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INTERVIEW

参議院議員

心療内科

桜井 充

医師として政治家として、苦しむ人を助ける

「社会を変えるのは政治家だ」と、子どものころから政治家を目指していた参議院議員の桜井充先生。最初に就いたのは医師の仕事で、政治家となってからも現役の心療内科医として診療を続けています。
医師も政治家も困っている人を助けるという面では全く同じ。診療現場で一人一人の患者さんに対応していくこともできるけれど、政治の面から根本的な治療をしたい――。政治家を志望しながらも医師になった理由、その後政治家になるまでの経緯、それぞれの仕事を通して感じてきたことなどについてお伺いしました。

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医師になり、政治家になる

国会議員でありながら、現役の医師としてもご活躍されていますね。

月に1〜2回ですが、心療内科医として診療もしています。私の治療は少し変わっていて、特徴があります。症状が落ち着いてきて社会復帰したいというときには、その方を私の事務所で雇用しているのです。病院で2〜3年治療したあとうちで1年ぐらい働いて、親の仕事を継ごうと宅建の試験に受かった人もいますし、拒食症で23キロまで減ってしまい、もう地元へ帰ろうと考えていたところをうちで雇って、現在は県会議員になっている女性もいます。そういう意味では、恐らく誰にもまねのできない治療をしているのではないでしょうか。

もともと心療内科が志望でした。自分自身が学生時代にずっと過敏性大腸炎で悩んできたからです。各駅停車症候群というやつで、駅で降りるたびにトイレに行かないといけないぐらいひどい日もありました。心療内科医になって同じような悩みで困っている人を助けたいという思いがあったのですが、父が医療機器開発の仕事で心電計を扱っていたので、心電図に携わるために最初は循環器に行きました。

医学博士を取ったあと赴任した病院では呼吸器を担当し、喘息の患者さんを診ていました。内科医にできる治療の中で外科が絶対に出て来ることのできない領域を考えたところ、行き当たったのが喘息だったのです。小児喘息の子どもたちはアレルギーを持っていることが多く、アトピー性皮膚炎や花粉症も診ていました。

病院の隣には養護学校があり、不登校の子どもたちも診療しました。そのうちに本当は心療内科医をやりたかったという思いが再燃し、もともとやりたかったことをやろうと、カウンセリングを始めたのです。

 

政治家となった現在も診療を続ける理由は何ですか?

なんといっても自分にとっては医師が原点です。それを忘れないようにしていきたいですね。自分自身が精神的に苦しんできた経験から、同じように苦しむ人たちを助けたいという気持ちもやはりあります。

現役の心療内科医であり政治家でもあるという点で例を挙げれば、引きこもりは社会的にも大きな問題ですので、それを解決する道筋を示していきたいと思っています。ハード面は役所も得意ですが、ソフト面での事業はまだ足りない点が多い。そういったソフトの部分を自分たちでつくっていきたいとも考えています。

 

最初から医師か政治家を目指していらっしゃったのですか?

人と関わる仕事がしたい、と学校の先生か医師か政治家を考えていました。子どものころは目の前にある仕事が限られていますから、世の中にどんな職業があるのかよく分かりませんよね。そのころに官僚の存在を知っていたら、官僚を目指していたかもしれません。

医師になった理由には、父のことが影響しています。父はヘッドハンティングされた医療機器の会社で働いていましたが、社長との折り合いが悪くなり辞めてしまったんです。私が大学に行っていた6年間はずっと仕事がありませんでした。そのことで母はずいぶん苦労をしたようです。私は政治家になりたいと考えていたけれど、母は、不安定な職に就けばこういう苦労をすることになる、というようなことを言っていました。そのころ、医師でありながら国会議員になった方がいることを知り、そうか、医師になってから政治家になっても遅くないんだ、と。それでまずは医師になることにしました。

医師になった後もずっと政治家になりたいと思っていましたが、どうすればなれるのかは分かりませんでした。当時は今のような公募の制度もなかったのです。その後、自民党が野党になった時に初めて公募で選挙に出ました。最後の2人に残ることはできましたが、残念ながらその時は出来レースでした。結局、そのあとで知り合いから民主党を紹介してもらい、たった5日で候補者となったのです。

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PROFILE

桜井 充

参議院議員

桜井 充

東京医科歯科大学医学部卒業、東北大学大学院医学研究科博士課程修了。1998年「病んだニッポンを治療したい」との思いから参議院宮城県選挙区より立候補し、初当選。以後連続で当選し、現在3期目。仙塩総合病院にて、現役の医師としても活躍中。
東日本大震災復興特別委員会委員長、前民主党政策調査会長、元財務副大臣、元厚生労働副大臣

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