coFFee doctors – ドクターズドクターズ

INTERVIEW

株式会社CROSS SYNC

代表取締役 医師

高木 俊介

「重症患者アプリ」で医療の質底上げと効率化を

医療従事者は患者の症状をバイタルサインや外見、動向で総合的に判断します。ですが当然、常に見ていられるわけではなく、その間に変化が起こってしまうことも……。横浜市立大学附属病院で集中治療・救急に従事する高木俊介先生は、そういった変化が原因で起こる悲しい結果を減らしたいと、ICTやAIを活用した重症患者アプリケーションを開発。病院勤務を続けながら、より多くの病院に実装化するために起業されました。「24時間どこにいても患者の変化に気づける未来」を目指す高木先生に、開発の経緯や課題、今後の展望について伺いました。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • 1
  • 2
  • 3

◆手術前後の異変に気づけなかった後悔

―なぜ、医師を目指したのですか?

中学・高校時代、生物や物理の科目が好きだったので理系の道をと考え、横浜市立大学医学部に進学しました。加えて、中高とラグビーをしていて、フルバックというかなり走るポジションにいたのですが、肉離れを繰り返すなど故障が多かったです。最後の試合も怪我で出られず落ち込んだ経験から、臨床研修の途中まで、スポーツドクターを目指していました。

―研修中に、現在の集中治療や救急専門医を目指すきっかけがあったのですか?

整形外科での臨床研修をしている際に、担当患者さんが膝に人工関節を入れる手術を受けられました。その方は前年に左の膝の手術も受けられていたのですが、前日の問診の際に「今回は不安だ」と泣いておられました。私からすると前年と同じ手術ですし、内容もあまり危険性がないと思ったので「大丈夫ですよ」となぐさめていましたが、当日、手術後に病室に帰室した際に急変して心停止してしまったんです。その時、救急や集中治療の医師が駆け付け、対応してくださったという出来事がありました。

結局それから1週間後にその患者さんは亡くなってしまい、死因は心筋梗塞でした。手術後「痛い痛い」と言いながら一般病棟に移られた際、私は膝が痛いのかと思っていたけれど、もしかしたら胸が痛かったのではと……。そのことに気付けなかった自分、そして目の前で急変しても何もできなかったことが心残りで、救急や集中治療の専門医を志したのです。そこから約20年、集中治療と救急医療に従事していますが、当時のことは今も頭から離れません。

―これまでのキャリアのなかで、一番のターニングポイントは何ですか?

留学経験です。2010年にマレーシアで心臓麻酔とICUの研修を受けたのですが、そこで衝撃を受けました。さまざまな国の医師が「価値観は違っていい。ただ仕事では同じゴールを持ってやるべきことをする」という意識で働いていて、これこそプロだと。

さらに、恥ずかしながらマレーシアの医療レベルは低いのではという先入観がありましたが、実は圧倒的に高かったです。しかも留学先はマレーシア全土から心臓手術のために人が集まってくる国立循環器病センターで、年間約4,000件もの手術を行なっていました。日本では多くても年間800件程度であり、その施設では約5倍の量をこなしていたのです。

そして手術が多いからこそ、さまざまな点で効率化、標準化されていました。分業も進んでおり、みんな余裕を持って働いていました。日本ではさまざまな施設に人材が分散し、それで疲弊しているところがありますので、非常に大きな違いだと思います。

その後、オーストラリアのニューサウスウェールズ州にも留学しましたが、そこでも、州内の病院の電子カルテが全て連携していて、自院と同様に見ることができました。そこから、効率的な医療実現のための研究や臨床に取り組もうと考えるようになりました。

  • 1
  • 2
  • 3

PROFILE

高木 俊介

株式会社CROSS SYNC

高木 俊介

集中治療・救急・麻酔専門医
横浜市立大学附属病院集中治療部部長/株式会社CROSS SYNC代表取締役
2002年横浜市立大学医学部卒業。横浜市立大学附属病院にて集中治療・救急・麻酔に従事した後、2010年よりマレーシア、オーストラリアで臨床・研究に従事。2012年から横浜市立大学附属病院 集中治療部に勤務し、2018年に准教授 部長に就任する。2019年、横浜市立大学附属病院での勤務を継続しながら㈱CROSS SYNCを創業。重症患者の予測モデルの構築、集中治療室の業務効率改善、遠隔集中治療体制の構築をおもな研究課題としており、遠隔医療をテーマとした講演会の講師としても精力的に活動している。

↑