◆正確な画像診断を、安定してへき地へ届ける
―代表を務める株式会社ワイズ・リーディングの事業内容について教えてください。
まず主軸にあるのは、遠隔画像診断システム・『Y’s Reporting System』です。放射線診断医の確保が難しい医療機関に対し、遠隔でも高品質の診断結果をお届けできるサービスです。遠隔画像診断システムは既に日本に数多くありますが、弊社のシステムの特徴は、ダブルチェックシステムを採用していること。医療機関から伝送された画像データを、まず専属の放射線診断医に振り分け1次読影を行い、さらに放射線科専門医歴15年以上の医師が2次読影(※症例による)まで行います。そうすることで、レポートの質のばらつきや所見の見落としを減らし、質の高い診断レポートを提供しています。現在、熊本県内を中心に全国80施設と契約をしており、1日に250~300件の画像を読影しています。この1日当たりの件数は地方の大学病院よりも多いです。
他には、レポート作成を助けるAI・『Y’sCHAIN』の開発です。これは、自分自身も臨床の現場で実感しましたが、放射線診断医は常に不足しており、多い時は1日に100症例を診ることも。
この激務による現場の負担を少しでも解消するため、過去の文章をAIが解析し、入力の際にサポートすることで、より早く質の高い文書の作成を可能にしました。最近では、医療以外の法律や金融などの分野でも導入していただいています。
さらには、患者見守りシステム・『Y’sKeeper』。病院内に受信機を定点で配置し、発信機を持った患者が入ってはいけない場所に移動した際、アラートを表示させ危険を知らせてくれるモニタリングシステムです。入院していた認知症の患者さんが行方不明になった時、病院を離れてしまうと、病院中を大捜索しなければなりません。そんな現場のニーズから開発されました。
このように、私たちは診断そのものを便利にするのではなく、”病院や医師の周りにひそむ困りごと”を解決することに焦点を置くことで、医療従事者の方々からご満足いただいています。また、本社が熊本県にあり地域密着型で事業を展開しているため、取引先の方とも顔の見える関係が築けることが、信頼につながっています。
―遠隔画像診断サービスの事業を始められた背景には、どのような課題感があったのですか?
私が熊本県を中心に放射線診断医として勤務する中で感じたのは、田舎に住む患者さんには医療の選択肢が非常に少ないということ。医師不足の地域では、医師の立場が上になってしまうことで、患者さんは萎縮してしまい、例え間違った診断をしていても、相談できる関係性でないことがあります。21世紀のこの時代になってもまだ、間違った診断をしたり、診断は正しくてもそれが臨床医に伝わっていなかったり――。そんなことがまかり通ってはいけない、と思い、診断の8割以上を占めている画像診断から、正しい診断を行い、医師不足の地域へ確実に届けるシステムが必要だと思ったのです。
◆”言い訳”から始まった”大きな夢”
―ところで、なぜ医師を目指したのでしょうか?
生まれつき心臓に疾患があり、幼い頃から母親に連れられてよく病院に通っていました。その頃から、命を救う医師に対しての憧れが芽生え、医師を目指しました。また、私が医学部生の時は、血管内治療IVRがメジャーになりつつある時期。昔は、血管にカテーテルを入れ造影剤を流し撮影することが放射線科の仕事でしたが、その頃から血管の中から治療ができるようになり、放射線診断医への注目度も高くなっていました。そのため、注目されていたことと画像を通して全身をくまなく診られることに魅力を感じ、放射線診断医を志しました。
―起業に至ったきっかけを教えてください。
大学卒業後、熊本県内の病院で研修を行い、そこで先ほどお話した医師の少ないへき地での現状を目の当たりにしました。このままではいけない――。これがきっかけで、放射線診断医として医師不足の地域に安定した医療を提供したいと思うようになります。そのためにはまず、放射線診断医としてスペシャリティが必要だと思い、研修後は大学院へ進学しました。
しかしその頃、家庭の事情で多額の借金を背負うことになり、毎月返済に追われる生活で、夜も眠れないほど追い詰められてしまいました。そして研究は諦め、まずは借金を返すため、アルバイトを始めることにしたのです。しかし、大学院の教授にアルバイトで生活するので辞めます、と言って納得されるはずもなく――。教授を納得させる理由が必要になり、医師不足の地域に医療を提供するためにも、当時メジャーになっていた遠隔画像診断の会社を地元である熊本で立ち上げる、という”言い訳”を思い付いたのです。そうして教授も認めてくださり、大学院を辞めた後は、県内で放射線診断医がいない病院でアルバイトをしながら、遠隔画像診断システムの開発に取り組んでいました。
―波乱万丈な起業までの道のりを経て、遠隔画像診断システム開発に至るまでの経緯を教えてください。
会社を立ち上げた後、しばらくはアルバイトを続けながらシステム開発に取り組んでいました。起業して1年程経った頃、富士フイルムメディカル株式会社さんと熊本大学に、熊本県で遠隔画像診断システムを開発しようとしていると相談したところ、産学連携をすることに成功します。熊本県の医療の中枢である熊本大学は、読影医のいない施設にも画像診断を提供したいと思っていましたが、事業を運営することは大きな負担になっていました。一方で、富士フイルムメディカルさんは、画像保存通信システムで業績を伸ばしていましたが、遠隔読影システムのノウハウは当時持っていませんでした。そのため、大学は読影医の人材を、富士フイルムメディカルさんはシステム開発を、私たちは遠隔画像診断のノウハウを。この3者が連携をすることで地域密着型遠隔画像診断システムの開発が実現したのです。
―産学連携で事業を安定させたのですね。事業を展開する上で苦労したことはありますか?
最も苦労したのは、システム開発から数年後に突然大学側から人材の派遣が中止になった時ですね。そもそも大学側は民間企業との営利目的での連携に応じることはできません。しかし、私たちの会社は公共性が高いとのことで、全国的にも珍しく大学側から民間企業に人材を派遣することを認めてもらいました。そんな中、勤務体制についてのすれ違いがきっかけで人材の派遣が中止になってしまい、契約していた読影医の先生方が一斉にいなくなってしまったことがありました。その時は最大のピンチでしたね。
とにかく大急ぎで友人の医師たちに連絡をして、その友人から友人へ連絡してもらい、少しずつ読影医を確保しました。すると、なんと以前よりも多くの先生を確保することができ、今では2次読影も可能なまでになりました。今思うと、あの時のピンチは事業を成長させるきっかけになりましたね。
―ピンチをチャンスに変え、成長してきた株式会社ワイズ・リーディング。現在は、システム開発だけではなく、若手への教育にも尽力されているそうですね。
そうですね。1つは、起業当初に通っていた経営者育成塾の経験からです。私は37歳で起業したのですが、それまで病院で過ごした経験しかなかったため、起業当初は視野が狭く経営も初心者。このままではいけない、と思い中小起業診断士の方が開いている経営者育成塾に通いました。毎回他業種の経営者が集い、勉強や意見交換をすることで、医療分野だけでない広い視野を持つことと人づくりの大切さを学んだのです。
2つ目は、東日本大震災で被災地の状況を見て衝撃を受けたことがきっかけになります。災害によって当たり前だと思っていたものが、跡形もなく失われてしまう。もしあの大地震が東北ではなく熊本で起きていたら――。このまま会社の利益だけを考えていてはいけないと思いました。それよりも、0から1を作れるような人材を育成することが本当に必要なことだと気が付きました。仮に非常事態に陥って会社が無くなっても、何度でも立ち上がることができる。これらの経験から、人材育成の大切さを実感しました。
現在では、熊本市内に『SOCKET』というラボをつくり、そこで定期的に勉強会や交流会を開催しています。例えば、医学生向けに無料で実臨床の画像を見せて、画像診断の勉強をしたり、『みらいクラブ』では医学生が医学だけでなくテクノロジーやデザイン、起業などを学べるような場を提供したりしています。さらには、2011年からは弊社がオーガナイザーとして『PechaKuchaNight KUMAMOTO』を開催しています。20秒×20枚のスライドを用いてプレゼンターさまざまな活動を発信する、世界的に有名なイベントを熊本でも行っています。新たな仕事が生まれたり、新たな発見やつながりを見つけたりする場所になっています。
◆遠隔画像診断技術を日本から世界へ
―今後の展望を教えてください。
今後も、主軸は遠隔画像診断に置きながら、医療+開発の強みを生かしてさまざまなシーンの困りごとを解決するための開発をしていきたいですね。医療以外だと、例えば製造業。熊本県に工場のあるミシン針を作る会社から依頼があり、検品の行程にAIを導入し、人力の作業を機械化しました。このように、医療以外の分野でも技術を生かしていきたいです。そしていずれは、この技術を海外へ輸出したいですね。ASEAN諸国などは20年、30年後に、私たちが直面した医療の問題に直面することになると思います。その時、私たちの技術が生かせるのではないでしょうか。
―最後に、若手医師や他職種の若手へ伝えたいことはありますか?
若手医師もそれ以外の若手も、将来必ずチームリーダーになるので、その時にどんな夢や目標を持って組織を動かすかがとても大切になります。ですので、若手には医学だけにとどまらず広い視野と柔軟な思考を持って、夢を描いてほしいと思います。そのために私たちは、さまざまな分野が交流できる仕組みや夢を実現する手伝いをすることで、若手が夢を描けるような社会にしていきたいです。
(インタビュー・文/coFFee doctors編集部)※掲載日:2020年5月5日