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INTERVIEW

株式会社Studio Gift Hands 代表取締役

眼科・産業医

三宅 琢

働き方に革命を起こす!

 「先生の仕事は何ですかって聞かれると、結構答えづらいんですよね……」という三宅琢先生。3年半前までは病院で眼科医をされていましたが、現在は産業医の仕事をメインにしながら、神戸の理化学研究所で「眼科×IT」の研究をしていたり、アップルストアで目の不自由な方にiPadの使い方を教えていたり、東京大学で教育分野へのITの導入法を勉強していたりと、幅広くご活躍されています。「でも、これらの活動は全てつながっていて、私の軸にあるのは『働き方の改革』なんです」

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「産業医」という仕事の可能性

臨床の眼科医から産業医になろうと思ったのはなぜですか?

 私は眼科の一家で生まれ育ちました。当然のようにして私も眼科医になったのですが、ある時、多くの医師が歩むキャリアプランの中に、自分の目指したい道がないことに気づいたのです。周囲を見渡してみても「あの先生のようになりたい」と憧れる先生はいませんでした。

 そうして進路に悩んでいた時期に参加したのが、産業医の研修会だったのです。そこで産業医という職業の素晴らしさを知り、激しい衝撃を受けました。薬を使わず、手術もしない。にもかかわらず、個人だけでなく、社会までなおす。それを聞いて、「なんだこの職業は! こんなに面白い仕事があるのか」と。すでに持っていた眼科の専門医と博士号をベースにしながら産業医をやれば、すごく面白いに違いないと、この仕事に計り知れない可能性を感じました。

 それまでは自分が眼科に向いているかどうかなど考えたこともありませんでしたが、この時、自分には眼科医よりも産業医のほうが向いているという強い確信がありました。「あ、これだ」という感覚があって、ストンと腑に落ちたんです。

 眼科はもちろん好きです。でも私は特段手術が得意なわけでもなかったし、父親のように研究で大発見をして医学に貢献できる可能性も、高くはなさそうでした。自分が眼科で成功していくのは難しそうだなと感じていたのです。だからといって他の道も思いつかず、眼科医としての進路に悩み始めた時に巡り合ったのが産業医の仕事でした。

 眼科医をしていた頃は、医療の限界を感じることがよくありました。失明してしまった人や治せない病気の人に対して、何もできないやるせなさがあったんです。ところが産業医が向き合うのは、病気や患者さんではなく、企業です。人の生き方や働く人の集合体としての組織が相手なのです。そこで起こる問題の多くは「働き方」と「仕事」の不適合にありますから、基本的に治せない企業というのは存在しません。疲れ気味で体調の悪い人も、病気や障害を抱えながら働いている人も、全ての人の人生を輝かせることができる可能性を持っているのが産業医なんです。

 産業医であれば、多くの眼科医が治療を諦めてしまっている失明した人たちや、治せない病気の人たちを診ることもできるかもしれない。「眼科医には治せない人たちを治す医師になる」という道筋が見えました。

 

他にも産業医に可能性を感じた点はありましたか?

 産業医は、ビジネスとして成立させることができるのも魅力の一つです。一般的な医療行為の対価は、国により診療報酬として決められているため、いくらよい医療を提供してもお金になりにくい面があり、国の方針が変われば診療報酬が下がってしまう可能性もあります。ですから、医療は安定したビジネスとしては成立しにくいのです。お金儲けのために自分がやりたくない医療をしたり、いい医療をするために自分が過労になったり……。それでは患者さんも自分の人生も、ハッピーにはなりません。

 でも産業医であれば、自分がやりたいことと企業が求めていることが一致し、かつビジネスにもなる。そういうストーリーがくっきりと見えて、これをやらない手はないと思いました。父親に対する後ろめたさを抱えながら眼科医を辞める必要もないし、産業医での十分な収入があれば、採算の合わない新しいことにも挑戦できます。無償にもかかわらず、今アップルストアで目の不自由な方に向けて月に何度も授業を行うことができているのも、産業医をしているおかげなのです。

 昔の産業医は、健康診断の結果を見て書類にはんこを押し、残業時間の長い社員と面談しているだけでもよかったのかもしれません。けれども企業がどんどん様変わりしていく中、ITベンチャーやアパレルのような若い企業にそういう先生はそぐわない。眼科領域での成功は難しそうだった自分でも、悩みを抱える人々と向き合い一緒に考える柔軟さとひらめきが求められる産業医の世界なら、元来の文系脳と機転のよさを生かして、一番になれるかもしれないと思いました。

 産業医の仕事は、医師というよりコンサルタントに近いかもしれません。医師の多くは医療をしたくて医師になるので、せっかく医学の勉強をしたのにどうしてわざわざ医療を提供しない分野に行くのかと首をかしげる人もいるでしょう。でも、私と同じように現在の医療に限界を感じている人や、いきいきと働ける社会をつくりたい人、疾患よりも社会のほうに視点が向いている人にとって、産業医は最高に面白い仕事なんです。

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PROFILE

三宅 琢

株式会社Studio Gift Hands 代表取締役

三宅 琢

2005年東京医科大学を卒業後、東京医科大学八王子医療センターで初期研修を行う。2007年東京医科大学眼科学教室入局。2012年東京医科大学眼科兼任助教。永田眼科クリニックに勤務する傍ら、Gift Handsの代表となる。同年東京医科大学大学院修了。日本アルコン株式会社他の嘱託産業医を務める。2013年三井ホーム株式会社、佐川急便ホールディングス他嘱託産業医。2014年より株式会社ファーストリテイリングの本部産業医、東京大学先端科学技術研究センター人間支援工学特任研究員。同年、株式会社 Studio Gift Handsを設立し、代表取締役に就任。眼科医・産業医として、視覚障害者向けの情報サイトを運営し、グッズの開発やアプリ紹介を行う。病院・福祉施設等では、視覚障害者ケアに関するiPad導入のコンサルティングも行っている。また、全国のアップルストアや盲学校などで行っているiPad活用法の講演は、分かりやすいと定評がある。
医学博士、日本医師会認定産業医、日本眼科学会眼科専門医、産業衛生専攻医、メンタルヘルス法務主任者、ヘルスケアコンサルタント、iOSアクセシビリティコンサルタント

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