1つの事業を通じて、医療をより身近な存在に
―今の取り組みについて教えていただけますか?
2015年に株式会社MICIN(旧・情報医療)を立ち上げ、2つの事業を展開しています。
1つは、スマホアプリによる受診・処方せんの受け取りを可能にしたオンライン診療サービス「curon《クロン》」の開発提供です。元々へき地などに限られていた遠隔診療が、2015年8月に厚生労働省からの通知により、場所にこだわらず行えるようになりました。それに伴い2016年、業界に先駆けてオンライン診療サービスをスタートしました。
サービスを立ち上げた頃は、まだまだ認知度が低かったので、「遠隔診療なんて簡単にできないでしょう?」というような声がほとんどでした。それが、ここ2年ぐらいで医療者の認識も変わり、「オンライン診療を考えているので、どういう特徴があるのか教えてほしい」というポジティブな声を数多くいただけるようになりました。今では約650の医療機関に、この「curon」を導入してもらっています。
もう1つの柱である「データソリューション事業」では、電子カルテや健康診断データなどをAIで解析し、診断のサポートや治療の支援を行っています。
国立がん研究センターと組んで行っている事例では、大腸がんの内視鏡手術の動画データをもとに、技術力のある医師の手術手法を解析しています。将来的には、未熟な若手医師の指導やロボットに応用して手術を補助するナビゲーションなどに役立てていくことも視野に入れています。
このように、医師が持っている暗黙知と言われた知見を形式化(見える化)することで、場所を選ばずに、どこでも質の高い医療を提供することができます。
これまでは手術がうまい医師がいても、周囲の弟子が見よう見まねで学んでいくことでしか、その手技は伝承されず、伝承の範囲も非常に狭いものでした。それが、機械学習や深層学習のテクノロジーを使えば、制限なく、世界中のどこでもその技術を再現されるようになります。特に、内視鏡のような細やかな手技は日本が得意とする領域なので、日本が新たな医療をけん引していくチャンスでもあります。
―会社として「すべての人が、納得して生きて、最期を迎えられる世界を。」というビジョンを掲げていらっしゃいますが、このビジョンと「オンライン診療サービス」と「データソリューション事業」という2つの事業は、どのように結びついているのでしょうか?
人は病気になり病院で治療を受けたときに「こんな生き方をしていなかったらこんな病気にならなかったかも」「別のところならもっとしっかり見てくれたかも」と、納得がいかない結果になることもあります。医療と患者の間に距離があることで、このような課題が生じてしまうというのが私の認識です。
それゆえ、この2つの事業を通じて、医療をより身近な存在にしていきたい。「オンライン診療サービス」があれば、これまで場所や時間の問題で断念していた診療も受けられるようになります。「データソリューション事業」では、さきほど紹介した医師の暗黙知の知見を形式化して広げることで、世界に1人しかできない高い手技を街の医師が身に付けたりと、今まであきらめていた病気を治すことにも役立ちます。こんなふうに、私たちの事業を通じて、多くの人たちの「納得感を増やしていく」ことが可能になります。
―オンライン診療「curon《クロン》」は、一般的には医療機関からいただく使用料を患者さんが負担する、ユニークなサービス形態になっていますが、それはどんな理由からですか?
一番の理由は、実際にオンライン診療を使うことによって、便利さを享受できるのは患者だからです。もともと、現在の政策や保険制度については問題意識があります。公的保険を使って医療費をカバーしていくというのは、患者の経済条件に関係なく医療を受けられるという観点では非常に大切な制度だと思います。
ただし、その仕組みだけで医療に関わる費用すべてをカバーするのには限界があると感じています。医療に関連するサービスについては、患者が費用を負担する必要があるものも出てくるかと思います。もちろん、「患者にとってそれに見合うくらいの有益なサービス」をつくらなければなりません。
実際、私たちが提供している「curon《クロン》」は、患者の通院負担はもちろん、待ち時間もなくなります。それに加えて、患者自身のデータを活用して、受ける診療の質を高めたり、予防を実現できる設計になっているので、患者側へのメリットは十分に見込めると考えています。
医療政策に携わり見えてきた課題と突破口
―これまでのキャリアを教えていただけますか?
私が医学部に行くと決めたのは、高校生の頃です。両親が医師だったこともあり、私にとって医療はとても身近な存在でした。東京大学医学部に入学した頃は、医師が少ないけれど、これから重要になっていくであろう感染症科や放射線治療科、総合診療科などの医師になろうと考えていました。
そこから医療の仕組みづくりに興味を持ち始めたのは、大学5年生で受けたマッキンゼー・アンド・カンパニー出身の近藤正晃ジェームスさんの医療政策ゼミがきっかけです。ここでは、患者や医療提供者、保険者、メディア、政策を決める政府など、医療を支える人たちに接して、意見を聞きながら医療政策を提言するプログラムを体験しました。その経験を通じて、医療がいかに多くのステークホルダーに支えられているかを実感しました。
そして病院実習で、問題意識が高まりました。東大医学部の実習は通常は東京大学病院で行いますが、私は見識をもっと広めたいと思っていたので、聖路加国際病院や沖縄県立中部病院、米国ベス・イスラエル病院などさまざまな病院を経験しました。それらの病院で目にしたのは、先輩医師たちが身を粉にして働いている姿です。その一方で、医療過誤訴訟や妊婦のたらい回し問題などがメディアなどで大きく取り上げられていて、医療に対する世間の信頼が失われてもいました。そこに大きな溝を感じ、そのギャップを埋めるような仕事が今後必要なのではないかと思い始めたのです。
大学医学部を卒業後は、国立国際医療研究センター(当時:国立国際医療センター)にて研修医として臨床に携わりました。研修医をしている時に、以前お話をお聞きした近藤正晃ジェームスさんから、第一次安倍晋三内閣の特別顧問の黒川清先生がかばん持ちを探しているとお聞きして、これは医療政策の中枢に関わることができる千載一遇の機会だと思ったのです。
そこから黒川先生が立ち上げた民間シンクタンクの日本医療政策機構に参画し、黒川先生の政策秘書として医療政策の提言策定に携わりました。約2年半務め、今後の進路を決める上で、貴重な経験ができました。
その1つは、「医療制度は変えることができる」と分かったことです。医療制度というのは、政府の中枢の人たちが決めるものだと思っていました。しかし実際に携わってみると、そうした人たちが初めから解を持っているわけではなかったのです。強い意志と一定のエビデンス(証拠)があれば、自分たちでもつくったり変えたりできることが分かりました。
ただし、エビデンスをつくるには、小さなモデル(事例)が必要になってきます。そのモデルをつくっていくような仕事に価値があり、面白そうだと考えるようになりました。それで、次に米国スタンフォード大学経営大学院に留学してMBAを取得した頃には、起業にも興味を持つようになっていました。
―2015年にMICIN(旧・情報医療)を立ち上げられますが、「オンライン医療サービス」と「データソリューション事業」の2つの事業を展開しようという方向性はいつぐらいに決められたのでしょうか?
MBA取得後に入社したマッキンゼー・アンド・カンパニーに在籍していた頃に、医療をより良いものにしていくためには、「データ」がベースになるだろうとは考えていました。ただ具体的な事業領域については、起業する前後のタイミングで徐々に形になっていたと思います。
ちょうど2015年の初めに『保健医療2035』という、これからの保健医療のあり方を提言するシンポジウムが厚生労働省で企画され、その事務局を担当しました。そこでは20年後を見据えた保健医療システムをつくるという目的に合致した、遠隔医療や医療AIなどテクノロジーを活用した案がたくさん出てきました。しかし、案は出てきても政策を立案する側にテクノロジーを十分に理解している人は多くなかったのです。実際に医療や政策だけでも専門性が高い分野なのに、加えてテクノロジーも理解し活用するのは簡単なことではありません。だからこそ、医療、政策、テクノロジーを理解している人を巻き込んで、この2つの事業を中心にやる価値があると思いました。
海外進出も視野に入れ、社名を変更
―起業されて3年ほど経ちますが、大変だったのはいつの時期ですか?
今もずっと大変です(笑)。そのなかで強いて挙げるなら、何もないところから事業を立ち上げ、最初の仲間を集めたときですね。テクノロジーをコアに事業を展開していくには、キーとなるエンジニアの存在が重要だと考えました。そこで、マッキンゼーで同僚だった当社のCOO
である草間亮一と探したのですが、エンジニアのネットワークがなかったので、エンジニアが集まるコミュニティにアクセスして、片っ端から求人メールを送りました。こうした活動を続けているうちに、たまたま縁があって現在CTOを務める巣籠悠輔と出会うことができて、そこから他のエンジニアも集まるようになってきました。チームができてきたのはここ最近です。
―最後に、これからの展望を教えていただけますか?
オンライン診療サービス「curon《クロン》」は、2018年中にオンライン診療におけるNo.1サービスとしての立場を確立します。「データソリューション事業」については、他の医療機関や企業などと連携して、治療だけでなく予防にもデータを活用していきたいと考えています。
「オンライン診療」「AIを使った医療データの活用」といえば、最初に私たちの名前が出てくるようなポジションを固めていきたいですね。ただ、それをやろうとしたときにどういう名前で認知してもらうかが重要だと思います。そこで、2018年 7月に「情報医療」から「MICIN」に社名を変更しました。名前を覚えてもらいたい、名前が提供するものをイメージする存在になってほしいと思っています。英語にしたのは将来的にはグローバル化も視野に入れているからです。
私たちは、AIソリューション事業やオンライン診療などで、病気の予防や医療サービスの向上を図り、「すべての人が納得して生きて、最期を迎えられる世界を作る」というビジョンを掲げています。実現するのは簡単ではないと思いますが、この分野に初めて取り組んだ者として、10年以内には何らかの成果は出したいですね。
(インタビュー/北森 悦、文/西谷 忠和)