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INTERVIEW

宮崎県議会議員

内科

清山 知憲(きよやま とものり)

医療現場の声を政治の場へ届ける

県議会議員でありながら、週末には内科医として外来や当直もこなす清山知憲先生。2011年に29歳で宮崎県議会議員選挙に立候補し1位で初当選、2期目となる2015年の選挙も再度1位で当選されました。政治の世界へ足を踏み入れるきっかけとなったのは、生まれ育った宮崎県の医療が抱える医師不足の問題です。議員として活躍する今、地域の声に耳を傾けながら、今後の高齢化社会を見据えた医療・介護・福祉の充実をはじめとする政策課題に取り組んでいます。

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地元の医師不足問題に突き動かされて

政治家の道を考え出したのはいつでしたか?

政治家になるという選択肢を初めて意識したのは、感染症の専門医を目指しニューヨークに留学していた時でした。もともと政治家を目指していたわけではなく、合目的的になったという感じですので、政治家のなかでも少ないタイプだと思います。

当時は医師不足が大きな問題となっていてよく報道されており、宮崎県も例外ではありませんでした。医師不足のために当たり前の医療を当たり前に受けられない地域が、宮崎県内にもたくさん存在していたのです。私は感染症領域の高みを目指していたけれど、そういった専門的な医療以前にもっと基本的な医療が提供されない人たちがいる。自分が生まれ育ち、家族や親戚のいる地元がそんな状況にあることを報じる記事をインターネットで目にすると、なんとも言えないもどかしさを感じ、ニューヨークを離れて宮崎に帰ることを考え始めました。

宮崎県における県議会の内容を調べてみると、全く的外れな議論が行われていました。2004年に医師の臨床研修制度が変わり、研修医が自由に研修病院を選べるようになったことに対して文句を言っていたのです。若い医師たちは自分を成長させたいという真摯な思いを持っており、研修先にはそれを実現できる病院を選びます。ですから、その思いに応えられる病院がない地域に医師が残ってくれないのは当然のことなのです。

私は医学部生のころ、沖縄県立中部病院をはじめ、亀田総合病院、虎の門病院、聖路加国際病院、旭中央病院など、定評のある多くの病院を見学しました。その後、地元の病院も見ておこうと宮崎大学附属病院と宮崎県立宮崎病院にも行ったのですが、ここでは非常に残念な思いをしました。病院を案内してくださった先生の診療における振る舞いや研修医教育に対する考え方を見て、自分はこの病院では研修をしたくないな、と思ったのです。政治家を目指そうと考えた背景には、この時の経験も影響しています。

宮崎の医療に貢献しようと心を決めてニューヨークから戻り、地元の大学病院に勤めた時も、医学部生のころに抱いたその印象は変わりませんでした。田舎らしく患者さんとじっくり向き合って診療――というわけではなく、宮崎という田舎であっても、大学病院では検査、検査。私が研修をした沖縄県立中部病院で展開されていた、問診や身体診察をしっかりと行う医療との大きな差に、違和感を覚えました。

この状況をなんとかしようと宮崎県の県職員に話に行っても、「それなら清山先生が大学で頑張ってくださいよ」と取り合ってもらえません。大学を動かすと言っても平医局員では限界がありますし、教授になろうと思ったら20年かかります。議員の方とも話をしましたが、「ご意見は承りますがいろいろと相談して考えます」と流されるだけ。ただの臨床医が何を言っても声の大きさとしてはたかが知れているのです。それなりのポジションにつかないと人は話を聞いてくれないことを実感し、それなら自分が議員に立候補しようと考えました。

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最初に医師を目指したのは、どのような理由だったのですか?

小さいころから祖母が大好きだったので、自分で面倒を見たいと思ったのがきっかけです。医師になろうと考えたのは小学校低学年のころでしょうか。私の実家は蕎麦屋を営んでおり、職住が一体化した家で祖母も一緒に暮らしていました。そういう環境から育った気持ちだったんでしょうね。

ニューヨークに行っていたのは、医学部を卒業して沖縄県立中部病院での初期臨床研修を終えた後です。5年間はアメリカにいないと専門医になれなかったのですが、その時祖母はすでに90歳でした。「アメリカにいる間に祖母が死んだら一生後悔する」。研修を中断して宮崎に帰ることに決めた理由の3分の1は、最期まで祖母に付き添いたいという思いでした。

ニューヨークを離れ地元に戻った1年半後、祖母に肺がんが見つかりました。帰国後に1年だけ勤務していた宮崎大学附属病院呼吸器外科の先生にお世話になることにし、外来には毎回のようについて行って、化学療法の内容も先生と相談しながら決めました。病状が進んだ後は、自宅で過ごせるよう在宅医療を行っている先生にお願いし、最後の1週間は祖母の隣にベッドを並べて夜も一緒に過ごしました。最期を看取るまで、祖母にはこれ以上できないというぐらいのことをしてあげられたと思います。子どものころに医師を目指した目的はここで達成してしまったわけです。次は政治を頑張ろうと思いました(笑)。

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PROFILE

清山 知憲(きよやま とものり)

宮崎県議会議員

清山 知憲(きよやま とものり)

2006年東京大学医学部卒業。2008年沖縄県立中部病院にて初期臨床研修を修了。2009年米国ベスイスラエルメディカルセンター内科インターンシップ修了。2011年と2015年、宮崎県議会議員選挙宮崎市選挙区にて一位当選。自民党議員として活動する傍ら、週末を中心に内科医師として外来や救急当直も行っている。著書に『投票したい政治家がいないあなたへ』(サンクチュアリ出版)、『なぜ宮崎に医師はいないのか』(宮日文化情報センター)がある。内科学会認定内科医、日本医師会認定産業医

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