家庭医として地域と病院をつなぐ
―青森県黒石市の診療所での取り組みについて教えてください。
2010年より健生黒石診療所の所長として、地域の医療に携わっています。
黒石市は弘前市の東側、八甲田山の西側に位置する自治体です。豪雪地帯の1つで、冬には通院も困難な環境で、身体的な、あるいは経済的な事情から医療にアクセスできない人もいます。私が院長就任後は、診療所での外来とあわせ、訪問医療にも力を入れてきました。在宅の患者さんの数は、現在50名程度です。患者さんにとっては、具合が悪い時にこそ私たちが行くことに意味があるので、何かあれば積極的に往診するよう心がけています。
―坂戸先生が地域で果たしている役割は、どのような点にあると考えていますか?
家庭医としてはやはり、患者さんに一番近いところで相談に乗り、多くのことは解決し、必要に応じて病院や各機関と連携する点だと考えています。
地域の方の中には、整形外科に通いながら、精神科に通い、他にも内科は2か所にかかっているような方もいて、聞けば各科から処方された薬はすごい量になり、すべてを飲み続けたらかえって身体を悪くしてしまいそうな方もいます。そのような方の価値観、生活習慣や家族のことなどを踏まえて、何を一番大事にしているのかをもとに優先順位をつけ、医学的な側面との折り合いをつけることが必要です。このようことができれば、患者さん、家族の方だけでなく、病院の専門医の方にとっても役に立つことができると考えています。
―家庭医の教育にも取り組まれていますね。
教育診療所として、医師複数体制でやり続けるということ。これは、特に力を入れたいと思っていることです。複数体制でこそ協力し合い、学びあうことができますし、地域にもっと多くの家庭医・総合診療医が必要だからです。
現在、認定制度に則って後期研修プログラムをつくり、運営していますが、教育の質を高める点においては、まだまだやれることがありますし、指導医として私自身も学びつづけなければいけません。また、これは私のいる地域だけではないと思いますが、指導医も専攻医も、日々の臨床業務で精いっぱいとなってしまい、教育のための時間を確保するのが容易でないのが課題です。この辺りは解決していきたいですね。
かつて生協浮間診療所で家庭医療指導医コースの研修を受けた時、藤沼康樹先生から言われたのは、「下心で教育をしてはいけない」ということでした。育った人が自分の診療所に来てくれて、自分は楽になるのではないかという下心でやってはいけない。学習者のため、地域や社会全体のため、日本に貢献するために教育を行うという意識でないといけないとのことでした。そういったことを意識できるようにしていきたいと思っています。
地域に求められる診療所に憧れて
―医師を目指したきっかけを教えていただけますか?
高校生の時に黒澤明監督の映画「赤ひげ」を観て、漠然と「あんな医師になりたい」と思ったのがきっかけです。厳しいけれども優しく、地域の人のために力を尽くしている姿に憧れたのです。ただ、目指す医師像は明確ではありませんでした。それが明確になったのは弘前大学医学部入学後でしたね。
大学医学部1年生の時に、さまざまな医療現場を見学するプログラムで、青森県五所川原市の診療所を見学しました。五所川原市は、当時は一次産業中心のいわゆる田舎の地域で、その診療所は3~4年目の若手医師が1人で診療所を切り盛りしていました。今考えれば、その医師はかなり大変だったと思いますが、地域の人から診療所も医師も大事にされていました。そして、私もこういう風に働きたいと、自分の将来像が明確になったのです。
—青森県の病院で働く、ご実家のある千葉県に戻るなど、卒業後にはさまざまな選択肢があったと思います。進路に迷いはなかったのですか?
大学医学部6年生の臨床実習の際、ある医療機関で、常に怒りながら険しい表情で働いている医師の姿が目につき「医者よりも看護師になった方が仕事として楽しいのでは」と考えた時期はありました。しかし思い直して無事に医師になれました。卒後初期臨床研修などを経て病院内科で勤務していましたが、診療所で働きたいということはずっと希望していました。
私自身、青森県にはもともと血縁やゆかりがあったわけではありませんが、弘前大学に入学し、青森県内の多くの方々に大変お世話になりました。そのご縁もあり、今自分がいる場所で精一杯やってみようと思い、青森県で頑張ろうと考えました。
認知症に優しく、最期の場所を選べる体制を
―現在の活動を通して、青森県という地域で実現したいことはありますか?
一貫してあるのは、総合診療の質と量の発展を通じて、東北地方全体の医療に貢献したいという思いです。
少ない数の医師で広範囲に住む患者さんを診なければならない地域では、専門領域を持つ医師でも、総合診療的な役割を担っている方が大勢います。その方々とつながりをつくり、情報交換し、学び合い、気軽に相談しあえることで、地域全体の医療の質と量の一段上を目指せたらと考えています
―質の向上とは、具体的にどのような取り組みをイメージされていますか?
大きくは2つあります。まず1つは、認知症になっても幸せに生きられるような社会環境を目指していくということです。
認知症の患者さんには、物忘れや失禁など生活上の困難があり、家族の方が困っています。同時にご本人もまた、悲しそうにされています。黒石診療所では、物忘れについての相談を受けることが多いです。自分たちの力量も高めながら、地域全体で、様々な職種で支援していく体制を少しずつ整えていくことができればと思います。
また、ユマニチュードというコミュニケーション技術にも関心があります。ユマニチュードは、認知症の患者さんとコミュニケーションをとるための知識や技術を高める方法で、優しさを伝える技術とも言われます。先日も本田美和子先生(国立病院機構東京医療センター)を青森県にお招きして講演をしていただき、私もその後に入門コースの研修に参加しました。地域全体で取り組むことができたら、認知症の方を取り巻く環境が変わってくるのではと期待しています。
もう1つは、人が亡くなる場所についてです。
東北地方に限らず、国内で亡くなる方の多くは、最期は病院で看取られています。しかし、もし最期まで自宅や施設で暮らしたいという思いがあるのであれば、それも選択肢の一つだということを知っていただいて、実現できる環境をもっと作っていきたいと思っています。特にこの地域では、「住み慣れた自宅で最期を迎える」ことが可能であるということがあまり知られていないように思います。
黒石診療所では、在宅療養支援診療所として、多職種との連携を模索しながら、24時間往診可能な体制を整え、在宅診療に取り組んできました。これまで在宅診療の依頼にはほぼ全て対応してきました。私たちはこれからも、この体制で続けていきたいですし、より広い地域で、その希望を口にしやすい環境、叶えられる体制を整えたいです。
あと個人的には、楽しそうに働いていたいですね。学生時代、楽しくなさそうに診療している医師を見て進路を迷ったことがあるからこそ、逆に自分たちが楽しく働き、その姿を見せることで、後に続く人が出てきてくれると思うからです。それはひいては、東北地方の総合診療の質と量を向上させることにつながると考えています。
(インタビュー・北森 悦/文・塚田 史香)