医療格差のある途上国の人々を助けたい
なぜ、医師になろうと思ったのですか?
医師になった理由の一つは、生物学が好きだったからです。医学は生物学の要素が大きくて、生物学にさまざまなものが含まれて応用生物学のような感覚がありました。生物学に携わりたくて、医学の道に進もうと思ったのです。もう一つの理由は、私の友人が高校生の時に白血病で亡くなったことです。それが人助けがしたいという大きなモチベーションとなっています。そのため、最初から熱帯学に行こうとは思っていませんでした。ただ自分が好きな生物学に携わり、人助けができるという理由から医師の道に進んだのです。
熱帯学研究に進まれたきっかけは何だったのですか?
私が熱帯学の研究室に入ったのは、他の方に比べると結構遅いのです。9年間内科医として臨床現場で患者さんを診てからでした。
私は海外、それも途上国を頻繁に訪れていて、現地の方にたくさん会ってきました。そこでは日本とは比べ物にならないくらい医療格差があるのです。そこにいる方々に対して「自分は何ができるのか」と考えていました。
そんな時に転機が訪れました。当時勤務していた東京慈恵会医科大学の先輩の先生から、東京女子医科大学の小早川隆敏教授を紹介していただき、お話を伺うことになったのです。お話を伺うまではただ単に、広く途上国の医療に貢献しうる方法を模索していただけでした。具体的には「国境なき医師団のような臨床医としての貢献をするのが一番いいのでは」と何となく考えていました。ところがその研究室では臨床での治療行為を行うのではなく、マラリアという寄生虫の研究を現地に出向いて患者と向き合いながら行い、マラリア感染症対策に役立てるというアプローチをしていたのです。「マラリアの研究を通して途上国の医療格差を少しでも解消し、現地の方々を助けられるのではないか」と思ったのが、この道に入るきっかけになったのです。
薬剤研究により間接的に患者を救う
マラリア感染症の「対策」とは、どのようなことですか?
まず、人がどのようにしてマラリアに感染するかをご説明しますね。マラリア感染症は、マラリア原虫と、自然豊かな地にしか生息していないハマダラカという蚊、そして人の三つがそろった環境で起ります。マラリア原虫がハマダラカに寄生し、その蚊に人が刺されることによって感染するという仕組みです。
マラリアは、エイズ、結核と並んで三大感染症の一つです。死亡者数に関しては、他二つの感染症と同じくらいです。しかし感染者数は、他二つの感染症と比べ物にならないくらい桁違いに多いのです。
日本ではマラリアはあまりはやっていないので、日本人の感染症に対するイメージは、「エイズや結核の方が危険」という感覚かと思いますが、世界で一番人類を殺してきたのはマラリアなのです。単独の病原体で、単独の感染症として、大昔から現在まで世界で一番人間を殺しているのです。そして世界人口の半分の人が、感染の危険がある地域に住んでいます。その多くはアフリカの子どもたちです。
このような人たちを助けたいと思って現地に行き直接患者さんを治療していても、一向に患者さんは減りません。患者数が多すぎるからです。そのためいくら治療しても、結局はいたちごっこになってしまいます。また仮に現地の病院に行っても、実際には患者さんはあまりいません。自然が多く残っているさらに奥の病院すらない村に患者さんはいて、そのような村で患者さんはたくさん亡くなっているのです。だから、感染者数の範囲が広くて何億人も患者さんがいると、私たち一人二人の医師が現地に行ったとしても恐らく何もできないと、現地のフィールド調査に行きすぐに分かりました。
私たちが現地に行ってその場の患者さんを診て助けることができたとしても、その背後にはさらにたくさんの患者さんがいる。そのような人々を救うのが「対策」。何億人もの患者さんを助けるためには、直接治療するのではなく、マラリアに対してさまざまな「対策」を施しながら、間接的に救っていかなければならないのです。
美田先生の研究内容を具体的に教えていただけますか?
マラリアにはワクチンがありません。そのため治療には薬を使います。マラリアに対する薬を作ると、その薬に耐性を持ったマラリア原虫が出てきます。私たちはどのようにしたら耐性原虫を克服できるのか研究しています。
具体的には、耐性原虫がどの地域から出現してどのように進化しているのか、どのように広がっていくのか、そもそもなぜその地域から出現するのかを、さまざまな国の患者さんから採血し、マラリア原虫の遺伝子を調べることで解明しようとしています。耐性を持ったマラリア原虫は、タイとカンボジアの国境付近から必ず出現していることは明らかになっていますが、現在その理由についての解明を目指しています。
また、クロロキンという薬を使ったところマラリア原虫が耐性を持って薬が効かなくなったので、クロロキンを使うのをやめました。そうしたところ、しばらくたった時からクロロキンが再び効くようになったのです。この薬剤効果の回復は、私たちが初めて発見したことなのですが、現在はこれを少しずつバージョンアップさせて将来のマラリア感染症対策に役立てられないか研究しています。
マラリア感染者を一人でも減らしたい
今後実現していきたいことは、どのようなことですか?
私が生きている間にマラリアの撲滅は難しいかもしれませんが、少しでもマラリアで亡くなる人を減らしたいです。そのための自分のアプローチ方法はマラリア原虫の薬剤耐性克服なので、先ほど言ったクロロキンの例のように、今ある薬をうまく使いながら、マラリア原虫の薬剤耐性を克服できるような方法を考え出したいです。
例えば、Aという薬剤を使っていたら耐性原虫が出てきてしまった。薬剤Bが効くのでそちらを使う。またしばらくしたら薬剤Bに耐性ができてしまったので、また薬剤Aに戻す。このような関係性のある薬を見つけ出せれば、新しい薬を次々と開発しなくても手持ちの薬で対応できる可能性が出てきます。こういったアプローチ方法を実践している研究者はあまりいません。しかし現在、クロロキンとそのような関係がある薬剤が見つかりそうな感触は得ています。
このような関係性のある薬が見つかれば、新薬を開発するよりはるかに経済的です。もちろん新しい薬を開発することも大切ですが、その薬が効かなくなったら次の薬、その次の薬と、どんどん新しい薬を使っていったら、永遠にいたちごっこになってしまいます。また、どんなに新薬を開発しても、マラリア原虫は数個の遺伝子が変わるだけで耐性化してしまうので、私たちは勝てないと思います。だからこそ、私たちも知恵を絞っていたちごっこではない新しいアプローチをしなければならないのです。
そして実はもう一つ、新しい診断方法も現在考えています。マラリアは東南アジアでは減ってきていて、さらに減ると撲滅できる可能性があります。そのとき問題になるのが、マラリアに感染しているけれど症状が出ていない人の存在です。そのような方々を一発で見つける診断方法です。
マラリアは感染しても、必ずしも症状が出るとは限りません。だから非常に感染度合が低い人や、感染日数が浅い人は、表面上は感染者かどうか全く分かりません。ところがマラリアを撲滅させても、そのような人をハマダラカが刺すことでマラリア原虫が再び寄生し、そのハマダラカがさらに非感染者を刺すと、またマラリアの感染が広がります。つまり、症状が出ていない感染者がいる限り、本当の意味でのマラリア撲滅にはなりません。感染はしているけど症状が出ていない人の中には、非常にわずかなマラリア原虫にしか感染していない人もいます。誰でもこのような人から原虫を一発で見つけることができる機器を、さまざまな村に簡単に持ち運べる形で実用化させたいです。現在、日本医療研究開発機構(AMED)から研究費をいただき産業技術総合研究所、国内の電機メーカーと機器の開発をしておりまして、だいぶ実用化の目処が立っています。
マラリアはきちんと治療をすれば治せます。現在、臨床医として目の前の患者さんを治療していませんが、研究や科学技術の力を使って、患者さんの役に立っていきたいと思っています。
インタビュー・文 / 北森 悦