現在はアメリカのBrigham and Women’s病院に籍を置き、予防医療の研究と事業に挑む濱谷陸太先生。循環器内科を専門に選び、臨床医としてまい進していましたが、医師4年目で「治療だけでは限界がある」と痛感。予防医療へと舵を切りました。そこからハーバード大学院博士課程に進学し、研究者としての道を歩み始めます。「エビデンスがあっても、それがすべての人に当てはまるとは限らない」——そんな前提に立ち、個人差を踏まえた予防医療のあり方を問い続けています。これまでの歩みと実現したことを詳しく伺いました。
◆現在の取り組み
—現在はどのような取り組みをされているのですか?
現在は予防医療をテーマに、研究と事業の両面から活動しています。研究では、因果推論の枠組みを用いて、誰にどんな介入が効果的なのかを明らかにすることを目指しています。特にこの2〜3年は、因果推論の代表的手法の1つであるランダム化比較試験(RCT)に関心があり、RCTのデータを活用して個々の効果を推定するような研究を進めています。
たとえば、予防医療に関しては、集団で比較し「この集団で効果があったら、これは効果がある」と議論するのは、少し乱暴な気がしています。集団の中でも年齢や性別、生活習慣、遺伝的背景など、個々の特性がそれぞれ異なるからです。そこで平均的な効果に加えて、「特定の個人にとって効果があるかどうか」という視点を取り入れるため、機械学習を用いた統計的手法を活用しています。
このように個人の視点を取り入れた解析を行うためには、十分なサンプル数が必要であり、大規模なランダム化比較試験が不可欠です。規模が大きくなればなるほど、当然ながら必要な資金も大きくなります。現在私が所属している大学は、予防医療に関する大規模なランダム化比較試験を数多く実施しており、そうした環境で経験を積むことができる点に魅力を感じ、この場を選びました。
—事業の方では、どのようなことをしているのですか?
起業して「予防診断」という新たなサービスを運営しています(https://ehehe.everyone-cohort.com/)。これは、健康診断の延長線上で生活習慣やメンタルヘルスに関する情報を科学的にフィードバックすることで、健康リスクの可視化や行動変容の後押しをしながら科学・健康リテラシーの向上につなげるサービスです。
背景には、「何かしらの予防介入を行ったときに、その後どうなったか」という追跡データが、医療現場では十分に得られていないという問題意識があります。例えば健康診断は年に1回、多くの人が受けますが、予防の観点で見ると、生活習慣や睡眠、運動、食事といった情報がほとんど取得されておらず、実際の健康支援・介入の検証に十分に活かされていないと感じていました。
また、健康診断は国や自治体による制度の中で行われるため、個人がその設計に介入することは難しいのも事実です。そこで、健康診断を「補完する」形で、生活習慣やメンタルの情報を継続的に追跡・記録し、科学的にフィードバックする仕組みをつくれないかと考えたのです。
◆これまでのキャリアパス
—循環器内科を専門に選択した理由を教えてください。
大学3年生の頃に、心筋梗塞の病態の面白さに惹かれたことがきっかけです。治療もダイナミックでやりがいがありそうだと思い、循環器内科に進もうと決めました。
初期研修は、母校の東京医科歯科大学(現・東京科学大学)医学部附属病院のプログラムに進みました。たすきがけで福島県の病院での研修も経験し、さまざまな臨床現場を見ることができたのは良い経験でした。
—予防医療に取り組もうと思われたきっかけは何だったのでしょうか?
循環器内科での臨床経験を通じて、治療だけでは根本的な解決にならないことを痛感したのが出発点です。循環器領域には予防可能な疾患が多く存在しますが、実際の現場では予防が十分に実践されていないと感じていました。
さらに、日本の医療費が年々増加している現実に直面し、このまま治療中心の医療を続けていくことの限界を意識するようになりました。医師4年目の後半に「予防に関わるキャリアを歩もう」と決めたことが、自分にとって大きな転機になりました。
—それまでは留学も視野には入れていなかったのですか?
目の前の臨床に集中していて、留学を特別意識していたわけではありませんでした。予防医療に関わろうと決めてから、「体系的に学びたい」と思うようになりました。当時、日本では予防医療の研究があまり進んでいないという情報があったので、アメリカで学ぶことを決意し、ハーバード公衆衛生大学院への進学を決めました。
—医師4年目後半から留学の準備を始められたとのことなので、スタートとしては少し遅めだったのではないかと思います。苦労はありましたか?
英語が得意ではなかったため、その点は結構大変でした。ゲームのストーリーを映画のようにまとめたYouTube動画の英語版を視聴しながら勉強していました。また、TOEFL対策の参考書を使って、地道に問題演習を重ねました。
留学後も英語に苦しみました。修士課程入学と比べ、博士課程入学のための英語のハードルはかなり高いです。ただ、臨床医として勤務していた頃に比べると時間はありますし、強制的に英語を使う環境なので、今も日々英語も勉強しながら過ごしています。
◆今後の展望とメッセージ
—今後の展望や、これから挑戦していきたいことについて教えてください。
今後の目標としては、もっと低コストかつ実践的なランダム化比較試験(RCT)が、インフラに自然に組み込まれている社会を実現したいと考えています。たとえば、学校で給食のメニューを変えてみる、病院の待合室に飾る絵を変える、企業で健康に関する通知の頻度を調整する——そういった一見些細に見えることでも、「介入」になり得るのです。
そうした低コストな介入を、自治体や病院、企業などの実社会の中に導入し、その後の人々の健康状態を継続的に追跡することで、因果関係を科学的に評価する。これにより、より生活に根ざした予防医療が実現できると考えています。
そのためには健康診断のように、予防への取り組みが定期的に評価されることが社会に定着する必要があります。あわせて、ランダム化比較試験という手法そのものが、一般の人々や行政にも理解・受容されるようになることも欠かせないと考えています。
また、科学的な根拠(エビデンス)と個人の効果とのズレにも注目しています。そもそもエビデンスが示すのは「集団における平均的な効果」であって、「あなたにとっての効果」ではありません。にもかかわらず「エビデンスがある=絶対に正しい」と受け取られがちで、「コーヒーが健康にいいです」といった単純化されたメッセージとして伝えられてしまうことも少なくありません。そのような伝わり方をすると、かえって「エビデンスは信じられない」と距離を置かれることにもつながりかねないと危惧しています。
科学的エビデンスとは基本的に、平均的な効果を推定したものであり、特に予防医療領域では個人の生活習慣や遺伝的背景、価値観、行動パターンなどによって、効果が異なるのは当然です。だからこそ、「科学は万能の答えを与えるものではない」という前提を共有した上で、個人がエビデンスとどう付き合うか、その姿勢こそが重要だと考えています。研究者としては、そうした認識を社会に根付かせていくことも、非常に大切な役割だと感じています。
—キャリアに悩む若手医師へのメッセージをお願いします。
医師という職業は、ある意味で食いっぱぐれのない、安定した職業です。だからこそ、自分が本当に興味を持てることを追求していいと思います。周囲の価値観に流されて、本来やりたくないことを続けるよりも、自分の興味・関心に正直になったほうが、結果的に長く幸せに働けるのではないでしょうか。
また、先ほど話したように、医学的エビデンスと個人の効果は必ずしも一致しないということ、そしてエビデンスは「個人の効果」ではなく「集団の平均的な効果」だということも、ぜひ意識してもらえたらと思います。科学と個人の間にあるギャップをどう埋めるかは、これからの医療にとって重要なテーマの1つと考えています。
(インタビュー・文/coFFeedoctors編集部)※掲載日:2025年9月19日