HIVを取り巻く政策研究から予防まで
—谷口先生の、HIVに関わる現在の取り組みについて教えてください。
千葉大学医学部附属病院の感染症内科で、週の6割は研究、4割は臨床に携わっています。この4割には、医学生や研究員の教育も含みます。
現在取り組んでいる研究の1つは、レセプト情報などが集まるNDB(ナショナル・データベース)を活用した医療経済の研究です。HIV患者さんに使われる医療費を調べています。NDBを活用した研究としては、HIV患者さんの併存疾患も調査しています。
その他、科学研究費助成事業として千葉県の医療体制整備のための政策研究もしています。現在、千葉県のHIV患者さんはHIV拠点病院で治療を受けています。その方々は糖尿病や透析のような慢性疾患の治療を、地域の一般病院でお断りされることがある。この状況を変え、どの病院でも医療を受けられる体制の整備を目指しています。
—HIVに関する活動というと、予防のイメージも強いです。
予防に関する活動にも関わっています。千葉県が行う無料・匿名で受けることができ、即日結果の出るHIV検査(梅毒も含む)のイベントをお手伝いしています。
中高生を対象とした、性教育や性感染症予防の学校講演の機会も多いです。現状、文部科学省が推奨する性教育の範囲と、厚生労働省が考える性教育の範囲は違っています。文部科学省が保守的なので、学校の先生方は、踏み込んで伝えたくてもそれが難しい立場にらっしゃいます。だからこそ、講演で呼んでくださるんですね。外部から何か言われた時は「あの人が講演で勝手に話した」と、責任はすべて私に投げていただければ、という思いでやっています。
—未然に防ぐための啓もう活動と、拡大を防ぐための早期発見の両面に関わっているのですね。
しかし現実として、コンドームやセーフセックスを呼びかけるだけでは上手くいかなかった歴史的な経緯もあります。
そこで今年から、国際医療研究センターの先生とともに取り組んでいるのが、曝露前予防投与(Pre-exposure prophylaxis)の臨床試験です。安全とは言えないセックスを頻繁にされる方々を対象に、ツルバダという薬を事前に服用することで感染を避けられるという研究結果があり、すでに色々な国で実践されています。国際医療研究センターでも、臨床試験がはじまりました。
感染症専門医を志し、米国臨床留学へ
—医師を目指したきっかけは?
私は、小学校の1年から5年間をイタリアのローマで過ごしました。インターナショナルスクールでは様々な国籍の方と接点があり、アフリカからいらしている方も多く、小学生のころから貧困やHIV感染症の話題に触れていました。
私が小学生だった80年代から90年代初頭まで、HIVはまだ死の病として世界中で問題になっていました。愛する人とセックスをし、HIVに感染し、HIVで死んでいく。なんとかしたい。救ってあげたいという思いが、高校生の時にも続いており、医学部への進学を選択しました。
入学後、感染症内科に進むことを考えてはいましたが、まだ感染症学部もなく、この道で医師として続けていけるイメージもわかない状況でした。しかし医学部5年生から6年生になる頃、感染症学で有名な青木眞先生にお会いし、感染症専門医という道があると気づきました。日本で感染症学を網羅的に学ぶことは難しかったので、一念発起しアメリカ留学を決意しました。
アメリカへ臨床留学するには、USMLE(アメリカの医師免許試験)に合格する必要があります。低学年の頃から着々とその準備をされる先生が多い中、私はその時点ですでに6年生でした。そこで2001年医学部卒業後は、まず2年間日本で臨床経験を積み、その後、在沖縄米国海軍病院でアメリカの文化や医療制度に慣れつつ試験勉強しました。そして2005年に留学しました。
—アメリカへの臨床留学はいかがでしたか?
渡米後、まずニューヨークにあるセントルークス・ルーズベルト病院で、内科レジデントになりました。当時はまだHIVの患者さんの数も多く、ある意味で刺激的な環境でした。
そこで気がついたのは、患者さんを横断的にみる本来の「内科学」の概念と、その重要性です。日本でも最近になり「総合診療科」が流行りはじめたようですが、当時も今も内科の先生に所属を聞けば、多くは循環器内科や呼吸器内科などです。いまだに日本では、「一般内科学」が根付いていないように思えます。
2008年より、ワシントン大学の感染症専門医のコースでフェローになりました。一般内科学の礎ができた上で、感染症の専門研修に進めたことは非常に良かったと思います。感染症学においても、日本では「感染症制御学」と限定的であったり、HIVは別扱いということがある一方、アメリカでは、移植感染症も含め横断的に勉強することができました。
2011年に帰国し学位をとった後に、2014年より千葉大学病院の感染症内科で教員となりました。臨床留学を終えた先生方は医学博士をもっていないことが多く、そのせいで大学病院に勤めらないケースが多い。自分の考えや声を通そうという時、アカデミアにいることは重要だという考えで、このような選択をしました。
—アメリカに残る選択肢もあったのではないでしょうか?臨床留学の経験を千葉大学で活かそうと考えた理由を教えてください。
たしかにアメリカでアカデミアにいる方が、研修の機会に恵まれるでしょう。お給料面でもおそらく(笑)。それでも母校の千葉大学に決めたのは、学生時代からの恩師が「必要な人材だ」といってくださったことが大きいです。感謝して、残ろうと決めました。両親も年齢を重ねてきたので、近くにいられることは、結果として良かったと思っています。
一般病院からのお誘いもありましたが、総合大学にいる方が各方面からの研究協力者や助けを得やすいです。また大学病院には難しい症例も集まりやすく、学んできたことを活かしやすい。昨日も実は、脳死肺移植がありました。移植感染症という、感染症専門医ならではの関り方ができるのも、大きな病院だからこそです。
日本の臨床感染症学に貢献したい
—今の先生の原動力、モチベーションは?
実は、もやもやとした思いを抱えることもあるんです。HIV感染症は世界でも日本でも減少傾向にあり、HIV自体が今では「死の病」ではなく慢性疾患となりました。
近年のHIVの新規患者さんの傾向をみると、感染のリスクがあると知りながら未然に防ぐ行動をとらなかった方も結構いて……。言葉はよくありませんが、どうしてそうなっちゃったのかなという思いにさせられます。
その中でもモチベーションを維持できているのは、HIVに関しては志を忘れず、初志貫徹でぶれずに続けたいという思いがあるからです。
—今後実現したいことはありますか?
感染症専門医として、HIVよりも重要度の高い感染症が出てきたら、活動の主軸をシフトさせることはあると考えています。
また、日本ではまだ感染症専門医の数が充分とはいえませんので、ひとりでもこの分野を志してくれる人が増え、世界の臨床感染症学をリードできる形になればうれしいです。
しかし残念なことに抗菌薬の使い方ひとつとっても、適正な使用方法を分からず処方されている先生、特に開業医の一般診療所の先生が多くいるのが現状です。最近は千葉県内で、抗菌薬の適正使用を啓もうする活動に関わる機会も増えているので、まずは、標準的な抗生物質の使い方ができる状況にしたいです。
アメリカでも臨床感染症学が発達し、広がるまでには時間がかかりました。臨床感染症学は、若手の先生方の中では注目度が上がっていることを感じつつありますので、その発展に貢献できればいいなと思います。
(インタビュー/ 北森 悦、文/ 塚田 史香)