アメリカの研究室に在籍し、腎臓オルガノイドの研究に取り組んでいる鴻江蘭先生。高校の頃に抱いていたエンジニアになりたいという気持ちが忘れられず、初期研修修了後には工学部大学院へ進学しました。医師として生きるか、工学の道へ進むか……葛藤を抱えながらも今の道へと進むことを決めたのは、ある患者さんとの出会いがきっかけでした。「医学の学位を取得したことが大きな助けとなっている」と話す鴻江先生に、これまでのキャリアの歩みを詳しく伺いました。
◆腎不全の治療法が少ないことに憤りを感じた
―現在の取り組みを教えてください。
私はアメリカの研究室に在籍し、腎臓再生や腎不全に対する治療薬の開発を目指して、腎臓オルガノイドを用いた研究に取り組んでいます。腎臓オルガノイドは、iPS細胞に繰り返し適切な刺激を与えながら分化誘導することで形成されます。三次元構造を再現し、本物の臓器のように細胞が適切に配置され機能するミニチュアの臓器です。たった一滴の薬剤でも十分な有効量に達するので、動物実験に比べて劇的に実験スピードが速まります。そのため、これを使って腎不全に効く薬の開発に取り組んでいます。
また、腎不全の病態解明にも取り組んでいます。現在は主に、腎臓が持っている自己修復機能が低下しないようにする、あるいは低下してしまった場合でも再活性化させる薬剤があれば腎機能の回復が可能ではないかという仮説をもとに研究を進めています。
私が目指しているのは、低下した腎機能を10%まで回復させることです。透析治療が必要な場合、腎機能は通常5%程度まで低下しています。腎機能を10%まで回復できれば、透析治療をやめられる患者さんが大勢いると考え、そこを目標に、研究に取り組んでいます。
―なぜ、この研究に取り組むようになったきっかけは何ですか?
初期研修修了後に勤務していた病院で、ある腎不全の患者さんに出会ったことがきっかけです。その患者さんは私と同い年の女性でした。彼女は妊娠中にHELLP症候群を発症し、血圧が上がりすぎてコントロールができない状態になってしまったため、妊娠を中断せざるを得ませんでした。さらに腎機能も回復せず、27歳という若さで自分の子どもと腎臓を同時に失ったのです。
彼女の場合、お母様の腎臓が適合していたので、生体腎移植を受ける予定でした。しかし当時流行した新型コロナウイルスの影響で、海外に住んでいたお母様は日本に入国できなかったんです。そのため、彼女は維持透析を続けるしかありませんでした。この状況に憤慨した私は日本大使館や外務省、厚生労働省の知人に相談し、ようやくお母様の入国が実現し、移植手術は無事成功しました。
このとき、腎不全とはどうしてこんなに理不尽なのだろうと思ったんです。腎不全の治療法は腎移植しかありません。しかしその腎移植も日本ではほとんど行われていないのが現状です。彼女と接するうちに、腎臓への治療法があまりにも少ないことに強い憤りを感じるようになりました。この思いが、今の研究へとつながっています。
◆医学と工学を学び研究者の道へ
—なぜ、医師を目指したのですか?
高校生の頃、国境なき医師団に憧れを抱いていたので、医学部に興味を持っていました。ただ、それ以上にエンジニアになりたい思いが強く、工学部への進学を考えていたんです。しかし母は「出産などライフイベントでキャリアが中断される可能性がある女性が社会で生き抜くためには、まず資格を取得した方がいい」という考えを持っていました。医学部進学を勧める母と意見が対立して悩みましたが、最終的に母の「医師免許を取得してからでも工学部に進むことはできる」という言葉に納得し、医学部へ進むことを決めました。
—初期研修修了後に工学部へ進学されていますが、専門医取得は考えなかったのでしょうか?
正直に言うと、取得しておいたらよかったかもと思うこともあります。しかし当時の私は、専門医取得にあまり意味を見出せませんでした。初期研修を修了して経済的に自立し、改めて自分が本当に取り組みたいことを考えた時、高校生の頃の「工学を学びたい」という気持ちを思い出したんです。それで約2年間、病院でアルバイトをしつつ、英語試験の準備や研究室とのコネクションづくりといった準備を経て、東京大学大学院工学系研究科バイオエンジニアリング専攻に進学しました。
この時点で将来のキャリアを具体的に描いていたわけではないので、その後のキャリアの幅を狭めるような選択は避けたいと考えていました。興味関心は5年も経てば変化することも多いでしょう。そのためできるだけ多くの選択肢を残しながら、自分の可能性を広げていきたいと考えていたのです。もし専門医が必要になれば、そのときに取得すればいいとも考えていました。実際、30代や40代で研修を受けて専門医を取得している方もいますから。
―医学と工学を学び、ご自身の中でどのような変化がありましたか?
工学の世界は面白く、進学して本当に良かったと思いました。周りには「こういうものがあったらいいよね」と話しているとすぐに設計図を描き始めるような人たちが集まっていて、まさにこういう環境に身を置きたかったんだと感じましたね。
一口に工学と言っても、その領域は非常に大きく、大学院に入ったからといってすべてを網羅できるわけではありません。私自身、まだまだ深く理解できているとは言えず、この世界の深淵にようやくつま先を入れたくらいの感覚です。改めて工学の幅広さに圧倒されています。一方で私は医師としての教育を受けてきたので、バイオについての知識は周囲よりもあり、その点では医学教育を受けてきて良かったと感じました。
そのような中、これから自分は医師として生きるのか、それとも工学の道を進むのかという葛藤もありました。しかし研究者として生きていきたいという思いは強く、以前から感じていた腎不全の治療法の少なさへの憤りに向き合うため、研究に身を置くことを決意したのです。
―その後、なぜアメリカで研究活動をすることにしたのですか?
大学院在学中、日本の研究職の厳しさを目の当たりにしてきました。大学の先生方は事務仕事がとにかく多く、常に会議や書類仕事に追われています。先生方と研究の話がしたいのに、その時間が取れないこともありました。
アメリカではほとんどの事務仕事は専属のスタッフが担当してくれるので、研究者が本来の業務に集中できる環境が整っています。さらに臨床試験から臨床実装までのプロセスが圧倒的に速いんです。こうしたアメリカの研究環境に惹かれました。
ボストンはバイオエンジニアリングの中心地と言われている地域です。マサチューセッツ州出身の夫の後押しもあり、ボストンで研究のチャンスを探してみようと約100件ほどボストンの研究室にメールを送りました。そしてお返事をいただいたのが、現在の研究室です。
◆方向転換しやすいからこそ自分の道を突き進む
—今後のキャリアパスについてはどのようにお考えですか?
アメリカでは、政権が交代すると研究活動に大きな影響を及ぼすことがあります。例えば、突然研究費の予算が大幅に削減されてしまったり、ビザの発給が制限されたりする可能性もあります。これまでにも、政策変更によって帰国を余儀なくされた外国人研究者が多くいたと聞きました。
不安定さはあるものの、今後も今取り組んでいる研究を続けていきたいと考えています。しかし娘が生まれたことで、家族の生活を支えていく責任も感じています。もし突然研究所が閉鎖されてしまっても対応できるように、バックアッププランとしてアメリカの医師免許を取得し、医師としても働ける準備もしているところです。また、この研究はバイオベンチャー企業や臓器再生に取り組んでいる企業でも続けられるかもしれません。常に状況を見極め、柔軟に対応できるよう意識はしていますね。
―最後に、後進へのアドバイスをお願いします。
高校生の時に医師を志し、今は本当にその選択に生かされていると感じます。医学部を卒業するということは、医師免許を取得するだけでなく、医学の学位も手に入れるということ。私は、この学位の取得こそが大切だと感じています。なぜなら学位は、医学や人体についてきちんと学び修めたという証明であり、世界中で通用するからです。これは国外での就職活動や、仮に違う業界に行くときにも大きな助けとなるでしょう。
私は計画を立てて歩んでいくよりも、その時の興味関心を大切にしてきました。だからこそ医師という職業は自分にとても合っていると感じています。たとえ180度方向転換したとしても対応できる。これほど方向転換しやすい職業はあまりないのではないでしょうか。ぜひ皆さんも、行きつ戻りつしながら自分の道を突き進んでほしいと思います。
(インタビュー・文/coFFee doctors編集部)※掲載日:2025年6月17日