医療界の外から課題解決に取り組むことに、情熱を感じた
-研修医の時に医療課題に気付いたのですよね。どのようなこときっかけだったのですか?
脳という臓器に惹かれて脳神経外科医を目指し、初期研修では、聖隷浜松病院に行きました。毎月10日ほど当直もあり、忙しい病院でしたが「やれることは全部やる」ことがモットーの病院で、充実した日々を送りました。一方で「まるで蛇口ひねれば水が出るのと同じ感覚で際限なく医療が提供されている。この今のシステムでやり続けていたら、日本では医療者が何人いても足りないのでは?」という疑問も感じ始めるようになったのです。
こうして日本の医療の仕組みに興味を持ち調べ始めたことで、今後の日本は医療費を払う人が減り使う人が増える一方だという状況を知り、危機感を覚えるようになりました。40兆円の医療費を仮に20万人の医師が使い道を決定しているとすると、医師一人で2億円使っていることになります。さらに医療技術は進歩し、できることは増えていくため、医療費は増加する一方です。世界に比べても充実した日本の医療システムは、果たして維持しつづけられるのでしょうか。その疑問をさまざまな先生方にぶつけてみると、どの先生も「これではダメだよね、日本の医療は潰れてしまう」とおっしゃるものの、何をどう解決したらいいのか、そして誰がやるのかという答えは見つからないままでした。
-そんな思いがありながら、一度は米国へ渡ったのですよね?
学生時代に海外の病院実習に行ったことがきっかけで、国境をまたいで医師としてのキャリアを積んでいくことに憧れていました。そして米国が取り組みたい分野に関して最も進んでいたので、米国での臨床医を目指していました。その入り口として、まずは研究から始めようと思い米国へ渡ったのです。
しかしちょうど米国行きが決まった頃、「日本の医療課題は誰が解決すればいいのだろうか?」という思いが一番ピークに達していました。学生の時からの夢を突き進むか、日本の医療の変革に取り組むか、どちらにより情熱を注ぐべきかを改めて考え抜いた結果、医療を外から変えていく道を選びました。そこで、医療ヘルスケア関連企業のコンサルティングの経験も積めるマッキンゼー・アンド・カンパニーに入社することを決めたのです。
-何が決め手となって医療現場を離れることにしたのですか?
最終的には、尊敬する先生方の言葉が背中を押してくれましたね。「君は医療の現場を離れて、医療を救う医者になりなさい」「皆このままではダメだと思っているが、現場の人間ではどうしようもできない。君はまだ20代で若いし、やりたいことをやったらいい。そして、お前の持っている考えは間違っていない」「お前はまだ、良くも悪くも医者としての十字架を背負っていないから、その前に医療現場を出ろ」といろんな先生が言ってくださいました。
少なくとも自分が抱いている危機感は的外れなものではないし、何とかしなければいけないことなのだと、疑問が確信に変わっていきました。それで米国から1年で帰国しマッキンゼーに入社し、まずは医療を俯瞰してみられる場所で、解決方法を探ることにしたのです。
患者の医療リテラシーを上げられる場所を作る
-瀧口浩平さんの立ち上げた株式会社メドレーに参加したのはどのような経緯だったのですか?
彼とは中学受験の塾が同じだったんです。瀧口は高校時代に起業していて、メドレーは彼にとって創業2社目でした。彼の親戚の医療体験から医療に関する事業を始めたいと、医療介護の求人サイトを始めました。しかし彼の中に患者向けの医療事業を行いたいという思いがずっとあり、医療的見地から事業を監修する存在の必要性を感じ、一緒にやってくれる医師を探しているところでした。
彼と会って話をするうちに、患者の立場と医師の立場で登り方こそ違いますが、課題意識や目指す山の頂きは同じだと感じました。一番合致したのが「医療リテラシーを上げる」ことの必要性でした。彼は患者家族として経験したときに、「医療のことがもっと知りたい、知ることのできる場が欲しい」と感じていました。一方の私は、「医療が発展し選択肢が増えている現代において、患者が自らの治療を自主的に選択できるようにもっと医療のことを知っておくべきだ」と感じていました。
例えば研修医時代、当直担当をしていて「軽症なのに救急にくる必要はないのでは」と思うことがありました。多くの医師が、少なからず感じたことがあると思います。しかし患者側からすると、「救急に行くべきか分からないけれど、体調が悪いし、病院も開いているから行ってしまおう」という感覚でしょう。
当然、医師がどう思っているかも分かりませんし、そのことで日本の医療費がどうなるということは意識していないと思います。ただこのような患者が救急に来続けていたら日本の救急医療は崩壊することは明白です。だから患者にも、もう少し医療の現状を知ってもらいたい。けれども、彼らが医療を知ることのできる場所がないと感じていたのです。
また、昔は「治療すること=幸せ」だったと思います。治せるなら治療し、治せないなら治さない。医師の選択が絶対で、それが患者にとっての幸せでした。しかし医療も進歩し、全ての治療を行わない、病気とうまく付き合うという選択肢も出てきました。選択肢がたくさんある現代では、患者自らが選択し、納得して医療を受けたと思えることが幸せであり、医師も医療を提供することがゴールではなく、患者が納得した医療を受けて幸せになることがゴールであり幸せだと思うのです。
ところが、医療のことを知る場がないために、患者は医師に「お任せします」と言いがちです。それが信頼関係からの言葉であればいいのですが、十分に関係を構築できていない場合、納得できない医療を受けたら、そこに亀裂が生じます。これは、患者にとっても医師にとっても悲しいことです。このようなことを少しでも減らし、双方が幸せになる選択をするためには、患者が自ら納得できる医療を選択するための知識をつける場が必要なのです。こうした思いから、メドレーに参加し、医師たちがつくるオンライン病気事典「MEDLEY」を立ち上げました。
誰も入ったことのない道を進む
-MEDLEYを立ち上げて1年が過ぎましたが、最も苦労することはどのようなことですか?
MEDLEYでは300名を超える医師に協力してもらいながら、1400以上の病気のほか、約2万件の医薬品や16万件の医療機関の情報を集約し、日々その情報の改訂を行っていますが、患者さんが何を本当に求めているのかを知ることが難しいですね。ユーザへのヒアリングも行いますが、伝えたい情報と求めている情報を、どこまでどのような形で出すか、判断するのが大変です。
ただ、ユーザの方からの「この病気について、お医者さんにも聞けなくてモヤモヤしていたのですが、晴れました」「病院探しに役立ちました」という声を見ると、MEDLEYを見ることが納得できる医療に繋がり始めていると感じています。
一方で医師の中にも、実際にMEDLEYのサイトをお勧めしたり、印刷して患者に渡したりと、診療時に活用してくれることも増えてきています。また、2016年2月から始めたオンライン通院システム「CLINICS(クリニクス)」のサービスも、対面とオンラインを組み合わせることで、患者の通院負担を減らしたいという思いを持つ先生方に支持していただき、すでに複数施設で導入していただいています。このように私たちの理念に賛同して、サービスを診療に活かしてくださる医師も増えており、手ごたえを感じています。
-今の活動の原動力は何でしょうか?
目指す医療に向けて、自分がやるべきこと、自分がやりたいこと、そして自分しかできないこと、その3つが重なっているところで今、勝負で来ているかなと思っています。それが非常に楽しくて、原動力の一つになっています。
また、元同僚や上司が忙しい中でも協力してくれているということもありますね。現在、誰もやったことのない道を進んでいますが、一緒に働いていた医師たちが評価してくれていることは心強いです。彼らが評価してくれて協力してくれているからこそ、やり続けないといけないと感じています。