◆データの力で病院を賢くする
―現在の活動について教えてください。
現在の主な活動は、倉敷中央病院の病院マネジメントと取締役を務めるリアルワールドデータ株式会社での業務です。
病院マネジメント業務では、病院における医療データ利活用の整備を行っています。従来分かりにくかった、他病院と比べて病院の強みや弱みは何なのか、赤字や黒字はどこなのか、などを徹底的にデータ化し、可視化できるような体制を整備しています。データのインフラを整備し、現場が望むものを可視化できるツールを作ることで診療科の医療の質を現場で即座に評価するだけでなく、その病院の地域の中での役割や付加価値が明確になり、他病院との差別化やすみ分けが可能になります。
また、リアルワールドデータ社では、医療データベースの構築業務の統括を行っています。具体的には、病院ごとに仕組みが異なる検査結果・病名・薬剤などの電子カルテデータを標準化し、レセプト・DPCを加えて、医療データベースを構築し、研究者に利活用いただく仕組みを整備しています。今後、できるだけ多くの病院を網羅することで、より信憑性の高いエビデンスを生み出し、医療の発展に貢献できると考えています。
―これらの活動の背景にある課題感は何でしょうか?
私の活動の背景にあるのは、「病院はもっと賢くなれる、賢くなるべき」ということです。崩れゆく日本の医療をどうすれば持続可能なものとすることができるのか。国はモデルが無ければ、医療政策を打つことは難しいのが現状かと思います。ですから、医療費や介護費が高騰しているこの世の中で、病院の借金や膨らむ医療費を変えるためには、病院自体が自ら進んでもっと賢く医療にかかる費用を削減させる必要があると思います。昔のように収入を増やす病院経営のモデルではなく、自施設が提供する最適な医療は何かを考えたうえで、できるだけエコを考えた病院経営を考えていくべきと考えます(倉敷中央病院ではエコシステムと呼んでいます)。病院の現場のベッドの空き状況や待機患者の数などありとあらゆるデータが見えにくいことで、改善しようにも何を改善するべきか上層部は分からない、という課題もあります。それをもっと可視化することができれば、病院全体を変えることができる。そして、地域の中で自分の病院だけがいいということではなく、病院それぞれの役割をデータから見出し、地域全体の医療を変えたいと思っています。医療のITによる再構成、つまり、Medical RE-Engineeringが必要であると考えています。
◆新生児医療で学んだデータの利活用方法
―ところで、なぜ新生児科の医師を目指したのですか?
医学生の時にとある小児病院に見学に行った時のことです。入院している子供たちは、そのほとんどが寝たきりでした。そんな子供たちのご家族と話す機会があり話を伺っていくうちに、母親は看病に疲れ切って、父親は育児を放棄してしまうケースが多くあることに気が付きます。祝福されて生まれるはずの子供たちが、周産期のイベント等で寝たきりになってしまったことで、家族をバラバラにしてしまう――。そんな現実を目の当たりにして、医師として何かできることはないだろうか、と思い新生児科の医師を目指すことにしたのです。
―倉敷中央病院での研修を経て、その後京都大学大学院へ進学されたと伺いました。
研修で感じたのは、新生児科のエビデンスの少なさでした。例えば、わずか1500gで生まれた子に膜型人工心肺を回すなど非常にアグレッシブな治療を行い救命することに、医師としてのやりがいを感じていた時期がありました。しかし、年数を重ねるにつれて、診療の限界も感じるようになりました。病院が費用を全額負担してでも行っていく医療というのは社会的にどうなのか。また、医師ごとに治療方法が全く異なる場合もあり、もっとエビデンスに基づいた正しいガイドラインを作る必要があるのでは、と思ったのです。
そして、神奈川県立こども医療センターの豊島勝昭先生が主導で新生児医療のガイドラインを作る試みに参加する機会がありました。新生児医療は、他領域のようにエビデンスが整備されておらず、医師ごとに言うことが違うこともしばしば。そんな新生児医療のあり方に疑問を感じていた時期だったため、参加させていただきました。そして、ガイドラインを作成するメンバーに入ったことがきっかけで、論文を正確に読めるようになるために疫学や統計学の知識も必要だと思い、医師になって6年目の時に京大大学院の臨床研究者養成コースへ進学しました。
―大学院進学を経て、鹿児島市立病院へ。臨床の現場から病院マネジメントに興味を持った経緯を教えてください。
その後は、新生児医療の最も忙しいところで修行したいと思っていたため、鹿児島市立病院の新生児内科に2年間所属しました。しかし、臨床で活動する中で感じていたのは、やはり研修時代から感じていた現場の医療の限界でした。頑張れば目の前の子は助けられるかもしれない。一方、ガイドラインを作れば、そのガイドラインを見た医師が、医療を見つめなおし、より多くの患者が救えるのではないか。また、鹿児島では地域の中での当該病院の役割も考えながら周産期医療体制を構築されていたこともあり、地域における病院の役割を意識するようにもなりました。
また、医師6年目の時、厚生省で年間数億の医学研究費について審議する会に審査官として参加した時のことです。討論を拝聴して思ったのは、国が医療政策を進める時にはモデルがあって、それを展開してみて初めて国が動くということ。この頃から、現場の医療を変えるためにも「モデルケースを生み出す」ということを意識するようになり、病院の経営層へかかわっていくアプローチへと視座が高くなっていきました。
―その後、臨床から臨床研究支援センター、起業、病院マネジメントなど活躍の場を広げて来られたのですね。
現場で困っている先生のサポートをするため、2013年に倉敷中央病院の臨床研究支援センターへ着任しました。
その後、2015年には医療データベースの構築事業を手がける、リアルワールドデータ社の取締役を打診いただきました。もともと自分が倉敷中央病院で新生児部門のデータベースづくりに関わっていた経験から、京大の川上浩司教授がその技術を全国展開してみないかと提案していただき、起業に携わりました。
そして、現在では当社でデータのインフラを整備し、それを病院に還元しマネジメントの場に応用しようとしています。先ほどお話した、国の政策を変えるために、成功したモデルをつくる必要があります。そのモデルづくりを今、倉敷中央病院で実現しようとしています。
◆医療データの賢い活用で日本の医療を変える
―今後の展望を教えてください。
“My data for our future(私のデータが未来の誰かを救う)”を企業理念として、医療データを集約して、予防医療あるいは創薬につながる形にしたいと考えています。例えば、新生児の時に診た子供たちが、小学校に上がって学校健診を受け血尿が出た場合、この時点で追跡することができれば、重症化を食い止めることができるかもしれません。本来は捨てられてしまう学校健診のデータなどを電子化し、法が整備されたときにつなげる形で保管しておいて、しかるべき時にその子の人生を全て可視化する(我々は、“ライフコースデータ”と呼んでいます)ことが最終的な目標です。
病院マネジメントの面では、今後はおそらく医療が崩壊し、病院経営がごまかしきれなくなっていくと思われます。病院は経営のためという理由で、診療報酬上赤字になってしまう患者さんを避けて、提供する医療に制限をかけていくでしょう。賢い政策を実行できるようにしたいですね。そのためにまずは、倉敷中央病院で他の病院が真似したくなるモデルをつくり、ゆくゆくは全国へ広げていきたいです。
―最後に、これからキャリアパスを選択する若手へメッセージをお願いします。
自分が大学院へ進学した時は、キャリアチェンジが難しい時代でしたが、今は医師がさまざまな視点を持ち、柔軟にキャリアを選択することが許される時代になったと思います。ですから、若手には常に広い視野を持って、さまざまな世界を見て学んでいってもらいたいと思います。そして、目の前だけではなく、日本全国あるいは未来の患者さんのために自分に何ができるかも考えてもらえたら嬉しいですね。
(インタビュー・文/coFFeedoctors編集部)※掲載日:2020年5月19日