生の私にとって特殊で面白かったのです。
─日本赤十字社医療センターで初期研修を終え、大学病院での臨床から、研究や事業活動へと、主軸がシフトしていきます。何かきっかけとなる出来事があったのでしょうか?
あるとき先輩に、どのくらいでお産を1人でとれるようになれるか相談したことがありました。その時先輩は励ますように「2~3年で、誰でもできるようになる。大丈夫だよ」とおっしゃったのです。しかし当時私は「2~3年経ったら、皆が同じ程度のレベルになるのか」と捻くれた感想をもったのです。それから自分で何か新しいものをつくりだすことで他の産婦人科医との差を見出せないかと考えました。卒後3年目から英語論文を書くことがその1つでした。
もう1つ気にかかったことがありました。診療ガイドラインです。医師としての年数が上がり、ガイドラインを読み込むうちに、医師でなくとも慣れた看護師さんならできてしまう仕事がたくさんあるのではないかと思うようになりました。これでは医師としてのクリエイティビティがないと感じたのです。医療の質を担保するため、診療ガイドラインは重要で不可欠なものだと理解していますが、そのガイドラインの根拠の弱さも気にかかりました。例えば、「〇〇が推奨される」と書いてあり、その引用文献が1980年の日本の雑誌だったり、海外の文献ばかりで最近の日本のデータは乏しかったりする。これらがきっかけとなり、研究もできる人材になりたいと思いました。研究に打ち込むことで新しい知見を創出し、他の産婦人科医にはないクリエイティビティを発揮できると思ったのです。
─医局から東京大学大学院へシフトチェンジ。その時、特に意識したことはありますか?
在籍していた医局の教授への説明には注力しましたね。2年前から「他の公衆衛生大学院の受験をします。もし受かっても仕事は続けますので引き続きこちらで働かせてください」とあらかじめ伝え、受験しました。日本で公衆衛生を体系的に学べる場として、通える範囲では東京大学大学院くらいしかないと思ったからです。大学病院にいながら、教授同士のつながりがない他大学院へ進むのは珍しいケースでした。医局では前例がなかったようです。入学できたことは嬉しかったのですが、やはり私の考えと医局の方針とが相入れない部分が多く、進学後半年ほどで医局を辞めることになりました。結果としてそうなったということであり、後悔はありませんがキャリアを考える上で大きな変化だったと思います。
◆産婦人科医オンラインを1つの社会インフラに
─今後、「産婦人科オンライン」をどのように展開させていきたいですか?
いずれはオンラインを用いた支援体制が、妊娠・出産に関わる全ての女性が活用する1つの社会インフラのようになってほしいです。そのために今後は、対応する医療者のリクルート活動が重要になります。まずは事業理念に共感してもらうことが大切なので、産婦人科領域における遠隔医療相談の知見を論文や学会で発表することで、学術的にもきちんとした形で示し、事業の信頼を得ていきたいです。
また、若年女性にも広げていきたいですね。すでに今年、短大での導入がはじまった事例もあります。「セックスで避妊が上手くできていなかったかもしれない」「生理が少し遅れている」など人には聞けないけれど、いきなり産婦人科に行くのもハードルが高い相談をオンラインでご相談することが可能です。その短大で性教育の講義もさせていただいています。リアルの場とオンラインの場を上手く組み合わせ、早期から長期的にアプローチできれば、これまでにない価値提供が可能になるかもしれません。
─個人的な今後の展望はありますか?
現在私は、臨床、研究、ビジネス、教育という4つの分野に携わっています。今後はこれらを有機的に組み合わせていきたいです。例えば、産婦人科オンラインで集めたデータも一企業がデータを出しただけでは、利益誘導のようで学術的にはエビデンスとは呼べません。そこで大学・教育機関と共同研究や受託研究という形で、第三者の目をいれることで偏りのない結果を発信する。研究で得た知見を臨床や教育に生かし、再びビジネスに取り入れていく。そしていずれは、女性の健康を包括的にサポートすることで女性が明るく生きていける社会にしたいです。
(インタビュー・北森 悦/文・塚田 史香)