復興住宅がスラム化しないために。石巻に必要なこと
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石巻は、もともと住んでいた街が津波で流されてしまいました。多くの命や家、お金も失われてしまいましたが、それ以上に「人と人とのつながり」がなくなってしまったのです。地域のお隣同士のつながりというものが。
被災した方々は最初避難所で約半年、その後仮設住宅で4年程過ごしてきました。4年過ごしてきた仮設住宅は、長屋スタイルです。長屋だと外に出たら誰かしら人に会うんですよね。そして、玄関の裏側に回って窓をコンコンとたたくと、中の人が生きていると分かるんですよ。確かに隣近所の生活音の問題はありますが、このように人がすぐに出てきて会うことができました。
私が訪問診療に行くと仮設住宅の階段に座って、おじいちゃん、おばあちゃんたちがお茶を飲んだり、お父さんがベンチを作ってくれて、そこに座れるようにしたり、そんな光景が見られていました。このようなつながりができていた仮設住宅から復興住宅へ今、被災者の方々が移っています。
復興住宅の多くは高層マンション型です。ある復興住宅は本当に何もない田園地帯に3棟ほどドカンドカンと建っています。
仮設住宅に住んでいたときから徘徊の傾向があったおじいちゃんが、復興住宅に移り住みました。一回建物の外に出たら、似たような建物が立ち並んでいたので、帰ってこられなくなってしまったのです。そうなると「もう怖い」と言って、部屋から出られなくなってしまいました。さらにはもっと若い、50歳代くらいの方でも、復興住宅に移り住んで近所との関わりがうすれてくると、家から出てこなくなる傾向があります。
部屋から出てこなくなると、認知症になるのも早いですし、体が弱くなるのも早い。さらには引きこもりという新たな問題にも発展してきます。また最近の研究で、他者とのつながりがある人のほうが、そうでない人より寿命が長いということが分かってきています。今復興住宅に移り住み近所同士の関係性がうすいところに、人が出会う仕掛けづくりをしないと、10年後20年後にこの復興住宅は本当にスラム化してしまいます。だからこそ、石巻の復興住宅で、コミュニティづくりが必要なのです。
(聞き手 / 北森 悦)
医師プロフィール
藤戸 孝俊 家庭医
2012年、京都府立医科大学卒業。済生会吹田病院で初期研修終了後、2014年から宮城石巻市開成仮設診療所にて後期研修中。日々研鑽の傍ら、NPO法人コモンビートのミュージカルプロジェクトに積極的に参加することで石巻市民との親交を深め、「こんなに地域の人と交流している医師はいない」と地域住民から慕われている。