「産業医」という仕事の可能性
臨床の眼科医から産業医になろうと思ったのはなぜですか?
私は眼科の一家で生まれ育ちました。当然のようにして私も眼科医になったのですが、ある時、多くの医師が歩むキャリアプランの中に、自分の目指したい道がないことに気づいたのです。周囲を見渡してみても「あの先生のようになりたい」と憧れる先生はいませんでした。
そうして進路に悩んでいた時期に参加したのが、産業医の研修会だったのです。そこで産業医という職業の素晴らしさを知り、激しい衝撃を受けました。薬を使わず、手術もしない。にもかかわらず、個人だけでなく、社会までなおす。それを聞いて、「なんだこの職業は! こんなに面白い仕事があるのか」と。すでに持っていた眼科の専門医と博士号をベースにしながら産業医をやれば、すごく面白いに違いないと、この仕事に計り知れない可能性を感じました。
それまでは自分が眼科に向いているかどうかなど考えたこともありませんでしたが、この時、自分には眼科医よりも産業医のほうが向いているという強い確信がありました。「あ、これだ」という感覚があって、ストンと腑に落ちたんです。
眼科はもちろん好きです。でも私は特段手術が得意なわけでもなかったし、父親のように研究で大発見をして医学に貢献できる可能性も、高くはなさそうでした。自分が眼科で成功していくのは難しそうだなと感じていたのです。だからといって他の道も思いつかず、眼科医としての進路に悩み始めた時に巡り合ったのが産業医の仕事でした。
眼科医をしていた頃は、医療の限界を感じることがよくありました。失明してしまった人や治せない病気の人に対して、何もできないやるせなさがあったんです。ところが産業医が向き合うのは、病気や患者さんではなく、企業です。人の生き方や働く人の集合体としての組織が相手なのです。そこで起こる問題の多くは「働き方」と「仕事」の不適合にありますから、基本的に治せない企業というのは存在しません。疲れ気味で体調の悪い人も、病気や障害を抱えながら働いている人も、全ての人の人生を輝かせることができる可能性を持っているのが産業医なんです。
産業医であれば、多くの眼科医が治療を諦めてしまっている失明した人たちや、治せない病気の人たちを診ることもできるかもしれない。「眼科医には治せない人たちを治す医師になる」という道筋が見えました。
他にも産業医に可能性を感じた点はありましたか?
産業医は、ビジネスとして成立させることができるのも魅力の一つです。一般的な医療行為の対価は、国により診療報酬として決められているため、いくらよい医療を提供してもお金になりにくい面があり、国の方針が変われば診療報酬が下がってしまう可能性もあります。ですから、医療は安定したビジネスとしては成立しにくいのです。お金儲けのために自分がやりたくない医療をしたり、いい医療をするために自分が過労になったり……。それでは患者さんも自分の人生も、ハッピーにはなりません。
でも産業医であれば、自分がやりたいことと企業が求めていることが一致し、かつビジネスにもなる。そういうストーリーがくっきりと見えて、これをやらない手はないと思いました。父親に対する後ろめたさを抱えながら眼科医を辞める必要もないし、産業医での十分な収入があれば、採算の合わない新しいことにも挑戦できます。無償にもかかわらず、今アップルストアで目の不自由な方に向けて月に何度も授業を行うことができているのも、産業医をしているおかげなのです。
昔の産業医は、健康診断の結果を見て書類にはんこを押し、残業時間の長い社員と面談しているだけでもよかったのかもしれません。けれども企業がどんどん様変わりしていく中、ITベンチャーやアパレルのような若い企業にそういう先生はそぐわない。眼科領域での成功は難しそうだった自分でも、悩みを抱える人々と向き合い一緒に考える柔軟さとひらめきが求められる産業医の世界なら、元来の文系脳と機転のよさを生かして、一番になれるかもしれないと思いました。
産業医の仕事は、医師というよりコンサルタントに近いかもしれません。医師の多くは医療をしたくて医師になるので、せっかく医学の勉強をしたのにどうしてわざわざ医療を提供しない分野に行くのかと首をかしげる人もいるでしょう。でも、私と同じように現在の医療に限界を感じている人や、いきいきと働ける社会をつくりたい人、疾患よりも社会のほうに視点が向いている人にとって、産業医は最高に面白い仕事なんです。
0点を1点にする
産業医の仕事で「社会をなおす」とは、どういうことでしょうか?
10年後も30年後も元気な企業でいられるように、企業の健康寿命を伸ばしていくことが産業医の使命です。売上がどんどん上がり、社員の皆さんが笑顔で挨拶してくれる姿を見ると、ああ、この企業は元気になったなと思います。
だけど自分が関わっている企業だけが元気になっても、物足りないんですよね。自分が直接関われない企業も元気にしていきたい。そこでまず、企業の中で最もハンディキャップやストレスを抱えている人たちへのアプローチを考えました。そういう人たちって誰だろうと考えてみると答えは決まっていて、障害者雇用の人なんです。
例えば、障害者枠で雇われている目の見えない人は、袋に穴が空いていないかをチェックするだけ、というような単純作業を仕事にしていることがあります。企業の人事担当者は法的な面から障害者を雇っているけれど、彼らのモチベーションにまでは気が回っていないのです。
でも目が見えない人は、目が見える人よりも記憶力が良かったり、空気を読むのがうまかったりします。例えば、もともと相手の顔が見えない電話対応では、普通の人よりも目の見えない人のほうが優れた対応ができる可能性が高い。目が見えないことが、仕事の上でのアドバンテージになることもあるのです。
目は見えないけれど人の話を聴くのが得意という人であれば、心理カウンセリングを行いながら社員の相談に乗るヘルスキーパーにも向いています。人と話すのが苦手な社員でも、目の見えない人が相手なら安心して話せるというケースもあるからです。
障害があっても活躍できる場所を見つけてあげれば、「バリア」が「バリュー」に変わります。それまで障害だと思っていたマイナス点が、いきなりプラスになるのです。目の見えない人に他の社員でもできる仕事をさせるのではなく、目が見えないからこそのアドバンテージを業務にすれば、社員も企業もハッピーになるんです。
障害者の働き方を変えることができれば、社会の仕組みも変わっていきます。多くの障害者が普通雇用の人と変わらない働き方をするようになれば、今よりも多い収入を得て、税金を収められるようにもなります。補助金ありきだった障害者の社会生活のあり方がひっくり返るかもしれません。社会にイノベーションが起こるかもしれないのです。
障害のある人の多くは、自分が社会で輝けることなんてありえないと思ってしまっています。そんな姿を想像することさえできないんです。でも「あの人みたいになりたい」というモデルケースがあれば、それを灯台として進んでいくことができます。だから私は、障害があってもいきいきと働けるという、モデルケースを作っていきたい。先ほど挙げた電話対応やヘルスキーパーの例は、単なる例え話ではありません。実際に目の見えない方がこういった業務に就いて、活躍している企業があるのです。
どこまで頑張るかはその人次第ですが、目指す道が見えなければ頑張ることさえできません。結局、私たちがやるべきなのは、100点の人をつくることではなく、0点の人をなくすことなんです。
「0点の人をなくす」ということについて、もう少し詳しく教えていただけますか?
「障害者なんだから、助けてあげなきゃいけない」となると、それは支援です。だけど彼らは、支援は受けたくないんですよ。自力で生きていきたいんです。
目が見えない人にとって問題は、目が見えないこと自体よりも、生活に必要な情報を自力で取れないことにあります。だけど今はiPadやiPhoneを活用すれば、見えにくいものを拡大したり、テレビ電話機能で知り合いに教えてもらったり、GPSによるナビゲーションを使ったりと、目が見えなくてもいくらでも情報を取ることができます。ですから、最初の一歩さえ踏み出すことができれば、障害があってもどんどん自分で生活の幅を広げていくことができるのです。その一歩を踏み出せること。これが0点を1点にするということなんです。
iPadの活用法を覚えて目が見えなくても情報を取れるようになった人からは、「先生、本当に目が開きました」とか「アイオープニングでした」ということをよく言われます。医療を行っているわけではないのに、失明した人の目が見えるようになった、という状態なのです。これにはもう、眼科医としてこの上ないやりがいを感じます。失明したからこそできることもあると分かれば、眼科医のゴールは、目を治して見えるようにすることだけではなくなります。これはまさしく革命だと思うのです。
新しい働き方を提案する
医師の働き方という面に関しては、どのように感じていますか?
置かれている状況や強みに合った自分のストーリーを描くためには、0を1にする情報が必要です。30代ぐらいの医師は進路に悩む人も多いと思いますが、私の場合はその時期に産業医という仕事を知り、それがまさに0を1にする情報でした。私と同じ産業医の研修を受けても、産業医になりたいとは思わない医師もいるでしょう。けれども重要なのは、その人が産業医になるかどうかではなく、そこに一つのモデルケースがあるということなんです。
毎日いろいろな企業に行って、週末はアップルストアでボランティアの授業をして、大学で勉強や研究もして、薬を出さずにITを出す眼科医がいる。そういう私の働き方を見て「これって自分にもできるんじゃないの? 自分もそんな生き方がしたい!」と思う人も、きっといると思います。そういう人たちがどんどん増えてくれば、医師の多様な働き方が当たり前になる時代がくるかもしれません。
医師自身がハッピーでなければ、患者さんをハッピーにすることはできません。そのためには、医師の働き方を工夫しなければならない時期にきていると思います。産業医を主軸にした働き方は、その一つだと思うのです。
例えば多くの女性医師は、結婚・出産・育児によって、その先のキャリアプランを描けなくなってしまっているのが現状で、この時点でたくさんの医師免許が白紙に戻っています。これはものすごくもったいない。子育てをしながらでも余った時間で働ける環境があればいいのに、と思いませんか。
産業医になれば、一度途絶えてしまった医師のキャリアを復活させることもできますし、月に1回1時間企業に行くだけでもものすごく喜んでもらえます。医療の現場ではハンディになる結婚・出産・育児の経験も、企業の中では同世代の女性社員の共感を得やすいというアドバンテージになります。産業医は、医師免許を持ちながらも働けなかった女性医師の「バリア」を「バリュー」に変える新しい働き方の一つでもあるのです。
産業医に向いているのは、どのような医師ですか?
産業医になるのに診療科や医師経験年数は関係ありません。ですが人と話すことが好きで、「患者さんは何を言いたいんだろう」「どうして患者さんはそう思うんだろう」というところに興味を持てる人は、特に産業医に向いていると思います。私自身がそういうタイプで、この仕事が楽しくて仕方ないし、すごく自分に合っています。
眼科医をしていたころは、まさか自分がこんなふうにさまざまな活動をするようになるなんて、思ってもいませんでした。キャリアプランもなく、先の道筋さえ全く見えていなかった。でも、産業医って楽しそうだなと思って大学を辞め、ただ好きなことをやり続けていたら、いつの間にかこうなっていたんです。
全ての原点は、スティーブ・ジョブズがスタンフォード大学の卒業式で行った「伝説のスピーチ」にあります。私が進路に悩んだ時、最も憧れていた京都府立医科大学の教授のところに相談に行きました。すると「スティーブ・ジョブズの伝説のスピーチを見なさい」と言われたんです。帰りの移動中にYouTubeで見てみたら、涙が止まらなくなりました。今日一日をどう生きるかが全てだということ。それなのに、なぜ本気で自分の心の叫びに従わないのか。本当にやりたいことをやれ。そして最後には必ず全部つながるから、ドットをつなごうとするな、と。
産業医になって3年半経った今、いろいろなことが急激につながりはじめています。これまで見えていなかった自分がやってきたことの全体像が、突如として見えてきたんです。産業医の仕事も、ITを活用した視覚障害者のケアも、アップルでやってきた授業も、神戸で進めている視覚障害者向け情報センターの設立も、東大でやっている教育分野の変革も――私がやっていることは全て同じ「働き方の改革」であり、新しい働き方の提案だったんです。
三宅先生にはなぜそれができたのでしょうか?
自分の個性と強みが時代のニーズにマッチしたのだと思います。ITが普及しネット環境が整備されたことで、今は場所にとらわれずに仕事ができる時代となりました。メンタルヘルスと働き方の改革が社会的な課題であり、企業や社会の産業保健への期待も高まっています。それに伴ってストレスチェックの義務化や障害者雇用における合理的配慮に関する法改正の動きも出てきている。仕事を変えることで自分自身を救う体験をした私には、これほどニーズにマッチした環境にいる自分が頑張らなくてどうするんだという強い使命感があります。私はこの時代に生まれたことに、本当に感謝しています。
変化の激しい時代ですから、今の働き方が10年後もまだ存在しているかどうかなんて、誰にもわかりません。だから今の仕事が合わないと思ったら、自分に合う新しい働き方を見つければいいんです。何かやってみても何にもならないかもしれないけれど、何も変えずにいてハッピーになることはありません。やっぱり自分が変わるしかないんです。
そのためには灯台となるモデルケースが必要です。私自身の働き方も、一つのモデルケースになればいいなと思っています。その人が本来いるべき場所、最も輝く場所に導いてあげることが、私の人生を懸けた使命だと思うんですよ。
インタビュー・文 / 木村 恵理