日本の医療制度を変える「投資型医療」
-医師7年目でハーバードビジネススクールに行かれた山本先生。なぜMBAを取ろうと思ったのですか?
ハーバードビジネススクールに行くまでは、ごく普通の不満多き医師でした。非効率で無駄な作業が多く「医師らしい」仕事に費やす時間も少なくて――。ですが、それを解決する手立てを知りませんでしたし、学ぶ機会もありませんでしたから、全く考えてもいませんでした。そんな不満を抱えている時、上司からの一言で「アメリカのビジネススクールでマネジメントを学ぶなんて手があったのか!」と目から鱗が落ちるようでした。それがきっかけで行くことを決めました。
そこでは、「苦しくも一生懸命働くのが美しい」という考えは通用せず、「社会のためになっているのであれば、きちんと仕事もお金も回るはず」という考え方を突き付けられました。
日本の医療制度は、制定当時は非常にいい制度だったと思います。それを支えるだけの経済成長もありました。そんな中で根付いていき、社会環境の変化や医療技術の進歩にも部分的な微修正で対応できていました。ところが不景気を経て少子高齢化が加速している現代では、この仕組みのままでは医療の力を十分に果たせないというところまで来ています。
しかし、現行の制度に慣れすぎたせいでこうした変化があっても制度のイノベーションを後回しにしてしまい、病院や医師の役割が「病気になった人への対応」ばかりで、「病気になっていない人」「病気になりそうな人」に何かしても評価もされずお金も入らない仕組みのままです。この仕組み自体が、医療者を予防に向けさせることを阻害するという今の状態を生み出してしまったと、気づかされました。
ただ、既存の仕組みを変えるには非常に大きなエネルギーが必要なことに加えて、変革のためのプロセスと変革後の理想とするモデルが見えていないと、誰もなかなか動きません。しかし、そういうことを語る人や設計する人が少ないのだとも思いました。
-日本の医療制度の問題点が分かった後、帰国して行政に関わることにしたのはなぜでしょうか?
私はハーバードで学んだ結果、医療のコンセプトとして「投資型医療」を理想像だと考えました。投資型医療とは、医療を健康に投資するものと位置づけ、国民が病気になりにくい社会かつ医療費の負担から投資への転換を目指していくこと。ただ、前例のないものをいきなり医療機関に落とし込むのは難しいと思い、実行のためのチャネルと自らの学びとして最善なのは行政だと思ったのです。
―投資型医療の構想を持ちながら、「厚生労働省保健医療2035」や経済産業省の「健康経営銘柄」に参画されたのですね。それらについては現段階で、どのように評価されていますか?
その2つの効果は出はじめていると思います。「保健医療2035」は認知度が上がり始めていますし、厚生労働大臣があのようなビジョンを書いたこと自体が画期的だと思っています。
健康経営銘柄も、企業側に「健康が1つの経営課題だ」という事をストレートに伝えているのが非常によかったと思います。この流れを継続させることが次のチャレンジになりますが、初期段階として市場を作るというマーケティングは成功していると思います。
健康保険組合のデータ活用が突破口
-株式会社ミナケアを設立した理由を教えていただけますか?
健康保険組合などの保険者が持っている健康診断やレセプトなどのデータを使えば、病気になった人を治す医療から病気にさせない医療に拡張させる突破口があるのではないかと思い起業を決めました。
ミナケアの柱は大きく2本です。1つは健康保険組合や国民健康保険などの保険者向けの投資型医療のコンサルティング事業。もう1つは、そこで得られたさまざまな知見や情報などのデータを使って、医療や公衆衛生の向上に向けた共同研究や開発を進めることです。
保険者は、加入者の健康に関する膨大な量のデータを持っていますが、活用しきれていない部分があり「溜まっているだけ」の状態になっています。理由としては、健診データを健康への投資に使う発想がなかったり、医療専門者が保険者側におらず、どのように活用したら投資型医療につながるのか分からなかったりすることが挙げられます。
そのため「こんな健診結果の人がまだ治療を始めておらず、このまま放っておくと心筋梗塞で倒れる可能性が高いですよね」などと保険者に説明していくことで、まずはリスクを認識してもらうことと、次いでどのようにその人へ受診を促すかを考えられるよう助言していきます。保険者は健康診断などを行う以外の大きな役割として、加入者の医療費の支払いがあります。健診データを活用すれば加入者のリスク回避が可能ですし、それが保険者にとっては支払い額削減につながるので、それらのデータをどのように扱っていくべきなのかサポートしています。
研究開発では、例えば製薬企業と一緒にBMIと血圧変化の短期的な相関を大規模に検証したり、医薬品の効能や副作用の検出にトライしたり、診療内容とガイドラインとの差異を見たりしています。そのほか、最近ではAIを用いたモデル構築の準備をしています。
医師が自信を持って医療を提供できるように
-その一方で医学生や若手医療者向けに山本雄士ゼミを開いていますが、それを始めたきっかけは何でしょうか?
私はビジネススクールに行ったことで、いかに医学部が「医学」しか教えていなかったかを痛感しました。また、知識としての医学は教えてくれますが患者さんとの向き合い方を教えてくれるわけでもないですし、医療従事者として医療の価値をどう考え、どう向上させていくべきかも教えてくれませんでした。「臨床」の現場でも、対個人かつ病気になった後の対処法に終始するばかりで、なかなかその先、その背景にまで目を向けられなかった。でも、医学部の外に、今の時代に必要な医療とは何か、それはなぜかといったことを考えるヒントがあったんです。
そして、帰国後に医学生からキャリアの相談を受けた時、卒業後の未来に夢が持てず、あまりにも医療界に魅力を感じられてない学生が多いことを知り、このままでは医療の根幹から崩壊しそうだと思いました。
確かに激務のわりにはあまり報われないように見えたり、画一的なキャリアに見えたりする側面だけですと、学生からすると魅力的でないと思うかもしれませんが、そこで得られる充実感ややりがいは、どの業界よりも勝っていると思います。ハーバードには国内外からエリートビジネスパーソンも数多く来ていました。でも、彼らはとても真面目な顔で「やりがいのある仕事がしたいんだ」と言っていました。
成功して大きな報酬を得ているかもしれないですが、もっとやりがいのある仕事を求めているエリートビジネスパーソン。一方、すごくやりがいのある仕事なのに激務や世間の医療不信から将来を悲観し、医学の道から離れようとしている医学生。このギャップに大きな違和感を覚えました。
だから医療の役割や意義、構造についてもっと知ってもらうため、そして参加者が自分のキャリアパスも含めて医療を考えるために、マネジメントスキルを学び、考える機会としてゼミを開くことにしました。1年間に10回開講し、5年間取り組んできた結果、延べ約3000人くらいの参加者と関わってきました。今現役医師が20万人としてそのうちの160分の1。さらに多くの医学生や若手医師、医療関係者に伝えていきたいですね。
-最後に、今後の目標について教えてください。
今ある最大の目標は、「リスク回避(=予防)」や「負担(=病気によるダメージ)を最小限にすること」にフォーカスした保健・医療・介護に、どうシフト、拡張させるかということです。これが今の時代に求められている医療だと思います。
災害マネジメントでは、いかに災害を回避するか、災害のダメージを最小限に抑えるかが、起きた災害からいかに素早く復旧復興するかと同じくらい重要です。人の体と病気に置き換えてみると、なりそうな病気を避けること、疾病の負担を最小限に済ませることと、どれだけ早く回復し元の生活に戻るかのどれもが大事ということです。今の医療はこうした発想や実現の仕組みにまだ乏しいと思います。
このような今の日本医療が自然と「リスク回避や負担軽減、速やかな回復」の方向性を持ち、そこに医療費を投資している社会になると嬉しいです。そのためにも、医療者が自信を持って自分たちの医療を提供し、人が長く気軽に健康でいられる社会を実現させていきます。