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INTERVIEW

MSD株式会社

執行役員 医薬政策部門統括

橘 薫子

「論語と算盤」で日本の健康基盤に貢献する

2年間の臨床研修ののち厚生労働省に入省、19年間医系技官を務め、2019年からは外資系製薬企業の政策部門リーダーを務めている橘薫子先生。ユニークなキャリアパスの過程でどのようなことを考え今に至っているのか、そしてご自身のキャリアを振り返り若手医師に伝えたいメッセージを語っていただきました。

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初期研修での経験から、公衆衛生へ

—医師としてのキャリアをスタートさせた頃について教えてください。

私は1998年に京都大学医学部を卒業しました。私は大学時代、あるいはその前から、地域や専門領域の境界を越えたり、できるだけ多様な人々と接点を持ちたいという性格で、海外の大学病院へ見学に行ったり、各国の医学生と交流したり、日本国内でも医学部以外の人たちと交流したりすることに関心がありました。

臨床研修も全国から研修医が集まる病院で、できるだけ多彩な内容の研修がしたいと考え、神戸市の中央市民病院(現・神戸市立医療センター中央市民病院)の内科で医師としてのキャリアをスタート。内科全般や麻酔科、ICU、救急病棟などをローテーションしながら2年間を過ごし、どの診療科を回っている間も必ず、1次救急から3次救急までを受け入れている救急外来で救急当直もしていました。

当時は阪神淡路大震災の復興期にあたり、医療圏は被災地で、病院のすぐ近くにも仮設住宅がある状況でした。そんな中で社会の縮図である救急外来で感じ取ったものは、健康の社会的決定要因(SDH)の重要性でした。

病歴を聞いていても、多くの患者さんの記憶に震災が深く刻まれていました。被災して家族や仕事、人間関係など大切なものの多くを失い、回復途上にある方が大勢いました。震災で環境が急激に変化し、失業や貧困、社会的孤立に直面し、それらが健康に影響を及ぼしている。そのような人たちを目の前にし、地域の医療連携のはざま、医療と介護・福祉のはざまに落ちてしまう人たちへの対応や予防医療など、社会医学的な側面への問題意識が芽生えてきたのです。

当時はまだSDHという概念は知らなかったですし、患者さんの背後に広がる生活や疾患予防にも目が向いていることが公衆衛生的なマインドだとは自覚できていませんでしたけどね。

—自然と公衆衛生や社会医学に目が向く中で政策立案や行政に携わるため、厚生労働省の医系技官の道を選んだのですか?

医系技官の試験を受けた時には、そこまで明確なキャリアビジョンを描けていたわけではありませんでした。予防も含めた日本全体の医療や健康保険のシステムを誰がどのように決めているのか、あまり明確には理解していませんでしたが、分からないからこそ外から眺めるのではなく実際に自分が意思決定の現場に入ってみたいと思ったのです。

また、医系技官の仕事内容の幅広さや奥深さは全然分かっていませんでしたが、医系技官を経験することは、ゆくゆく臨床医として現場に戻った時に、患者さんに対して多角的なアプローチができるようになるのでは、との思いもあり厚生労働省に入省しました。

当時は事前知識もほとんどなく、新しい経験への好奇心による直感的な選択だったと思います。臨床医としての人生の選択肢を失っている自覚も、それが転職だという感覚もありませんでした。しかし今振り返ると、結局は自分で経験してみないことには分かりませんし、新しい環境で新しい経験をすることで、未開拓の自分のポテンシャルを発見したり、成長するチャンスをもらえることもあります。ですから、この最初のターニングポイントは結果的には良い選択だったと思っています。

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PROFILE

橘 薫子

MSD株式会社

橘 薫子

MSD株式会社 執行役員 医薬政策部門統括

1998年京都大学医学部卒業。神戸市立中央市民病院内科研修を経て、2000年厚生労働省に医系技官として入省。厚生労働省、法務省、内閣府において医療・公衆衛生・福祉やグローバルヘルスに関する政策を担当。また世界保健機関(WHO)本部では政府等からの資金調達、国連エイズ合同計画(UNAIDS)本部ではHIV・AIDS対策のグローバルモニタリング・評価に従事。ロンドン大学熱帯医学大学院・経済学大学院にて医療政策・医療経済学(MSc Health Policy Planning and Financing)修士課程修了、ジュネーブ大学国際開発研究大学院にて国際政策交渉(Master of Internatial Negotiation and Policy)修士課程及びGlobal Health Diplomacyコース修了。2019年より欧州系・米国系外資系製薬企業の政策部門において、公衆衛生向上を目指した政策形成に企業の視点から取り組んでいる。

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