今困っている患者さんに研究成果をいち早く届けたい
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◆治療・リハビリ支援アプリの開発
―現在、株式会社ALANではどのような取り組みをされているのですか?
現在の取り組みは主に2つです。1つは睡眠評価装置、もう1つがパーキンソン病のリハビリ支援アプリの開発です。
睡眠評価装置としては、独自に開発した機器で心拍数を測り、AIで解析することで睡眠状態を把握できるアルゴリズムを開発しました。かかりつけ医に患者さんが「眠れません」と訴えても、睡眠状態を客観的に測定するためには、脳波計や心電図をつけて病院に一泊しなければなりません。しかもクリニックのスタッフも一緒に泊まらなければならず、自費診療になるので3〜5万円もかかります。非常にハードルの高い検査です。そのため多くの場合は検査をせずに睡眠薬を処方していて、睡眠薬の過剰摂取につながるリスクがあります。
そこで、自律神経とのつながりがある心拍数から睡眠状態を推定することができれば、簡易測定が可能となり、睡眠診療が最適化されるのではないかと考えたのです。医療機器として薬事認可を得る準備を進めていて、1年後の販売を目指しています。
パーキンソン病リハビリ支援アプリは、運動によって症状の進行を抑制できることから、無気力になりがちな患者さんの運動をサポートするものです。アプリ開発の前年度に、医師からの後押しによって患者さんの運動が促進されることを研究で明らかにしました。医師がアプリに置き換えられ、患者さんがより気軽に運動を継続できるように開発中です。ただし、類似する既存品がないため医療機器承認が難しく、スムーズにいっても販売までに3年から5年はかかると見込んでいます。
◆研究でトップを目指していたのに起業したわけ
―神経内科領域の研究に携わろうと思ったのはなぜですか?
中学時代に野口英世の伝記を読み、医師であり研究者だった彼に憧れたことがきっかけで医学部を目指しました。そのため医学部入学後も一貫して研究者を目指していましたね。病棟実習でも研究の種を探すべく、各診療科にどのような医療課題があるかを探っていました。
神経内科領域を専門にした理由の1つは、神経系の研究が他の領域に比べて遅れていたこと。もう1つは、神経が機能不全に陥った時の患者さんのQOL (quality of life) への影響が大きいと思ったからです。例えば脊髄を損傷すると、たとえ骨や筋肉に全く問題がなくても損傷下部の身体部位を動かせなくなってしまいます。当時の私は神経の身体全体に対する影響力の大きさを強く感じ、神経の治療につながる研究がしたいと思い、この領域を選びました。
―初期臨床研修を経て、慶応義塾大学大学院博士課程に進みます。
医学部入学当初から研究志向の学生は珍しく、学生時代からお世話になっていた研究室の先生に「研究者を志しているならトップを目指しなさい」と言われました。それまでは漠然と研究に携わりたいと思っていましたが、その言葉をきっかけに研究の重要性やスケールの大小も意識し始め、神経再生分野でトップと評される慶應義塾大学大学院の研究室に進むことを決めました。
―なぜ起業の道を選んだのですか?
2018年に大きな研究成果の発表をしていますが、解析系の内容であり、当初の想いである根本治療への貢献とはギャップがありました。また日本有数のトップラボだったこともあり、ノーベル賞候補と目される研究者との共同研究も経験し、多くの刺激を得られた一方、トップを目指すことの大変さも痛感していました。
そして「このままの研究テーマで続けて、果たして治療に役立つ画期的な研究成果を残せるのだろうか」と、1年あまり自らの研究テーマについて迷っていました。最終的に、より最先端の環境に身を置くことを決意し、スタンフォード大学留学の準備を始めました。ところが留学の前の短期渡米直前に、新型コロナウイルス感染症流行によって海外渡航禁止に……。
新たな決意をした直後に出鼻をくじかれ、しばらく悶々とした日々を過ごしていました。そんな時、研究室内の定例会で発表をしていると、後に共同創業者となる同僚から「その技術を臨床現場で困っている患者さんに応用できないか」と相談されたのです。その時から、自分の研究を患者さんに役立てるために事業化することの可能性を考え始めました。そして2021年、ビジネスについてほとんど知識はありませんでしたが、半ば勢いで起業を決めました。
―大きなキャリアシフトですね。
研究のポジションは持ったままでしたし、仮に失敗しても医師として働く道も残されていたこともありリスクは小さいと考えていたので、かなり気軽に起業しましたね。実際に起業してみたら、すごく自分に合っていたと感じています。
もともと、リハビリなどの研究の社会実装に興味があったんです。画期的な新薬が見つかっても、市場に出て実際に患者さんに届くまでに20年近くかかることがあります。一方でデジタル機器を使ったリハビリなどは、根本的な治療にはなりませんが、早いペースで世界に広げられる可能性があります。
20年後に多くの人を救うような新薬を作るよりも、今困っている患者さんを助けるプロダクトを3〜5年のペースで次々に出していく。将来的には根本治療に代替されていきますが、根本治療が登場するまでの間、ちょうど医学研究と根本治療の中間的な治療を提供していきたいという思いもあったのです。こういった思いから、研究の事業化に踏み切りました。
近藤 崇弘 先生の人生曲線
医師プロフィール
近藤 崇弘 株式会社ALAN代表取締役
株式会社ALAN代表取締役/慶應義塾大学医学部助教
2009年に聖マリアンナ医科大学を卒業。初期研修を経て、慶應義塾大学大学院博士課程を修了。同大学で特任助教として医工連携研究に5年間従事した後、2019年に助教就任。主研究で得た知見・スキルを社会実装することを目的として、2021年2月に株式会社ALANを創業。