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小児科専門医が透析回診をする理由

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何でも診られる医師になるため、内科、外科、麻酔科、救急科、小児科、産科の6科目での研修と、集大成としての豪州短期留学がセットになった15カ月間の研修プログラムがあります。齋藤学先生率いるゲネプロの「日本版離島へき地プログラム(以下:RGPJ)」です。2017年4月に1期生の研修がスタート。

1期生の一人は12年目の小児科医です。初日から透析管理、内視鏡トレーニング、正常分娩など盛りだくさん。その様子を齋藤先生に伝えてもらいました。

ゲネプロRGPJ1期生、一人目は医師歴12年目の小児科医・森田 順。彼が私のもとにやってきたのは、プログラムが始まる直前、2017年2月上旬のことだった。

「医師歴10年を超え、家族も関東にいるのでさすがに離島には行けませんでした。しかし大人も診れるようになりたいので応募しました……迷惑ではないでしょうか?」

謙虚で穏やかな小児科専門医だった。私はお子さんが4人いると聞き、自分の夢を後回しにしてきた一人ではないだろうか、と感じた。

森田医師は沖縄県立中部病院で初期及び後期研修を終え、専門医を取得。その後小児科医として働くが東日本大震災後、「大人も診られるようにならないと」と、いつも心の片隅にひっかかっていたそうだ。ついに決心を固め、年齢問わず診られるようになるために家庭医療研修を受けるべく渡米に向け、ECFMG(米国医師国家資格)を取得していた。そんな矢先にゲネプロのRGPJを見つけ、応募したそうだ。

彼が内科・外科・小児・産婦人科医・救急・麻酔の6科目を学ぶ「Core Clinical Training」プログラムを受けるのは、千葉県銚子市の島田総合病院だ。島田総合病院はRGPJの中でも唯一離島ではなく、東京からでも約2時間で行ける地にある。森田医師は自ら進んでこの病院を希望、私も家族がいても彼が夢を実現できる最適な病院だと考えた。

ちなみにこの病院は指導医が2人辞め、院長自ら現場の先頭を走る。研修病院のように徹底した指導はできない。しかし職員一丸となって医療、そして院長を支える。長年現場に立ち続けたスタッフが研修生の指導者なのだ。

初日。透析回診では、降圧剤の調整に頭を抱えていた。リンとカルシウムの掛け算は研修医以来。新しい薬を辞書で調べまくっていた。

内科外来では、腹痛の患者が来た。「刺身を食べたって言うから先生、アニサキスかもよ」ベテラン看護師が森田医師にささやいた。エコーに回すと超ベテラン技師長がアニサキスを指摘。「やっぱりほら」と、先程の内視鏡看護師がモニターを指差していた。彼もホッと一息。

続いては、開業医からの紹介で心不全疑いの患者が来た。風邪を契機に息苦しいとのこと。EF18%。食事が取れておらず脱水傾向。「うーん……」と頭を抱え、最終的には循環器出身の院長に相談していた。

午後からは、1kgを超える子宮筋腫の手術だった。70代のベテラン外科医が麻酔導入。60代の産婦人科医と大学からの応援医師が手術に来ていた。途中、私は外来に呼ばれ手術室を離れた。帰ってくるとベテラン外科医が前立ちに。応援の産婦人科医と森田医師は緊急分娩に。元気な赤ちゃんが生まれた。彼は次回、会陰裂傷の縫合を任されるかも……⁉

森田医師は一日で透析管理、内視鏡のトレーニング、心不全の治療法、全身麻酔、正常分娩、そして婦人科手術を経験した。そして1日を終えて再度言った。

「やっぱり迷惑ではないでしょうか?」

院長は、少し間を置いてこう答えた。

「みんなで考え、みんなで知識を出し合い、みんなで患者のそばに寄り添う。これがチームワークというものかもしれない。チームワークでしかこの病院は成り立たなんだよ」

この言葉には、私自身もハッとした。今までは、何となく抽象的な表現にしか思えなかった。しかしこの病院では、「あそこはあいつが支え、ここはあいつが支える」と、個人個人の顔が浮かんで真のチームワークが見えてきた。この病院のチームに入れば、1年後にはどれだけ成長できるだろうか?

小児科医専門医の挑戦が始まった。

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医師プロフィール

齋藤 学 救急科

合同会社ゲネプロ
2000年順天堂大学医学部を卒業、千葉県国保旭中央病院にて研修。2003年から沖縄県の浦添総合病院、鹿児島県徳之島徳洲会病院などに勤務し、2015年合同会社ゲネプロを設立、代表に就任する。2017年4月から「日本版離島へき地プログラム」をスタートさせた。
ゲネプロ

http://genepro.org/rgpj/

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