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地域医療をバックアップする外科医になりたい

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記事

医師9年目で消化器外科医の有路登志紀先生は、大学入学時から地域医療寄りの志向だったものの、理想の医師像は外科医で、キャリアパスに悩んでいた時期もありました。しかし現在は、外科医として地域医療を支える医師になろうと奮闘しています。どのようなことを考え、現在の道に進むことになったのでしょうか。

◆2人の外科医との出会い

―医師を目指した理由から教えていただけますか?

医師を志したきっかけは母が養護教諭だったこと。小さい時から医療知識のある人が近くにいることで安心感がありました。自分も人の役に立ちたいと考えた時に、医療の知識が役に立つと考えて医師を目指しました。

医師の中には最先端の高度な医療を提供する方もいますが、私は医学部に入学した当初から、人の人生に寄り添い、生活に近い場所で医師としてのスキルを役立てたいと思っていたので、志向としては地域医療寄りでした。

-外科に進もうと思ったきっかけは何だったのですか?

医学生時代に出会った一人の医師がきっかけです。

その先生は、緩和ケアがまだ市民権を得ていない時代に外科医から緩和ケア医にキャリアチェンジし、積極的に在宅医療に取り組んでいました。家に帰りたい希望があっても、病院の医師から許可が得られないことが多かったなかで、その先生は自らの責任で家に連れて帰り、タバコや晩酌なども含めて本人の生きたいように過ごすことを、全力でサポートしていました。

その先生には個人的にお世話になっています。実は私の祖父は群馬県内に住んでいましたが、私の学生時代に進行肺がんが見つかりました。看取りを含めて考えないといけなかった時に、その先生に診てもらったことが初めのご縁でした。最終的には看護付きマンションで祖母や家族に支えられながら亡くなりましたが、一歩踏み込んだ訪問診療のおかげで、最後まで誇りを持って過ごしていました。

「残りの時間は長くない。しっかりと想いを言葉にしてあげて。ありがとうって伝えてあげて。」

死期が近づくなか、どうしたらいいかわからず不安な家族に向かって言ってくれた言葉。

その先生の医療に出会ったことで、経験に基づいた医療者の一言は、薬や治療と同じくらい影響力があることを知り衝撃を受けました。元々外科医でがん手術の研鑽を積んでいるからこそ出てくる言葉。その言葉は医学的知識をベースとした医療とは違う、もう1つの医療の姿だと感じました。そして自分もそんな医師になりたいと思い、外科に興味を持ちました。

ただ自分の中で、外科の専門性と地域医療が漠然として上手く結びつかず――答えが出ないまま、初期研修に突入することになりました。

―では、初期研修で外科に進むことを決意したのですか?

そうですね。初期研修を受けた公立富岡総合病院の外科医の姿に憧れ、最終的に外科医になることを決意しました。

同病院は人口10万人規模の医療圏の中核病院。外科医の院長が非常にアクティブで、常に現場に出ているような先生でした。そして、その先生がいることで、病院自体が活気に溢れている印象を強く受けました。

他の診療科で困ったことがあると外科が引き受け手術を含めてサポートしたり、救急医療も外科を中心に全体でサポートし合ったり――外科が何でも診るというスタンスで、総合的に病院のバックアップをしているからこそ、他の診療科の先生方も自分の診療に専念できていたように感じました。

そんな病院を見て、どんな患者さんでも受け入れられる体制があると、地域医療の8割をその地域内で完結させることができると感じたのです。そのように、地域の中核病院で地域全体のバックアップ役を担っている外科に魅力を感じ、外科医になることを決意しました。

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医師プロフィール

有路 登志紀  消化器外科

神奈川県出身。2011年群馬大学医学部卒業、同年より公立富岡総合病院にて初期研修。2013年より群馬大学病態総合外科学講座に入局、さいたま赤十字病院や原町赤十字病院等で研鑽を積み、後期研修プログラムを修了。2017年4月より森山記念病院消化器外科に在籍。

有路 登志紀
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