EM Allianceの代表幹事を務める武部弘太郎先生は、現在若手医師へ救急医のキャリアパスを示すため尽力しています。当時、新設されたばかりの京都府立医科大学救急医療学教室に入局した武部先生が、全国での研修を通じて感じたのは、救急医としてのあり方でした。若手医師のため、そして日本の救急医療のため、尽力する武部先生のこれまでのいきさつを伺いました。
◆救急医としての基盤の上にあるER型救急
―現在の活動内容を教えてください。
現在は、大学病院での業務に加えて、代表幹事を務めている「EM Alliance」でのマネージメント業務とEMA meetingの準備や運営に携わっています。EM Allianceとは、近年日本でも普及してきているER型救急に従事している医師のネットワークをつくり、意見交換・教育・研究を行うための場として設立されました。そして、これらの活動を通じて日本でのER型救急の発展を目指しています。
2020年2月1日(土)には、第21回目となるEMAmeetingを名古屋で開催いたしました。テーマは「産婦人科・泌尿器科救急」で、淀川キリスト教病院の柴田綾子先生のご講演や、EMA meeting班によるレクチャーやハンズオン、懇親会などを企画し、多くの方にご参加いただきました。新型コロナウイルスに関する動向にも注視しながら、EM Alllianceとしては、これからも多くのコンテンツを発信していければと思っています。
―武部先生の思う救急医療とは、やはりER型救急なのでしょうか?
もちろん私は、EM Alliance代表幹事としてER型救急を日本で展開させ、日本の救急医療体制をさらに発展させていきたいと考えています。一方で、私の臨床研修医・後期研修医時代に出会った多くの先輩医師・救急医の影響や、現場を見て感じてきたことから、必ずしもER型救急だけが救急医療だとは思っていません。
救急外来だけでなく、プレホスピタルから入院管理、治療介入、さらにはメディカルコントロールや時には災害医療まで、幅広く対応することができる基盤を持つことが、救急医の基本なのではないかと考えます。それこそが救急科専門医、つまりは救急医であり、その基盤がある上で、自分の注力したい分野としてER型救急や集中治療、外傷外科、などのスキルを伸ばしていけばよいと考えます。
日本救急医学会が若手に対して先進的に情報を発信していますが、現場レベルで救急医のキャリアパスはまだ明確ではないと痛感しており、さまざまな活動を通じて若手に救急医のキャリアパスを示していく必要があると思っています。私は日本救急医学会の委員も務めておりますが、学会に頼るだけではなく、我々世代が使命感をもって取り組んでいくことが求められていると感じています。
◆全国津々浦々での救急研修
―そもそも、なぜ救急医を目指されたのでしょうか?
当初は、小児科医を目指していました。そんな中、臨床研修医1年目の冬に、京都大学と京都府立医科大学合同でICLSコースが開催され、私はインストラクターとして参加していました。当時府立医大の救急医療学教室の教授に就任されたばかりの太田凡先生も来られていました。私はご挨拶しようと思ったのですが、太田先生の前には長蛇の列があり……挨拶することが叶いませんでした。
2カ月後、京都府医師会が主催する勉強会に参加し、再び太田先生にお会いしました。私にとっては2回目でしたが、太田先生にとっては初めてだと思いながらご挨拶したところ、「ICLSに参加していた先生だよね? 覚えているよ」と、自分のことを覚えてくださっていたのです。その感動と太田先生の柔和な雰囲気に惹かれ、救急医という選択肢を意識し始めるようになりました。
その後、実際に大学病院の救急医療科をローテートし、太田先生と一緒に仕事をする中で、ますます惹かれるようになり「この人のもとで救急医として、医師として学びたい」と考え、救急医になることを決意しました。
―当時新設されたばかりの救急医療学教室に入局。後期研修はいかがでしたか?
私は教室の入局者2人目で、先輩は1人だけでした。ですので、入局当初は周囲から「泥船に乗るのか」と言われたことも……。しかし、苦労ばかりではありませんでした。太田先生を通じて、研修したい病院や内容を自ら選び、全国で研修させていただいたのです。
福岡徳洲会病院や福井大学、京都医療センターで救急の研修を、市立福知山市民病院で内科、西伊豆病院で整形外科・地域医療、東京都立小児総合医療センターで小児救急、綾部市立病院で麻酔科、大学病院内でも眼科・皮膚科など、さまざまな地域でさまざまな先生にご指導いただき、研修させていただきました。全国で多くの先輩医師や救急医にお会いし、「救急外来での診療だけが救急医療ではない」と感じる一方で、「救急外来での診療の質を上げるためには、もっと多くことを学ばないといけない」とも感じ、まずはしっかりと救急医としての基盤を持つことが大切だと感じました。
―その後、EM Allianceの代表幹事に就任された経緯を教えてください。
救急への入局を決断した臨床研修医2年目の時、入局者1人目である1つ上の先輩である松山匡先生から、全国の救急医が集まる勉強会があると誘われて参加したのがEMA meetingでした。それまでは救急医に接する機会が少なかったため、EMA meetingに参加したことで、全国に、これほど多くの救急医がいることや、ER型救急普及のための活動をする若手救急医が存在することに感激したことをよく覚えています。
その後も何度か参加する中で、EM Allianceの前代表幹事である佐藤信宏先生にお誘いいただき、運営スタッフとしてEMAのmeeting班に加わることになりました。この時は、卒後5年目を迎えたばかりで、救急の後期研修も後半に差し掛かったところでしたね。2年程経過した頃にmeeting班長を志賀隆先生から引き継ぎました。さらに2年程班長を務めた後、EM Allianceの代表幹事に就任いたしました。
近藤貴士郎先生、山上浩先生、佐藤信宏先生と偉大な先輩方から代表幹事を引き継ぎ活動する中で、我々がEMAでの活動を通じて、若手に救急医のキャリアパスを背中で見せて示していく必要がある、と強く感じるようになりました。
―現在、EM Allianceでマネジメントや教育に注力する武部先生。そのノウハウはどのように磨かれたのですか?
おそらく、医学生時代に塾講師をしていた経験が大きいと思います。アルバイトで塾講師を始めたばかりの頃、私はいわゆる「教えたがり」でした。熱意をもって教えるのですが、当時の生徒の成績は思うように伸びず――。このままではダメだと思い、何かを変えよう、何かを取り入れようと自分なりに試行錯誤しました。
脳の解剖生理学をどのように結びつければ効率良く学習できるか調べ、指導方法やテキスト作成にどう活かせるかなど、自分なりに徹底的に教育を研究したのです。その甲斐あってか、生徒の成績も伸び、合格実績も地域で上位になりました。最終的には中学受検部門の代表に就任し、講師としてだけでなく、テキスト作成や後輩講師への指導、スケジュール調整や保護者対応/面談までトップとしてのマネージメント業務も経験することができました。
「洛ゼミ」という京都にある塾で、塾自体も新しく立ち上がったばかりだったので、塾長である鈴木由則先生や同期の講師達と幾夜も議論を重ねましたね。最初は小規模だった塾が次第に大きくなり、実績も伴うようになり、事業成長に関わることができたことも貴重な経験になりました。このように医学生時代、教育やマネジメントに真剣に取り組んだ経験が、確実にいまに繋がっています。
◆救急医の背中を若手に示す!
―今後の展望を教えてください。
今後も、EM Allianceの業務に注力していきたいと思っています。組織が大きくなるにつれて運営スタッフ1人1人の仕事量は多くなってきているので、新しい世代を入れつつ、先輩方から引き継いだ思いや情熱も大切に守りながら、仕事を分担していきたいと思っています。2019年夏にはEM Alliance 設立10周年と第20回 EMA meetingを記念して「EMA festival !」を横浜で開催いたしました。定員150人が埋まり、講師・運営スタッフも合わせて約200人が一同に会し、さらに結束を深めることができました。今後も、このような企画を開催しながら組織を成長させていきたいですね。そして同時に、若手に対して我々のようなキャリパスがあることを示していきたいです。
―救急医を目指す若手へ伝えたいことはありますか?
救急医として日々感じるのは、社会との接点が多いということ。もちろん個々の手技を磨き、知識と経験を積み上げ、人命や機能を救うことも大事ですが、そのさらに先の社会とのつながりを感じながら、地域や社会を支えていく視点も必要だと思います。そこには当然、教育も関わってきます。
救急医を目指す若手の皆さんには、個々の力量を上げつつ、仲間を増やしながら、プラスαの目標を持ちながら成長していってほしいと思いますし、自分自身もまだまだ成長しないといけないと感じています。そんな皆さんの成長や目標の実現にEM Allianceが関わることができたら嬉しいなと思います。
(インタビュー・文/coFFee doctors編集部)※掲載日:2020年4月21日