失敗を恐れ、問題を先送りする「同質性」
現在の日本の問題点は何でしょうか?
東日本大震災が発生して福島の原発事故があり、それまでうまくいっていると思われていた日本社会の脆弱さが一瞬にして世界に丸見えになってしまいました。私は原発事故の直後からTwitterで海外の記者が発信する福島の情報を追いかけて、リツイートしていました。新聞やテレビなど国内の報道では原発事故の状況がはっきりしなかった。そのうちに、危機にある日本を世界がどう見ているかということがどんどん分かってきて、このままでは日本国家の信用もメルトダウンすると思いました。発生から一週間で「独立した国際的な調査組織をつくるべきだ」と、4枚紙を書いて当時の菅首相に届けに行き、さらに、国会議員だけでなく米国科学アカデミーなどとも連絡を取り、調査委員会の設立に向けたやり取りを始めました。
国会の東京電力福島原子力発電所事故調査委員会で導き出した原発事故の根本的な原因は、新卒一括採用、年功序列、終身雇用といった日本に多くある組織構造と、それを当然と考える日本社会特有の同質性の高さです。日本では新卒で会社に入ればずっとそこにいるのが当たり前。課長になって変なことをすれば部長に嫌われて左遷や出向になり、そうでない人が役所や大企業で昇進して、より責任のある立場に着いていきます。ですから「単線路線」で上がってきたエリートは失敗を恐れて問題を先送りし、責任の所在をはっきりとさせず、無責任になっていくのです。このような社会では、日常的に「異論」を発言させながら議論する習慣が少ない。大学などの研究機関でも同じような問題が潜在的に存在しています。日本は各自でやっている研究はそれなりのものではあるけれども、大きな枠組みで世界で活躍する人を育てることはできていません。
「独立した個人」として他流試合をする
科学研究に関する日本の教育についてはどうお考えですか?
日本の中等教育は大学受験に向かう「単線路線」になっていますが、私が思うのは予備校に通えば受かるような大学に意味があるのか、ということです。海外の主要大学では知識を記憶させるのではなく、問題を見つけ、議論を交わしながら解決していくプロセスの中で、各個人の能力を引き出し発揮させる教育が行われています。ところが日本の大学は「家元制度」に近く、家元の教授の命に従いながら後を継いでいく競争の「タテ組織」で、基本的には江戸時代のようなことをいまだにやっています。若い人たちが教授の手足のようになっており、大学に所属したまま留学することはあっても「独立した個人」として広い世界に出ていき他流試合をすることはありません。これでは才能の無駄遣いです。
例えば日本のノーベル賞受賞者はすばらしい方たちばかりですが、このだいたいが「ハグレ者」です。21世紀になってからは米国籍の南部氏を含めて13人がノーベル賞を受賞していますが、このうち4人はアメリカでキャリアを積んだ人で、東大を出て東大の仕事でノーベル賞をもらったのは小柴氏だけです。そしてその小柴氏も最初の9年間はアメリカの大学に在籍していました。山中氏もどちらかといえば、日本の主流を外れたところを歩んできています。
これらの人たちが「出る杭」になることができたのは、自分が思い込んだテーマの研究を通して真理を追求したいという情熱のほうが、日本の社会的肩書きよりも優先度が高かったからです。東大や京大は優れた論文を多く出していますが、ノーベル賞を取るような人はほとんど出てきていません。他流試合のない外部から閉ざされた「恵まれた」環境の中で無意識に肩書きに執着するようになるため、「開拓者精神」がなかなか育たず保守的になっていくのではないかと思います。
私は世界で活躍する日本人科学者や大学人を育てたいと考えています。ですから、積極的に外へ出て新しいことをやろうとしている若い人たちがいれば応援しています。そうするのは、私自身が日本の組織を離れて一人の「個人」としてアメリカで十数年を過ごし、多くのチャレンジの中でいろいろな人に育ててもらった実体験からくる「無意識の意識」があるからではないかと思います。
私は30代でアメリカに渡りました。その時は2年で帰ってくるはずでした。でもあちらの雰囲気が気に入って帰国を伸ばすうちに4、5年がたち、「東大はもう破門だろう。日本の既定路線からは外れたな」と真剣に悩みました。そこで「日本に帰っても道がないのなら、自分で頑張るしかない」と覚悟を決め、アメリカで医師免許を取り、専門医資格を取り、何人ものメンターの下で育てられ、研究や教育、診療に携わってきました。
誰でも受け入れてくれる寛容さがある一方、その後は実力勝負で生き残っていかなければならないシビアな競争の世界、というのがアメリカです。私が最初に行ったフィラデルフィアのペンシルベニア大学では、初対面の担当教授に「ここに来たのは私を手伝うためではなく、あなたが独立した研究者になるためです。自分で研究テーマを見つけ、専門家として対等に意見を言いなさい」と言われ、衝撃を受けました。私はもがきながらも大学の枠を超えた多くの人に助けられ、本気の他流試合を重ねていきました。そうして10年やっていたら、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の教授になることができた。ロサンゼルス郊外に買ったプール付きの広い家に暮らしながら、アメリカというのは実力で評価されるフェアな国だと思ったものです。
このような実体験があると、自分が教える立場に立ったときに「恩返し」として次の世代を育てなくては、という思いが自然と湧いてきます。これが実体験からくる「無意識の意識」なのではないかと思うのです。ところが日本のように進学校で勉強して偏差値で大学に入り、他流試合もない「タテ組織」の中で過ごして進んでくると、そういった恩返しの必要性が出てこない。実体験のない人には教育における「先生の役割」は恩返しであるということが、感覚的に分からないのだろうと思います。
「何をしたいか」に気づくことが大事
どうすれば黒川先生のような存在になれるのでしょうか?
教育の本質は、特に大学教育においては、「自分は何をしたいか」に気づかせ、見つけさせる「場」であると考えています。若者たちそれぞれがやりたいことを見つける「場」、そして人生のいろいろな場面でより良い選択ができる感性の育成。これがリベラルアーツだと、私は思っているのです。若い人たちは「自分はこれがやりたいんだ」ということに気づいたその瞬間から、誰かに何かを言われなくても何だってやるようになります。やりたいことをやっている時はつらいことがあっても楽しいからです。それが何なのかは人によって違います。だから自分のモチベーションがどこにあるのかを探してほしい。その方向性は、家庭、環境、育った社会などによって15歳ぐらいで大体決まっていると思います。
「タテ」社会では世界的な課題や、多彩な「ロールモデル」に実体験として出会う機会が少ないのです。ですから若い人たちには、「高校でも大学でもいい、数カ月でも一年でも、休学してでもいい。春休み、夏休み、冬休みにはどこでもいいから、とにかく海外へ行ってみなさい」と話しています。それによってこれからの世界で自分のしたいことに遭遇する機会が大きく広がるからです。海外に出ると、日本のことを大きな視野で捉える感覚ができてきます。外に出てみてはじめて日本の強さや弱さがよく分かるようになるのです。その後日本に帰ってくると、ものの見方が変わって「これをしたい」というものが出てくる。そこで何を感じるかは人それぞれですが、その感性が大事なのです。実体験からの感性です。
実際に行動してあれやこれやと苦労しながらやっていくと、世の中のいろいろな問題が見えてくるようになります。そして「これこそが私のやりたいことだった」ということに気づき、満足感と充実感で毎日を過ごせるようになる。大事なのはこういうことです。いくら頭で考えていても、実体験としてその中に入っていかない限りこのような気持ちには絶対になれません。
若い人たちにキャリアの選択肢をたくさん見せてあげることも大事です。そうすることによって、やりたいことをやることに抵抗感がなくなるからです。東日本大震災は多くの若者たちにとって変化のきっかけになったと思います。たくさんの人が「こころ」にある何かに目覚めて、仕事を辞め、ボランティアで被災地に行き、さまざまな活動を始めました。そしてその後も3年4年と活動を続けるうちに、挫折し、苦労しながらも突き抜けて「成功」する人たちが出てきた。そういう人たちは自分なりの使命感と満足感にあふれ、輝いています。社会の入口で新卒一括採用に落ちてしまえば、そのままずっと「二流」のキャリアだと思われていたのが、「3.11」で突然変わったのです。新卒で、あるいは大学へ行かなくても、こういうキャリアの選択肢もあるんだということが示されたということです。これは日本の伝統と思われていた「タテ組織」体制が崩れ始める予兆だと思っています。
今の世の中はグローバルになっています。簡単に国境を超えてどこへでも行くことができ、活動することができ、協力することができ、思いをはせることのできるインターネットツールの広がる時代です。世界中にチャンスがあふれているのです。古い体制を早く離れて、考え、行動すれば、いくつもの可能性が広がっていくでしょう。人生の出会い、チャンスは一年ごとに失われていきます。若い人たちには日本の常識にとらわれず、「出る杭」になることを恐れず、グローバルな世界で夢中になれる大きな夢を見つけ、どこまでも可能性を伸ばしていってほしいと思います。
インタビュー / 田上 佑輔 文 / 木村 恵理