沖縄の研修医時代から現在まで
大学卒業後は沖縄で研修されたのですか?
1988年、琉球大学医学部を卒業後、大学医局に入らず沖縄県立中部病院での研修を選びました。当時は大学医局に入局するのが当たり前でしたが、自分の腕を磨き、自信を持って進める道を選びました。
研修医時代はどのように過ごされたのですか?
私のいた沖縄県立中部病院では米国型の卒後臨床研修を行っていました。その歴史は古く、1967年の草創期よりハワイ大学から年間12~15名の優秀な指導医が中部病院を訪れ、臨床教育に取り組みプライマリ・ケアの実力がしっかり身につく医師育成を実践していました。
アメリカの指導医に教育を受けた先輩たちが、私たちを指導し、その過程で、手技の技量はもちろん、医師として核となる思想も伝承されたように感じます。
その後は?
その後は臨床疫学を学ぶためにハーバード大学公衆衛生大学院臨床疫学修士を修了し、2008年には聖路加国際病院一般内科医長・聖ルカ・ライフサイエンス研究所臨床疫学センター副センター長となり、さらに2009年、筑波大附属病院水戸地域医療教育センター総合診療科教授につきました。
水戸モデルとは
水戸にたどり着いた先生、そこではどのようなことをされたのでしょうか?
私が就任した水戸協同病院(現・筑波大学附属病院水戸医療教育センター)は医師不足で診療維持が困難になり、2009年4月に筑波大学が国立大学では初めての取り組みとして、民間病院(厚生連が経営する水戸協同病院)に地域医療の教育センターを設立した病院でした。
そこで、私は臨床と医学教育の専門家として呼ばれました。
ここでは、教育、研修、診療、研究を行うというユニークなシステムを採用して大学病院の持つ充実した教育資源、ノウハウに水戸協同病院の地域に密着した臨床現場と豊富な症例数を合わせた総合医診療教育を展開しています。2009年から始めて、患者のご協力を得た上で、指導医の見守る中、医学生が「問診⇒身体診察⇒鑑別診断⇒アセスメント⇒プラン⇒患者への説明」と一連の流れを全て行う実践型臨床実習である「闘魂外来」など様々な教育企画を行い、医師に対して教育の宣伝活動をしてきました。
最初は4人しかいなかった後期臨床研修医(3-5年目)も、現在は12人、また初期臨床研修医(1-2年目)は12人にまで増え病院は再生しました。現在は医師90人以上、大学教員も25人以上となっています。
徳田先生水戸モデルhttps://www.jstage.jst.go.jp/article/generalist/35/2/35_137/_pdf
他の病院でも参考にできますね。これからの地域医療・病院再生のレシピを教えてください。
地方には、医師が足りない地域が多くありますので、これを参考にしてほしいです。
地方の医療は、医師不足によって崩壊すると考えられていますが、それだけではありません。
問題の根本は、医師の守備範囲の狭さと教育体制の人的リソース不足による医師の定着率が悪いことです。
ですので、水戸モデルと同じような方法で各地の病院で総合診療科を立ち上げてきました。
もし、先生が総合診療科の立上げを行うとした場合の具体的な方法を教えてください。
Step1:病院内のインテグレート(統合)
ベッド数が300床以上の病院では、専門化が進んでいるので、まずは救急科と一緒に総合診療科を立ち上げ初診外来をやります。あらゆる患者に対応できる総合医を育て、必要に応じて入院患者も診ていきます。
300床以下の中小の総合病院は、ほとんどの病院が専門内科では“一人医長(各科の医師が一人で、その一人が長を兼任している)”です。そこで、各科専門の先生を一つの総合診療科としてまとめます。
今まで別の科として、バラバラだったのですが一つの科となることで、病院内での科としての意見も通りやすくなり喜ばれます。ただし、その中には総合内科として一つになることに反対する科もあります。そのような科については継続して独立した形でやってもらいます。
Step2: イチロー型総合診療医の育成
次に、内科後期臨床研修医を全員総合診療科チームへ所属させます。彼らは全ての初診外来を診て入院も受け持ちます。指導医(10年目以上)の先生は、アテンディングとして各研修医の先生からの症例相談を交代で受けます。
指導医は教育スキルを上げ、研修医の先生は負担が大きくならないように、受け持ちの患者さんは15名とします。それ以上の患者さんは指導医の先生が診るようにします。教育も症例を中心に議論するPBL(課題解決型学習)やベッドサイドで一緒に患者さんを診て教育するベッドサイドラーニングを取り入れると、3年目の研修医も積極的に自分で考え、集中治療が必要な患者でも正しい対応ができるようになります。
Step3:フェロー制度から医師のキャリア
さらに、後期臨床研修医が成長するためにフェロー制度を採用しています。
フェローになって初期臨床研修医を教育するのと共に社会人大学院生など自分の興味のあるアカデミックな分野でも学べるようにします。その後、水戸のように大学と連携して寄付講座として大学でのポストに繋げるようなキャリアを積ませることが可能です。
”地域医療の寄付講座広がる 自治体の医師確保で大学に”
http://www.47news.jp/CN/200711/CN2007111001000105.html
寄付講座による地域医療再建の例
新潟大学http://www.uonuma-kikan-hospital.jp/
名古屋大学http://www.city.nakatsugawa.gifu.jp/news/021098.php
そして、現在はどのような働き方をされているのですか?
月・火曜日は東京のJCHO(独立行政法人地域医療機能推進機構)病院群、水曜日は筑波水戸医療教育センターで外来を持ち診療にあたり、木・金曜日は日本全国のJCHO(独立行政法人地域医療機能推進機構)の病院が57か所ありますので、そちらを回って総合診療科で教育活動を行っています。日本中で、総合医が増え総合診療科が立ち上がるサポートをすることが地域病院の再生になっています。
その中で今の私の役目は、総合診療科の立上げと教育方法を教えることですが、一番は医学生、研修医、医師への広報宣伝です。このような時代ですので、SNSやメディアとうまく関わって多くの人に知ってもらうことが重要です。
最近は、以前から編集委員として参加していた英語論文誌「General Medicine」の編集長もしています。目標として、アメリカ国立医学図書館が提供している世界最大級の医学・生物学分野の文献検索サービスである「Pubmed」に載るような論文にしていきたいです。
最近5年間の「General Medicine」の掲載頻度を施設別に調査した結果はこちらです:
http://blog.goo.ne.jp/yasuharutokuda/e/22278c03c20085019d3b371ed70f1b5b
最後に読者、特に地域病院で医師不足に悩む方々にメッセージお願いします。
アメリカの多くの医学部(ハーバード大学やハワイ大学も含め)では大学附属病院がありません。
これらの大学は地域の民間教育病院と連携して臨床研修、研究を行っています。日本でも水戸モデルから始まり、新潟魚沼、島根太田市立病院などモデルは広がっています。
これからの地域病院が生き残るためには、教育です。
教育に力を入れ大学や外部と連携して各病院の特色を出していくことが重要です。