◆手術前後の異変に気づけなかった後悔
―なぜ、医師を目指したのですか?
中学・高校時代、生物や物理の科目が好きだったので理系の道をと考え、横浜市立大学医学部に進学しました。加えて、中高とラグビーをしていて、フルバックというかなり走るポジションにいたのですが、肉離れを繰り返すなど故障が多かったです。最後の試合も怪我で出られず落ち込んだ経験から、臨床研修の途中まで、スポーツドクターを目指していました。
―研修中に、現在の集中治療や救急専門医を目指すきっかけがあったのですか?
整形外科での臨床研修をしている際に、担当患者さんが膝に人工関節を入れる手術を受けられました。その方は前年に左の膝の手術も受けられていたのですが、前日の問診の際に「今回は不安だ」と泣いておられました。私からすると前年と同じ手術ですし、内容もあまり危険性がないと思ったので「大丈夫ですよ」となぐさめていましたが、当日、手術後に病室に帰室した際に急変して心停止してしまったんです。その時、救急や集中治療の医師が駆け付け、対応してくださったという出来事がありました。
結局それから1週間後にその患者さんは亡くなってしまい、死因は心筋梗塞でした。手術後「痛い痛い」と言いながら一般病棟に移られた際、私は膝が痛いのかと思っていたけれど、もしかしたら胸が痛かったのではと……。そのことに気付けなかった自分、そして目の前で急変しても何もできなかったことが心残りで、救急や集中治療の専門医を志したのです。そこから約20年、集中治療と救急医療に従事していますが、当時のことは今も頭から離れません。
―これまでのキャリアのなかで、一番のターニングポイントは何ですか?
留学経験です。2010年にマレーシアで心臓麻酔とICUの研修を受けたのですが、そこで衝撃を受けました。さまざまな国の医師が「価値観は違っていい。ただ仕事では同じゴールを持ってやるべきことをする」という意識で働いていて、これこそプロだと。
さらに、恥ずかしながらマレーシアの医療レベルは低いのではという先入観がありましたが、実は圧倒的に高かったです。しかも留学先はマレーシア全土から心臓手術のために人が集まってくる国立循環器病センターで、年間約4,000件もの手術を行なっていました。日本では多くても年間800件程度であり、その施設では約5倍の量をこなしていたのです。
そして手術が多いからこそ、さまざまな点で効率化、標準化されていました。分業も進んでおり、みんな余裕を持って働いていました。日本ではさまざまな施設に人材が分散し、それで疲弊しているところがありますので、非常に大きな違いだと思います。
その後、オーストラリアのニューサウスウェールズ州にも留学しましたが、そこでも、州内の病院の電子カルテが全て連携していて、自院と同様に見ることができました。そこから、効率的な医療実現のための研究や臨床に取り組もうと考えるようになりました。
◆ICTやAIを活用し、遠隔で多数の患者を見守る
―現在の取り組みについて教えてください。
横浜市立大学附属病院での集中治療室で、集中治療と院内急変対応に従事しています。加えて2019年に起業し、集中治療室等の重症系病床の患者さんの血圧や心拍などのバイタルサインと患者さんの実際の画像情報をネットワークでつないで集約、管理する重症患者アプリケーションの開発事業も始めました。ICTやAIを活用し、いつでも、どこでも患者さんの変化にいち早く気付けるようにするシステムです。
長年急性期病院にいる中で、私が研修医の際に経験したような急変がしばしば起きています。最初はそういった事態を、スキルを磨いて防ぎたいと考えていました。ですが、一人では数に限界があります。システムを普及して医療を効率化、標準化したほうが、全体の質を上げられると考えたのです。
当初は研究としてアルゴリズムを開発し、病院内で実装する形をとりました。ですが、研究ではどうしても論文がゴールになります。もっと多くの病院で実装しなければ、医療全体の質は変わらないのではと感じ、「いかに実装していくか」に主眼を置き事業として始めたのです。
―起業して最も大変だと感じられるのはどういったところですか?
想定よりも時間がかかることと、その間の企業体力の維持ですね。重症患者アプリケーションの実現には製品化して流通に乗せ、導入しなければ実装できません。製品はあとわずかで完成ですが、すでに3年を要してしまいました。まだ開発途上の部分もあり、これから医療機器の承認をとることも考えると、収益化までにあと2年は必要です。その間の資金調達のために投資家にプレゼンをして、心に刺さる資料を作成するのが難しいところですね。取締役会やさまざまな決議も初めての経験で、とにかく挑戦ばかりです。しかし、今も急変が起きている現場や私を信じて入社してくれた社員達のためにも、この事業を成功させると決意しています。
―CROSS SYNCで開発している重症患者アプリケーションについて、もう少し詳しく教えてください。
たくさんの患者さんのバイタルデータなどを同時に確認し、最も具合が悪い人を選定していくことが、一番大きな役割です。患者さんのバイタルサイン、血圧や心拍、呼吸数、酸素飽和度、体温を時系列に把握していくと、具合が悪くなる時は、だんだんと変動していきます。ですが一般的に看護師はバイタルサインを1日2~3回しか見られません。そのため、気付かない間に悪化し、急変が起きてしまいます。その変化を常に察知できる体制作りが重症患者アプリケーションで実現しようとしていることです。
もう1つ、まだ研究段階ではありますが、患者さんの画像をAIを使って自動解析して判定する機能もあります。手や身体の動きを見て、危険行動や興奮状態などを察知するのです。バイタルサインだけだと、なかなか患者さんの様子までは分からないので、両方で確認して何かあればすぐに医療従事者に通知する。そうすれば早めに治療でき、予後が良くなります。
何より一番のポイントは、24時間患者さんを見守り続けられる点です。医療スタッフ不足をカバーできますし、病室にいなくてもできるので働き方改革にもつながり、疲弊しない形で患者さんをしっかりサポートできるのではないでしょうか。
◆「遠隔ICU」を全国の病院や人を結ぶ存在に
―今後の展望についてお聞かせください。
現在は自施設内で取り組んでいますが、今後は複数の病院のICUをネットワークで結んだ遠隔ICU
のシステムとしての実装も目指しています。遠隔ICUのような複数患者を同時に管理する仕組みにおいても有用な機能だと考えております。また、多くの病院からデータが集まるほどアルゴリズムの精度を上げることでき、重症患者を抽出しやすくなるので、より早期の対応が可能になります。
ですが現在は、各病院だけでデータを保持している状況です。「効率化するために集約しましょう」と啓発していますが、なかなか認知されていません。というのも、データや個人情報を管理しているのはシステム担当者や医療情報部門で、彼らからすれば、データの漏洩や事故が心配です。医療従事者とは担っている責任と権限、役割が異なっているので、認識を合わせて、もう少しデータをオープンにしていく方向へ、学会とも相談しながら進めていきたいと思っています。加えて、自治体関係者や一般の方に「遠隔ICU」のメリットを分かりやすく伝えることも、推進していくための大きな課題だと感じています。
―ほかにも課題と感じられている点はありますか?
横浜のような都市部と医療資源の少ない地域では「遠隔ICU」に求めるメリットが違っていて、エリアに合わせてシステムを変える必要がある点です。都市部の場合は病院やICUのベッドは多くいものの、医師が足りない状況です。特に夜間当直の負担が大きいので、そこを重点的にカバーできるのが大きなメリットだと思います。
一方、医療資源の少ない地域は、そもそも人口に対するベッド数が足りていない上に医師が不足しています。こうなると、一地域だけでは成立しえないので、仕組み自体を変えていく必要があります。するとさらにコストがかかり、導入費用も高くなり、それが導入の大きなハードルになるのではと……。
この対策としては現在、遠隔ICUに対する保険適用の要望を出しています。ただ、まだ日本でのエビデンスが不足しているため、再度令和6年度の診療報酬改訂に向けて要望を出す予定です。
―最終的なゴールとして、どのような医療を思い描かれていますか?
全国に「遠隔ICU」が導入され、いつでも、どこにいても標準化された形で患者さんの重症度の判定ができる未来です。たとえ医師がいない地域でも、AIが具合の悪い人に気付き、高度医療を提供できる病院へいち早く救急搬送できる。そういった形での地域医療連携ネットワークのような仕組みづくりをサポートしていきたいと考えています。各病院間の患者搬送も含めて、病院という「点」ではなく地域という「面」で役割分担してくことが、今後必須になるのではないでしょうか。
ただ、それを人に任せると、病院ごとの判断の差異、人間関係構築の難しさなどもあり、ハードルが高くなります。そこに当社のシステムを導入することで、標準的な共通認識、共通言語で話せるようになり「この点数だからこの人は転送しましょう」といった判断が容易にできる環境にできればと思います。最終的には、そうやって人と人、医療従事者間の関係性をサポートできる仕組みを作っていきたいと考えています。
(インタビュー・文/coFFee doctors編集部)※掲載日:2023年1月18日