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INTERVIEW

株式会社メドレー

代表取締役医師

豊田 剛一郎

ITを使って患者の医療リテラシー向上を目指す

「医療ヘルスケア分野の課題を解決する」というビジョンのもと設立された株式会社メドレー。そこに2015年2月から、代表取締役医師として参加している豊田 剛一郎先生は、脳神経外科医として国境を越えながらキャリアを積んでいく予定でした。ところが初期研修中に日本の医療システムに疑問を感じ、一度は米国に渡ったものの日本に帰国し、医療現場を離れ、企業の代表として医療の課題解決に取り組むことを決意しました。その根底にある想いを、お話していただきました。

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医療界の外から課題解決に取り組むことに、情熱を感じた

-研修医の時に医療課題に気付いたのですよね。どのようなこときっかけだったのですか?

脳という臓器に惹かれて脳神経外科医を目指し、初期研修では、聖隷浜松病院に行きました。毎月10日ほど当直もあり、忙しい病院でしたが「やれることは全部やる」ことがモットーの病院で、充実した日々を送りました。一方で「まるで蛇口ひねれば水が出るのと同じ感覚で際限なく医療が提供されている。この今のシステムでやり続けていたら、日本では医療者が何人いても足りないのでは?」という疑問も感じ始めるようになったのです。

こうして日本の医療の仕組みに興味を持ち調べ始めたことで、今後の日本は医療費を払う人が減り使う人が増える一方だという状況を知り、危機感を覚えるようになりました。40兆円の医療費を仮に20万人の医師が使い道を決定しているとすると、医師一人で2億円使っていることになります。さらに医療技術は進歩し、できることは増えていくため、医療費は増加する一方です。世界に比べても充実した日本の医療システムは、果たして維持しつづけられるのでしょうか。その疑問をさまざまな先生方にぶつけてみると、どの先生も「これではダメだよね、日本の医療は潰れてしまう」とおっしゃるものの、何をどう解決したらいいのか、そして誰がやるのかという答えは見つからないままでした。

-そんな思いがありながら、一度は米国へ渡ったのですよね?

学生時代に海外の病院実習に行ったことがきっかけで、国境をまたいで医師としてのキャリアを積んでいくことに憧れていました。そして米国が取り組みたい分野に関して最も進んでいたので、米国での臨床医を目指していました。その入り口として、まずは研究から始めようと思い米国へ渡ったのです。

しかしちょうど米国行きが決まった頃、「日本の医療課題は誰が解決すればいいのだろうか?」という思いが一番ピークに達していました。学生の時からの夢を突き進むか、日本の医療の変革に取り組むか、どちらにより情熱を注ぐべきかを改めて考え抜いた結果、医療を外から変えていく道を選びました。そこで、医療ヘルスケア関連企業のコンサルティングの経験も積めるマッキンゼー・アンド・カンパニーに入社することを決めたのです。

-何が決め手となって医療現場を離れることにしたのですか?

最終的には、尊敬する先生方の言葉が背中を押してくれましたね。「君は医療の現場を離れて、医療を救う医者になりなさい」「皆このままではダメだと思っているが、現場の人間ではどうしようもできない。君はまだ20代で若いし、やりたいことをやったらいい。そして、お前の持っている考えは間違っていない」「お前はまだ、良くも悪くも医者としての十字架を背負っていないから、その前に医療現場を出ろ」といろんな先生が言ってくださいました。

少なくとも自分が抱いている危機感は的外れなものではないし、何とかしなければいけないことなのだと、疑問が確信に変わっていきました。それで米国から1年で帰国しマッキンゼーに入社し、まずは医療を俯瞰してみられる場所で、解決方法を探ることにしたのです。

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PROFILE

豊田 剛一郎

株式会社メドレー

豊田 剛一郎

株式会社メドレー 代表取締役医師
1984年生まれ。東京大学医学部卒業。聖隷浜松病院で初期研修後、NTT東日本関東病院脳神経外科での研修を経て、米国のChildren’s Hospital of Michiganに留学。2013年にマッキンゼー・アンド・カンパニーにてヘルスケア企業のコンサルティングに従事。2015年2月より現職。

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