◆海外“出張”のある診療所
―現在の活動について教えていただけますか?
1999年に故郷である徳島県吉野川市にさくら診療所を開設し、院長を務めています。同時に1993年から始めた「徳島で国際協力を考える会」が前身のNPO法人「TICO」の代表として、国際保健に従事したいと考えている若手医師のサポートを行っています。
診療所でも国際保健に携わっている医師に勤務してもらっています。現在3名いる医師のうち1名は、鎌田實先生が代表を務める「日本イラクメディカルネット(JIM-NET)」に参加していて、年に2回は中東に、1カ月のうち1週間は福島に“出張”しています。もう1名も「国際保健活動がやりたいから、さくら診療所で働きたい」と言って来てくれた若手の医師です。現在、彼も海外支援に行けるよう院内の体制を整えています。
また、私自身も年に2回ほどアフリカのザンビアに渡航しています。あまり長期間診療所を開けることはできないので、現在は1回の渡航で2週間ほどの滞在になっています。
-診療所をあげて国際保健に取り組んでいる様子が伺えますが、なぜ国際保健活動に携わりたい医師をサポートしているのでしょうか?
国際保健に関わりたいと思っている若い医師や医学生はたくさんいると思っています。ところが、それだけでは自身の生活費を稼いでいくことが非常に難しいです。1、2年ならボランティアでもやれないことはないと思いますが、長期的に取り組んでいくには一定の稼ぎがなければ、正直続きません。
自らの生活費を稼ぎながらですと、国際機関への就職やJICAの専門家になるという道くらいしかありません。しかしそれも1,2年契約で、さまざまな組織を渡り歩くのも非常に難しいですし、実際に現場でプレーヤーとして活動できる機会が少なく、ほとんどの人がオフィサーとしてシステム的な業務の遂行や事務仕事になってしまうのが現状です。
そんな現状を見てきましたから、海外支援をしたい医師が国内で安定的な生活の場を確保して一定期間海外支援に行けるシステムを作りたいと思ったのです。
◆アフリカへの思い
-そもそも国際保健に興味を持ったきっかけはなんだったのですか?
中学生の頃にエチオピアの大干ばつの様子をテレビか何かで見たことだと思います。私は覚えていませんが、周囲には「将来アフリカに行くぞ」と言っていたそうです。そのため、初めて青年海外協力隊に参加した時には「やはり行ったか」と言われました。
青年海外協力隊には、医師になって7年目の時に初めて参加し、マラウイに2年間行きました。帰国後は2年ほど大学や県立病院に勤務していたものの、やはりアフリカの途上国に貢献したいという思いが捨てきれず、多国籍医師団を結成して緊急人道支援活動を行うNPO法人AMDAで働かせてもらいながら、3年程アフリカ支援を続けました。
-NPO法人「TICO」の前身である「徳島で国際協力を考える会」はどのような経緯で始められたのですか?
青年海外協力隊で行ったマラウイから帰国した時に始めました。海外での様子を聞いてみたいという周囲のリクエストや、私自身が途上国についてなんでもいいから考える機会を作りたいという思いがあったんです。ですから何か行動を起こすというよりは、最初は私の途上国報告会も兼ねて“途上国について一緒に考える”という内容でした。勤務医を辞めてAMDAで働いている期間も、途上国から帰っては徳島で報告会を続けていました。
徐々にザンビアでの支援活動もこの会として行うようになり、2004年にNPO法人にすることができ、2007年から国際保健活動に興味のある医学生向けに合宿を行うようになりました。
-TICOとしてザンビアでは、どのような取り組みをされているのですか?
医療インフラのなかったザンビアの村の1つに、ザンビア政府管轄の医療施設「ヘルスポスト」を設立させて、政府から看護師を1名派遣してもらうようにしました。しかしこの村は、さくら診療所がある吉野川市と隣の阿波市を足したくらいの面積に4万人が住んでいます。そこに医療施設1、看護師1名ではとてもカバーしきれません。
そこで、ザンビア政府の政策である保健ボランティア養成のためのトレーニングコースを、3カ月間住民に受けてもらっています。このトレーニングコースを受けた住民たちは、村ごとにお産や子どもの成長のモニタリングを担当したり、ボランティアを統括し行政との連携を計る保健委員会メンバーになったりします。直接私たちが何かを実施するのではなく、村の住民が主体的に円滑に動けるようにミーティングのお膳立てをするなどのサポートを10年程続けてきました。
JICAの助成金をもらいながら続けてきて来年で支援が終わりますし、ようやく私たちがいなくても動き続ける仕組みになってきたので、そろそろ手を放そうかという段階です。ただでさえ苦労の多い小規模農民が、完全無報酬でボランティアを継続することは容易ではありません。それでも「村人の健康のために」とがんばる人たちが、TICOの支援がなくなっても継続しようと、自立を目指して活動しています。
◆国際保健活動の敷居を低くし、地域の医師不足も解消する
―今後の展望を教えていただけますか?
現在、徳島県や近隣の町立病院と進めていることがあります。それは、国際医療に興味がある医師をこの徳島県で総合診療医として育てようというものです。私は「国際総合診療医」と呼んでいます。
地域医療と国際保健活動は、スキルの面でも精神面でも非常に共通点が多いと思っています。地域医療をやりたい人はなんでもやりたいという人が多く、国際的な現場で臨床医をやりたいという人と非常に共通しているんですね。
ですから、徳島県と連携して県内の後期研修医を対象に、後期研修期間中3カ月程度、連携しているザンビアのキリスト教系の病院で熱帯医学や地域医療を学べるコースを設立する予定です。そして、全国から国際保健の現場で働きたい医師を徳島県に集めたいのです。
-徳島県とはどのようにして連携までこぎつけたのですか?
何年も前から構想を持ちかけていましたが、なかなか実際の制度として整えるまでには至りませんでした。しかし徳島県も他の地域と同様医師不足で、何とか医師を集めたいと思っているのが事実です。
幸い私のもとには、全国から国際保健活動をやりたいと思っている医学生がたくさんやってきます。しかも、先ほどお話ししたように、地域医療に親和性の高い人たちです。熱意ある若い人たちが来るのだから、そこを組み合わせることが解決策になると訴え続け、徳島県内の町立病院の院長も好意的でしたので実現できそうなところまでこぎつけられました。
そして後期研修が終わっても、もし3年契約で徳島県に残ってくれれば3年間うちの1年間は有給でフリーになれる制度を設けているので、それを使って国際保健にも行けるのです。そこにつなげたいと思っています。今後はさらに全国へアナウンスして、手を挙げてくれる若い医師を増やすことが目標ですね。
―吉田先生ご自身の目標は何でしょうか?
私自身は、もう一度プレーヤーとしてアフリカに行きたいという願望はありますが、今は裏方に回って若手をどんどん送り込もうと思っています。
国際医療に参加する医師には、2タイプがあると思うんです。1つはスーパーマンのように全身全霊で国際医療に尽くされる中村哲先生や吉岡秀人先生のようなタイプ。全員が真似できるわけではない、憧れの存在。
私はそうではなくて、日本の地域医療の延長として、日本の地域医療の医師が「今月はザンビアに“出張”してきます」という気軽さで国際保健に従事できる、そんな仕組みを作り、国際保健の敷居を低くしたいです。特別な人が人生をかけて行くのではなく、地域の医師がちょっと海外行ってくる、そんな形で国際保健と地域医療を組み合わせていきたいです。私自身がそんなタイプですから。