介護士として特別養護老人ホームに勤めていた光田栄子先生。介護現場で抱いたもどかしさから、医師を志し、家庭医としての道を歩んでいます。現在の取り組みと、今後の展望を伺いました。
◆学生たちに、家庭医の感じる「モヤモヤ」を伝える
―現在の活動について教えてください。
私は2019年から岡山市の「かとう内科並木通り診療所」という有床診療所で、外来、病棟、訪問診療に携わっています。また2020年7月から母校の岡山大学総合内科・総合診療科の非常勤講師として、大学4年生向けの総合診療医学の授業をさせてもらっています。
―授業では、具体的にどのような内容の講義をするのですか?
私が臨床現場で実際に悩んでいる症例を取り上げ、私がもどかしく感じていること赤裸々に話し、どう対応したらいいかをディスカッションしてもらっています。
例えば、認知症が急激に進んでいる90女性の在宅患者さん。驚くほどご家族がその方を大事にしていて、入院したら絶対にできない手厚いケアをされていました。ところがその方は、頭部で明らかに何かイベントが起こっていそうでした。病態についての臨床推論を行いながら、このコロナ禍の中、「家族から切り離して入院・精査するべきか」「それがその方やご家族にとって本当に良いことなのか」と、私自身が葛藤したことや実際の病態を話し、その後の対応はどうしていくべきかを議論してもらいました。
なぜこのような講義をするかというと、家庭医が現場で直面するようなことは、他の診療科ではあまり正面から扱わないのではと思っているからです。
例えば脳梗塞の診断や治療なら、診断プロセスや治療プランといったスキルを1つ1つ身につけていくことによって、医師として成長できますし、医師本人にとっても成長を自覚しやすいと思います。ところが実際の臨床場面では、先程の例で挙げたような入院させるべきかといった問題や、治療してもよくならない患者さんをどう見守るか、医師の言うことを聞かず、退院してもすぐに再入院になってしまう患者さんにどう対応し、どう自分の気持ちを保つのかなど、医学知識をつけるだけでは対応できないことに直面することも数多くあります。
このような場面に直面した時「総合診療医学でこんなこと言っていたな」と思い出してもらい、無力感などを自分たちなりに消化していってもらいたいと思うのです。
本当は現場を直接見てもらいたのですが、コロナ禍でそれはまだ叶っていません。しかしいずれは多くの学生たちに来てもらいたいので、今は診療所内での教育チームづくりを進めていきたいと思っています。
◆特養介護士から家庭医へ転身したわけ
―ところで光田先生は、なぜ医師を目指したのでしょうか?
実はもともと、特別養護老人ホームで介護士として働いていました。施設に嘱託医はいましたが関連の入院施設はなく、具合が悪くなった利用者さんは近くの病院に入院し、そのまま亡くなることが多かったのです。「病院より、この施設の方が絶対に良いお看取りができる」と思っていたものの、やはり介護士だけでは、利用者さんの痛みや苦しみに対応できませんでした。しかし苦痛を緩和できる医師を探してくるあてもなく――無謀にも「自分が医師になった方が早いのでは」と思ったのです。
そして5年務めた介護士を辞め、医学部進学のため予備校通いを始めることに。仕事をせずに受験勉強に専念していたので、金銭的にも厳しかったので2年間で受からなかったら諦めようと思っていました。幸い、2年目の受験で岡山大学医学部に合格することができ、医師の道を歩むことになりました。
―諏訪中央病院で初期研修を受けられています。研修先はどのように決めたのですか?
総合診療や家庭医療に進むことは、あまり迷わず決められたのですが、逆に研修先選びは迷いました。研修先は無数にありますし、自分で調べてみても、どこがいいのか分からず――。最終的には、自分が憧れる先輩方にオススメの病院を聞き、名前が挙がった病院の中から決めることにしたのです。そのうちの1つが諏訪中央病院でした。
諏訪中央病院を見学してみると、ベテランから若手医師まで、皆が一緒になって賑やかに楽しんでいる雰囲気がありました。そしてカンファレンスでも、患者さんにどうするのがいいのかを、皆で活発に話し合っていることに魅力を感じました。時々、山登りのために長野県を訪れることがあり、良い土地だと思っていたことも後押しになり、諏訪中央病院で研修を受けることを決めましたね。
―2019年4月に「かとう内科並木通り診療所」に赴任されています。ある程度スキルを身に付けたら岡山県に戻ろうと、最初から考えていたのですか?
いずれは戻るだとうと思っていましたが、具体的な時期については迷っていました。そんな時、今の診療所の加藤恒夫院長から「私も70歳を超えて、そろそろ限界だ。戻ってこい、一緒に働こう」と声をかけていただいたのです。
もともと加藤先生には、学生時代からお世話になっていて、何かと気にかけて連絡をいただいていましたし、私にも「いつかは加藤先生と働きたい」という気持ちがありました。声をかけていただいた時「確かに、加藤先生もいつまでも現役でバリバリ働けるわけではない。もし加藤先生が病気などで倒れて一緒に働けなかったら、後悔する」と思ったのです。そして、岡山県に帰ることを決めました。
◆介護福祉従事者をエンパワーする医療
―医師を志した原点は、介護施設での課題感からでした。その点については今後、どのように取り組んでいこうと考えているのですか?
特養での看取り介護加算ができ、国の方針としても、施設でのお看取りを推進しています。しかし現場は、そのためのバックアップ体制が十分でない中で、お看取りすることもあるそうです。恐らく心不全のターミナルだと思われる方が、身体中むくんで横になれず、座ったまま亡くなったという話も聞きました。もちろん良い形でお看取りできた例もあると思いますが、介護施設の中に入っていかないことには、課題の有無が分かりません。
そのためにまずは、介護施設の方々との関係性を作っていくことが、今の私がやるべきことだと思っています。すでに関係のある介護施設の方とは、勉強会を通してより強い信頼関係を築き、密な連携を取れていますが、さらに連携の輪を広げていきたいですね。
また施設及び訪問看護師のバックアップもかなり大事だと思っています。経験上、介護施設の方々はまず、看護師に相談することが多いですから。そのため施設・訪問看護師とチームをつくってメンバーを増やしていくことで、介護施設の方々を支え、よりよいお看取りができる環境を整えていきたいと考えています。地域の介護福祉従事者をエンパワーする、私はそんな医療を提供していきたいですね。
(取材・文/coFFeedoctors編集部) 掲載日:2021年3月9日