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教育・研究の要「アカデミアと医局」への所属魅力度を上げる

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横浜市立大学医学部産婦人科学教室へ入局後、後期研修中の国内留学やサブスぺシャルティとして婦人科腫瘍専門医を取得後に横浜市医療局への行政出向、厚生労働省の医師の働き方改革推進検討会構成員、日本専門医機構理事を務めるなど、ユニークなキャリアを歩んできた鈴木幸雄先生。現在は米国コロンビア大学メディカルセンター産婦人科で臨床研究をされています。「このようなキャリアを歩むとは、大学卒業時には想像もしていなかった」と語る鈴木先生は、自分らしいキャリアを形成するためにどのようなことを意識してきたのでしょうか?

◆興味があることに取り組み、今につながってきた

―現在の活動を教えてください。

2020年12月から米国コロンビア大学メディカルセンター産婦人科で博士研究員として働いています。留学前には横浜市医療局へ出向し臨床研究に取り組んでいました。当時、次世代医療基盤法が施行され、横浜市でもレセプトデータベースの立ち上げに関わりました。それを活用した臨床研究や英語論文の執筆をしていく中で、次第に臨床研究で留学したいと考えるようになったのです。そして、コロンビア大学の産婦人科の臨床研究分野で活躍されている先生をご紹介いただき、留学することができました。

コロンビア大学でボスからまず与えられた仕事は、アメリカのレセプトデータベースの解析でした。ですが、ボスは私の詳細なバックグラウンドまで知らなかったので、アメリカのレセプトデータベースが研究課題になったのは本当に偶然の一致。運命とは分からないものだなと感じますね。

―横浜市医療局では他にどのような取り組みをされていたのですか?

大きなもので言えば、予算約1億円規模の心臓リハビリテーションの推進事業や、心血管疾患の再発防止への仕組みづくりです。産婦人科という専門性とは違う分野の業務に関わることがほとんどで、医療局ではやりがいと苦労の両方がありました。それに、病院ではない組織に馴染んでいくことも簡単ではありませんでした。しかし、幸い尊敬できる多くの仲間や上司に恵まれましたし、予算を取り事業を進めるという経験は、私にとって貴重な経験となっています。

―医師の働き方改革についての活動もされていますね。

横浜市に出向して臨床現場から少し離れたので、何か医療全体に関わる勉強をしようと、以前から問題意識のあった医師の働き方についてどのような取り組みがなされているのか調べてみたんです。すると、国では医師の働き方改革の議論が進んでいることを知ったのです。

実は医師になった時から、医師の働き方について大きな疑問を持っていました。特に、なぜ当直明けに休まないことが当たり前になっているのか、と長年考えていました。当直明けは仕事の質が下がりますし、疲れからコメディカルや患者さんへ気遣いができなかったり、ミスも多くなったりするので、絶対に休んだ方がいいですよね。そのような問題意識があったので、国の検討会での議論をたびたび傍聴しに行くようになりました。

そんな中、産婦人科学会が開催した働き方のセミナーで、たまたま厚生労働省の方とご挨拶する機会がありました。そこで私が検討会を傍聴していることや自分の考え、これまでの活動をお話ししたところ、厚労省医政局が2019年7月から実施する医師の働き方改革の推進に関する検討会に構成員(外部有識者)として加わることになったのです。当時30代で何の支援団体も持たない私のような一医師が国の専門家会議に参加することは、かなり珍しいことだったと思います。

◆後期研修中の国内留学で得たこと

―ところで先生は、後期研修中に札幌市の手稲渓仁会病院産婦人科へ国内留学されたそうですね。

横浜市立市民病院で初期研修修了後、2010年に横浜市立大学医学部産婦人科医局へ入局しました。その2年後、まだ後期研修医の立場でしたが手稲渓仁会病院産婦人科に国内留学に行くことになったのです。当時、北海道は腹腔鏡下手術がかなり浸透していて、同院産婦人科は手術件数も全国上位。いつか行ってみたいと思っていた病院でした。

後期研修中に留学できたのは運が良かったからなんです。手稲渓仁会病院産婦人科は北海道大学の関連病院。たまたま北海道大学と横浜市立大学の先生の仲が良く、人事交流の話が上がってきたところに私の希望が合致し、同院の産婦人科へ留学させていただくことができました。

このように、医師になって間もないうちに全く異なる医局に移籍するような出来事は、私にとって大きなキャリア転換期の1つだと感じています。

―なぜキャリアの転換期と感じるのですか?

国内留学はまだ医師5年目の私にとって衝撃の連続でした。関連病院であれば手技や文化など似通っている点は多いでしょうが、ここでは手技や手術のアプローチ法、使われる言葉までもが微妙に異なっていました。これまで習ってきたことが当たり前だと思っていましたが、自分の知識や経験が通用しない感覚がありました。また病院が変われば、これまで培ってきたつながりもなくなってしまったのです。

そんな環境に身を置いたことで時々混乱することもありましたが、後期研修医という若いうちに多くの価値観に曝露され、考え方や手技の多様性を実感することができたので、自分のキャリアにとって大きなターニングポイントとなりましたね。

また、手稲渓仁会病院は国際的にも開かれた病院。オープンな環境に身を置くことで、さまざまな考え方があるのだとフレキシブルに捉えることができるようにもなりました。そして病院で出会った先生たちはユニークな方ばかりで、とても刺激的な日々を送ることができました。

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医師プロフィール

鈴木 幸雄 産婦人科専門医/婦人科腫瘍専門医

米国コロンビア大学メディカルセンター産婦人科
2008年旭川医科大学卒業後、横浜市立市民病院にて初期研修修了後、横浜市立大学附属病院産婦人科で後期研修。2012年、後期研修中に手稲渓仁会病院産婦人科(札幌市)へ国内留学。2015年から横浜市立大学附属病院産婦人科勤務。2018年横浜市医療局へ出向。2020年12月より米国コロンビア大学メディカルセンター産婦人科にて博士研究員として在籍。現在、日本専門医機構理事も務める。

鈴木 幸雄
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