医師8年目の朝蔭あゆ先生は救急科での後期研修修了直後、フランスに研究員として留学しました。「臨床医であり続けたいと思っている私にとって、留学で1年半も臨床を離れることはデメリット」と考えながらも留学した背景には、ある強い思いがありました。
◆自分の付加価値は何か?答えの先にあったフランス留学
―現在取り組んでいることについて教えてください。
2022年1月からフランス国立保健医療研究所(INSERM)に研究員として留学しています。主に集中治療・救急分野のデータベースを活用したバイオマーカーなどの研究を行っています。
1年半の契約なので、残りの留学期間は半年程。一筋縄ではいかないのが研究で、模索中の部分もありますが、帰国するまでにはなんとか論文雑誌のアクセプトを取りたいと思っています。
―どのような経緯で、フランスに留学することになったのですか?
私は初期研修を修了後、横浜市立みなと赤十字病院救急科で後期研修を受けました。その間、出席することになった集中治療の学会で、フランス人医師の講演が予定されていました。私が興味を持っていた救急やプレホスピタルケアに関連する講演テーマだったことや、中学高校時代にフランス語を第一外国語として選択していたことから興味を持ち、その講演を聴きに行くことに。内容が非常に勉強になり、講演後、半ば勢いでフランス人医師のもとへ行き、片言のフランス語で「とても面白かった。ぜひ先生のところに行きたい」と伝えたのです。
すると、フランス語だったことが幸いしたのか「分かった君が本当にそう思うなら、きちんと経済的な計画を立てて、日本人の窓口になってくれるこの先生にアポイントを取ってみなさい。正式なルートで申請してくれれば、受け入れる準備がある」という主旨の返答をいただいたのです。
その後「フランスに留学したい」「こんなことをやってみたい」「この先生につながりたい」とあちこちで言っていたら、道は開かれるものですね。結果的に、今回の留学につながりました。
後期研修を終えた直後の留学で、臨床医であり続けたいと思っている私にとって、1年半も臨床を離れることはデメリットです。しかし私は、興味を持ったことには何でも取り組んでみることにしています。そして、過去に学んだことのあるフランス語を使って何かできないかとチャンスを探した結果、この留学にたどり着いたので、そこから得られるものは必ずあるはず。そんな思いで留学しました。
―なぜ、フランス語を使いたいと思ったのですか?
漠然としていますが「救急科には、朝蔭あゆがいるから任せておいても大丈夫」と言っていただける救急医になりたいと思っています。ただ、医師の世界に限った話ではありませんが、ビジョンを持った優秀な人は、どの世界にも大勢いるもの。救急医の世界にも当然、私よりもずっと優秀で大きなビジョンを持った先輩・後輩が大勢います。そのような中「優秀さ」や「大きなビジョン」で私自身の個性を生み出すことは、難しいと感じています。
では、唯一無二とまでは言わなくとも、私という人間が救急医として働くことの付加価値をどう出すか。周囲の人にどこで付加価値を見出してもらうか――。そのことをずっと考えてきて、今まさに形作っている最中ですが、その1つが「フランス語を使える」なのではないかと考えたのです。フランス語を使うことで、他の医師とは違った経験をする。それが1つの付加価値になるはずだとの思いで、チャンスを探し留学という道を選びました。
実際、フランスに来たら全く武器になりませんでしたが……(笑)それでも13歳の時にフランス語を選択したことで、他の医師とは少し違った経験を積めているので、ほんの少し付加価値を付けられているのではないかと感じています。
◆キャリアの軸を決めた初期研修
―ところで、なぜ救急医を志したのですか?
”お祭”のようなダイナミックさが好きな性格であることが1つの理由です。また、一点集中で専門性を極めていくより、バラエティに富んでいて、さまざまな人と関わることができる診療科に進みたいと考えていたからです。
もう1つ大きな軸として考えていたことは、限られたソースで最大限のパフォーマンスを発揮できる人間が最も優秀だということ。医師に限らず、どのような分野であっても、そのような人が最も優秀だと私は考えています。こういった考えを持っていた私にとって、一番心に響いたのが救急科だったんです。
―初期研修先に亀田総合病院を選んだのはなぜですか?
将来救急科に進むことを見越し、診療科数が揃っていること、救急車の受け入れ台数が多いこと、集中治療が整っていることを病院機能として求めていました。また、せっかくなら多くの研修医が集まる場所で教育を受け、自分の能力も上げていきたいと思っていました。
亀田総合病院は、今挙げたような条件に合致していましたし、何より研修を受けている先輩研修医や、指導医の先生方のキャラクターがバラエティに富んでいて、生き生きした印象を受けました。そこにも魅力を感じ、同院を選びました。
実際に研修を始めてみると、優秀な同期がいる環境だったからこそ自分を磨き続けられたと思いますし、上司や先輩方が、熱意を持ってどうにか一人前に育てようとしてくださいました。このような環境で初期研修を受けられたのは、私のキャリアの軸を決める上でも重要なポイントになりましたね。
―そのような環境から出て、横浜市立みなと赤十字病院で救急科後期研修を受けられたのはなぜですか?
救急医として、他の診療科の先生方に顔が知られていることや、地域の事情を分かっていることは非常に大きなメリットです。そのメリットを捨ててまで、みなと赤十字病院の救急科で後期研修を受けたのは、苦手意識のある集中治療をしっかり学ぶためです。
集中治療の、1つ1つ細かな情報を収集して考察し、アクションを決めていく作業にものすごく苦手意識があったんです。しかし救急医の道に進むなら、集中治療を学ばないわけにはいきません。もちろん亀田総合病院の集中治療には、学ぶ者にとって十分すぎる環境が整っています。しかし亀田総合病院に残ったら、慣れ親しんだ環境に甘んじて、苦手な集中治療を学ばないと思ったのです。そこで亀田総合病院を離れることを決意しました。
みなと赤十字病院を選んだのは、救急車の受け入れ台数が常に全国上位で、救急科とICUの関係が良好であることからです。あとは、興味を持っていた災害医療に積極的に取り組んでいて、赤十字としての活動やDMATなどでの実績があったことも理由でした。
◆後輩のためのハイスペックな「踏切板」になりたい
―約半年後には帰国される予定です。その後のキャリアについてはどのように考えていますか?
所属する病院などは、まだ具体的には決まっていません。帰国後、これまで助けてくださった上司に相談したり、改めて病院見学をしたりしながら、自分の目的や肌に合いそうな病院を探していきたいと思います。
ですが、大きな目標としては主に4つあります。1つは臨床医であり続けること。2つ目は救急医として災害医療に関わり続けること。3つ目は今回の留学で得たコネクションを活用して、クリニカルクエスチョンに即した研究を続けること。そして4つ目は、後輩育成に力を注ぐことです。
私は、とりわけ何かに秀でているわけではありませんし、私よりもずっと高い目標に向かって進み、到達できるであろう後輩たちは大勢います。ですがそんな後輩たちも、臨床医としてのはじめの一歩を踏み出した瞬間は何もできません。私は、そんな彼らの一歩目、二歩目を手伝い、より高みに進むための「踏切板」にならなれます。
初期研修時代、上司や先輩方は、なるべく高いところに引き上げようと熱意を持って指導してくださいました。その熱意を、後輩に還元していきたい。そのために、できる限りハイスペックな踏切板でありたい。
フランス留学を経験しているのは、これを聞きかじった後輩の中に、より一層ユニークで高い目標を掲げて到達する後輩が出てくるのではないか。実は、そんな思いがありました。
初期研修中にかけていただいた熱意を還元したいというシンプルな動機ですが、そのために私は可能な限り自分の能力を磨き続け、ハイスペックな踏切板になりたいと思っています。
―最後に、キャリアに悩む後輩へのメッセージをお願いします。
もしキャリアに悩んでいるなら、日々「自分の興味がそそられることはないか」とダウジングし、見つけたら掘削して掘り下げる。そして拡声器で「自分はこれがしたい!」と周囲に叫ぶ。そうすれば、道は開けていくと思います。
なにもキャリアプランは明確でなくてもいいと思うのです。それよりも、自分が何に興味を持っているのかを明確にして進んでいく。そんな方法も悪くないと伝えたいです。
(インタビュー・文/coFFeedoctors編集部)※掲載日:2023年6月20日