静岡県伊豆の国市にある伊豆保健医療センターで、総合診療科科長として入院・外来・在宅診療に携わりながら、未来プロジェクト室室長として地域で最期まで暮らし続けるための仕組みづくりを進める清水啓介先生。小学生時代に聞いた難民キャンプの話をきっかけに医師を志し、救急医療を経て総合診療へ。いまは「日本の高齢者ケアモデルを確立し、世界へ発信する」プロジェクトに参加しています。伊豆で取り組む地域包括ケアの挑戦、キャリアの転機となった出会い、そして国際保健に興味のある後進へのメッセージまで、詳しく伺いました。
◆現在の取り組み
——現在はどのような活動をされているのですか?
わたしは現在、伊豆保健医療センターで総合診療科科長として入院・外来・在宅診療業務に従事するとともに、非常勤医師のサポートやマネジメントを担っています。また、地域ケア部のリーダーとして、訪問診療全体のマネジメントや病院内での調整も行っています。ほかには、未来プロジェクト室室長として、地域の方々をこの地域で最期までみていくためのシステムづくりに携わっています。
——どのようなきっかけから伊豆保健医療センターに赴任されたのですか?
もともと私は学生時代から国際保健に興味がありました。一方で、地域によって医療や福祉のあり方、医療者に求められていることが全然違う、ということを強く感じてきたんです。
私は佐久総合病院で総合診療を学んでいたのですが、そこには先輩方が築いてきたシステムがすでにあり、私はどちらかというと「学ぶ側」でした。次はもう少し実践する側、アウトプットする側になりたいと思っていたタイミングで、順天堂大学国際教養学部の湯浅資之教授から声をかけていただきました。
「伊豆の国市にある伊豆保健医療センターという病院で、日本の高齢者ケアのモデルを構築し、それを世界に発信していこうと思っている。高齢者ケアのうち、在宅医療や地域包括ケアの部分を担ってくれないか」と。
湯浅教授とは、学生時代に国際保健のスタディツアーに参加したときにお世話になったのが最初の出会いでした。その後は年に1回、学会で会うくらいの関係でしたが、思いがけないタイミングで声をかけてくださったのです。
私としても、これまでの地域医療、総合診療、在宅医療の経験を生かしながら、医師になった当初から思い描いていた国際保健にも少し関わることができる。さらに「日本の高齢者ケアモデルを世界に発信する」という構想があり、そこに携わりたいと思って伊豆に来ることを決めました。
——伊豆の国市での「日本の高齢者ケアモデル」とは、どういう構想なのでしょうか?
日本は高齢化の最前線にいる国です。だからこそ、高齢化に対応できる医療・福祉のモデルをここで作り、それを“パッケージ”として世界へ発信していこう、という構想です。
高齢者ケアにおいて、医療はもちろん重要ですが、それだけでは成立しません。高齢者が住む場所をどうするか、地域全体で見れば食料問題やエネルギー問題、DXやデジタル技術の活用まで含めて「どう街づくりをするか」が問われます。そうした全体像の中で、医療・ケアの部分を中心になって形にしていくのが私の役割です。
——未来プロジェクト室では、どのような取り組みをされたのでしょう?
総合診療医としても、未来プロジェクト室室長としても、どちらの取り組みも高齢者ケアモデルに紐付きますが、未来プロジェクト室では主に地域に向けた情報発信と、地域に開かれた活動を進めています。在宅医療の情報を発信したり、住民向けの講座を開催したり。ラジオ番組を制作したこともあります。ほかにも、地元野菜の直売所と連携して健康レシピを作ったり、農家さん向けの健康講座に取り組んだり。いろいろな形で地域の方と関わる活動を進めてきました。
また、行政との連携も重要です。総合診療や在宅医療は、その人の生活を支えることを重視します。医療者だけで完結するものではないので、行政と一緒に地域の仕組みをつくっていく必要があります。行政の事業に協力したり、在宅医療関連の事業にアドバイザーとして参加したりしながら、地域の“地盤づくり”に取り組んでいます。
◆これまでのキャリア
——医師を志した原点を教えてください。
小学生のときに、難民キャンプを取材してきたカメラマンの話を聞く機会がありました。日本では困らないようなことで困っている人が世界にはいる、ということを知って、漠然と「そういう人のために何かできたら」と思うようになったのです。
中学・高校と進んで進路を考えたとき、「困っている人のためにできること」として、医師になるのがいいのかなと考え、医学部進学を決めました。
——医学部に進んで、当初イメージしていた医療とのギャップがあったそうですね。
医療が高度になれば、救えなかった患者さんを救えるようになります。それはとても重要です。ただ一方で、全体の効率という観点で見ると、必ずしも莫大な医療資源を投じても“救える命の数”は比例しない場合もあります。
例えば、検査で偶然見つかった疾患に対し、介入することでリスクを下げられるとしても、そこに至るまでには膨大な検査が行われている。合併症のリスクもある。もちろん一人の命を救う意味は大きいのですが、「途上国の方の生活改善につながる医療に関わりたい」という当初の志からすると、ギャップを感じたのが率直な印象でした。
——そこから救急医療を志したのはなぜですか?
国際保健や難民キャンプ医療の分野に関わるには、内科も外科的なことも含めて、ある程度一人で対応できる力を身につけたいと思ったんです。救急なら幅広い疾患に対応し、全人的に診る力が身につくのではないかと考えました。
初期研修は八戸市立市民病院で行いました。「劇的救命」を合言葉に高度な救命医療を行っていて、知識やスキルは大いに学ばせていただきました。ただ、集中治療には人的コストも医療資源も大量に投入されます。そうして命は助かったとしても、寝たきりになるなど、その後が必ずしも幸せな人生につながるとは限らない。命を救うことが、その人の生活や幸せに直結していないのではないか──初期研修の2年目に、そんな感覚がありました。
——その後、総合診療に出会った経緯を教えてください。
当初は総合診療を強く意識していたわけではありませんでした。ちょうど私が専攻医になる頃に総合診療専門医制度が整ってきたので、最初は「そういうものができた」くらいの認識でした。
ただ、国際保健への関心から、国際保健分野で活躍されている先生方が所属している佐久総合病院(仮)を知り、その理念に触れる中で、「国際保健と地域医療は表裏一体」という考え方を学びました。地域を知らなければ、人々の生活や人生に役立つ医療は提供できない。だからこそ、次に自分がやるべきは“地域を見ること”だと感じ、佐久で研修を受けることに決めたのです。3年間で、地域の人の生活や人生を支えるとはどういうことかを学び、次は自分が実践する側になりたいと思い、伊豆保健医療センターに行くことを決めました。
——専門研修修了直後から診療科をまとめ、診療以外の役割も担うことに迷いはありませんでしたか?
迷いはありました。マネジメント経験はほとんどなく、むしろ教わる側だったので、いきなり立場が変わった難しさは大きかったです。年次が上の先生方とどうコミュニケーションを取るか、病院側や経営側とどう調整するか。悩むことは多かったですね。
一方で、地域に出て住民の方と接点を作っていくと、医療や健康へのアンテナが高い方々が集まってくださいます。そこから活動が広がっていく手応えもありました。
また、地域には熱心に取り組んでいる保健師さんや地域包括支援センターの職員さん、ケアマネジャーさんがたくさんいらっしゃるのですが、「医師の後ろ盾がないと活動が広がりにくい」という課題があったようでした。私が地域に出ていくことで、そうした方々の活動が広がり、地域がまとまっていく感覚もありました。ただ、さらに裾野を広く地域の方々に興味を持ってもらうにはどうしたらいいのか、という点には今も難しさを感じています。
——現在の課題はどこにありますか?
総合診療のベースを持つ医師が、現状は私ともう一人くらいしかいません。地域全体を支える上で、総合診療の視点や能力は今後さらに重要になるはずです。その視点と能力をどう担保するか。そして継続的な人材確保をどうするか。ここが今の大きな課題です。
◆これからの展望
——いくつもの取り組みを支える原動力はどこにあるのでしょうか?
命を救うだけではなく、生活や人生を支える医療がしたい、という思いです。それが今の時代に求められていることだと、地域の方々と接していても強く感じます。生活や人生を支える医療をどう広げていくかは大事なテーマで、その思いが原動力になっています。
また、湯浅教授のつながりで、年に1〜2回海外から視察や研修に来られる方々がいます。そうした方々と議論していると、日本の高齢者ケアへの関心が世界的に高まっているのを実感します。伊豆で高齢者ケアモデルを確立することはスケールの大きい挑戦ですし、そこに携われていることも、モチベーションにもつながっています。
——今後の展望を教えてください。
高齢者ケアモデルを確立するため、総合診療や在宅医療の土台をしっかりつくることはもちろんですが、展望の1つは、この地域を「地域医療と国際保健をつなぐ拠点」にしたいという目標です。例えば医師のグループを作り、普段は地域で医療活動をしながら、順番に海外へ行って数カ月ずつ活動できるような仕組みができればいいなと思っています。そうすることで、私のように国際保健に興味がある人が、より挑戦しやすい環境になるからです。
もう1つは、私自身がもう少し俯瞰して、医療・介護のシステムについて学ぶことです。日本の在宅医療は日本の国民皆保険システムの上に成り立っています。同様のシステムがない国で在宅医療をどう確立するかを議論するにも、まずは日本の仕組みをしっかり理解していないと話になりません。だからこそ学びたいと思っています。
——最後に、キャリアに悩む後輩医師へメッセージをお願いします。
国際保健は、「このキャリアをたどれば到達できる」という定型が見えにくい分野だと思います。さまざまな働き方がある一方で、どう辿り着くかははっきりしません。だからこそ私は、「やりたいことを周りに話し続けること」を心がけてきました。実際に、学生時代に出会った湯浅教授をはじめ、さまざまな場で自分の関心を口にしてきました。その結果、専門研修が終わるタイミングで声をかけていただくなど、次の機会につながることがありました。
スキルや経験がなくて自信が持てず、口にできない人もいるかもしれません。でも機会があれば経験は積めます。まずは「何がやりたいのか」を言葉にして周りに伝えていく。そうすることで、次の世界を開いてくれる出会いや機会が訪れると思います。
(インタビュー・文/coFFeedoctors編集部)※掲載日:2026年1月24日