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高齢者から障がい者まで。ごちゃ混ぜ地域コミュニティのつくり方を学ぶ

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医療と介護をつなぐ役割を担うべく、活動を続ける家庭医の田中公孝先生。田中先生が運営メンバーとして関わっているHEISEI KAIGO LEADERS主催のイベント「PRESENT」は、団塊の世代が後期高齢者を迎える2025年、介護福祉を担う今の若手はどうあるべきかを考える学びの場です。今回の「PRESENT06」では、2016年2月に石破茂地方創生担当大臣(当時)と馳浩文部科学大臣が「多世代型住居」のモデルとして挙げた「Share金沢」を運営する、社会福祉法人佛子園理事長の雄谷良成さんをゲストに、「都市型コミュニティ」のヒントを学びました。

雄谷さんは昭和36年生まれ。祖父が住職を務める行善寺で育ちました。祖父は社会福祉法人佛子園を開設し、行善寺には多くの戦災孤児や障がい児を預かっていたため、彼らとともに暮らしてきたそうです。20代前半で青年海外協力隊でドミニカ共和国に行き、北陸の地域新聞である北國新聞を経て、34歳で社会福祉法人佛子園を継ぎ、住職もなさっています。

◆世代ごちゃ混ぜコミュニティ「Share金沢」と「西圓寺」

佛子園が注目されているのは、子どもや高齢者、障がい者などごちゃ混ぜのコミュニティ支援を展開し、全国の自治体や厚生労働省大臣、昨年は安倍総理大臣までもが視察に訪れる日本版CCRCと呼ばれる「Share金沢」を運営しているから。

「Share金沢」は、32戸のサービス付き高齢者住宅、8戸の学生向け住宅、30名の知的障がい者が共同生活する住宅をメインに構成されています。その他にも障がい者を雇用しているレストランやほとんどの日用品が揃う販売店、キッチンスタジオやアトリエ、学童保育に高齢者のデイサービス施設、レクリエーションルーム、家庭菜園用農地、ドッグランやアルパカ牧場までそろっています。高齢者を見守り、障がい者の雇用を生み出しています。

また、Share 金沢のほかにも、佛子園には重要な取り組みがあります。廃寺を地域住民が集まる場に変身させた「西圓寺」です。

雄谷さんは10年程前から、重度障がいのある方や認知症の方でも地域住民と接しながら過ごせることを模索しながらグループホームを建てていましたが、建設予定の近隣住民から反対されることもありました。反対の声を聞いて「地域ごと何とかしていかないといけない」と感じていた矢先に、何とかしてほしいと依頼されたのが廃寺の再建でした。

雄谷さんは、佛子園に任せきりではなく地域の人たちが主体的に取り組むことと、障害がある人や認知症の人が来てもノーと言わないことを条件に、お寺の再建という形ではなく、皆が集まる場所に生まれ変わらせることを引き受けました。敷地内に温泉を作り地域住民には無料で開放、本堂をビールも飲める休憩スペースにして、障がいのある方を掃除や休憩スペースのスタッフとして雇用しました。それが西圓寺です。この西圓寺の休憩スペースでの出来事こそが、佛子園の目指す方向性を物語っていたそうです。

「西圓寺にいろんな人が集まっている旧本堂にある時、重度心身障害で首が左右に15°程度しか動かない男の子に、震える手でゼリーを食べさせようとしていた認知症のおばあちゃんがいました。でも手が震えて口までゼリーを運べず、彼の顔にゼリーがこぼれる状態でした。止めようかとも思いましたが、ちょっと様子を見みることにしました。

そうしたら2,3週間後には、彼の首が結構動くようになってゼリーを受け止めようとしていて、おばあちゃんの手の震えも少なくなって、ゼリーを食べられていたんです。

2,3カ月経って認知症のおばあちゃんのご家族がやってきました。『理事長さん、うちのおばあちゃん西圓寺行くようになって、深夜徘徊がすごく少なくなって本当に助かっています。ただ、1つ分からないことがあって教えてもらえますか?おばあちゃんが、西圓寺に行かないとあの子が死んでしまうと言っているんですが……』と言うんです。おばあちゃんがそれだけ重度心身障がいの彼のことを気にかけていることを知って、我々スタッフは正直すごく驚きました。

福祉のプロである我々にとって重度心身障がいの彼の首のリハビリをして可動域を増やすこと、あるいは認知症のおばあちゃんの深夜徘徊を減らすことはとても難しかったのに、福祉のプロを差し置いて、彼とおばあちゃんが関わったらどちらも元気になっちゃった。我々は福祉のプロとして何でもできると勘違いしていたんです。

西圓寺では、子どもたちが親の付き添いなしでやってきます。障がいのある方たちが元気なおばあちゃんに教わりながら梅干しや漬物を作って販売したり、西圓寺の季節の飾りつけを住民がやったりしています。これが西圓寺の日常です」

◆誰でも受け入れられる土壌を作る

佛子園は住民主体で、日常的に持続可能な取り組みを進めています。また、どんな人でも活躍する場があること、元気な人が集まる仕組みであることを重視しているそうです。西圓寺のある地域は、小松市という人口減少が進んでいる市の一地域です。西圓寺を地域コミュニティにする前は55世帯だったのが、8年間で71世帯に増えています。

高齢者や病気の人、障がい者などが「サービスを受ける側」というポジショニングをされた時点で、「サービスをする側」はどんなに頑張ってもマイナスをゼロにする程度のことしかできません。しかし、先ほどの挙げた重度心身障害の子どもが認知症高齢者の深夜徘徊を減らすことができ、認知症の高齢者が重度心身障がい者のリハビリができるのです。そのような事実を受け止めていく土壌を地域に作っていくことが大事だと、雄谷さんはおっしゃっていました。

ここで前半の講演が終わり、参加者が「自分の暮らしている地域がどんな風に変わったらいいか」を考える時間が設けられました。

◆ごちゃ混ぜ地域コミュニティのつくり方

後半の講演では、どのようにしてごちゃ混ぜ地域コミュニティを形成していけばいいのか、いくつかのヒントをいただきました。

まず1つは、認識を変え着目点を変ええること。自分たちはプロだと思ってなんでもできると思っているかもしれないですが、自分たちでできないこともあります。だから福祉に限界があることを認識し、しっかりと地域をチェックして自分たちができていないところのサポート体制が整っているかを確認することが重要とのことでした。例えばスマホが使えない高齢者や障がい者の情報格差をどう埋めるのか、福祉サービスを使いたがらない人に地域としてどう接するかなどです。

2つ目は、「share金沢」に活用されたPCM(project cycle management)という開発援助手法を紹介してくれました。

  1. 関係者分析:どんな人のために、どのような人や組織が関係しているのかリストアップ
  2. 重要な関係者の詳細分析:もう少し重要な人たちの洗い出し

佛子園だけがデータを集めているのではなく、地域住民とブレインストーミングをしていくのです。

  1. 問題分析
  2. 目的分析:問題を解決することを目的に焼き直す
  3. プロジェクトの選択:それぞれのアプローチ方法を洗い出して、優先順位を決めていく

3つ目としては、海外の事例を見ること。一見すると海外の事例を自分の地域に落とし込むのは難しいかと思われますが、深く見ていくことでそれは可能だと言います。豊かな発展途上国ドミニカ共和国や夜静まり返っても高齢者が生き生きと暮らしているモナコ公国、政府が国民の精神的幸福に根付いた政策を進めているブータン王国などが海外事例として挙げられていました。

◆一人ではできないけれど

「学校の授業の一環で、多くの子どもたちも行善寺などに見学に来ます。ある一人の女の子が言った感想が『少し疲れときや悩みがあるときは、どうぞ行善寺にいらしてください』でした。私たちが頼んだわけではないですよ(笑)。第三者である女の子が、このように言ってくれることが私たちの喜びです」

人が人を通してつながるのだと、雄谷さんは言います。西圓寺に来て、先ほどの重度心身障がいの男の子を見て「今日彼、機嫌よさそうだよね」「そうそう、昨日はむすっとしてたよね」と、会話が生まれることで人と人がつながります。そして彼のお母さんもまた、このことを知りとても喜びます。

「地域を巻き込む側/巻き込まれる側」という構図ではうまくいきません。また、地方/都市で差異が出ることもありません。どんな地域でも人が二人以上いれば必ず1つのことが始まり広がるということが、最後のメッセージとして伝えられました。

◆ごちゃ混ぜコミュニティを成功させるには?

前半・後半の講演を聴き、参加者は「自分の暮らしている地域が変わるために、明日からできること」を考え、近くにいた数名でグループになって共有しました。

これまで、3回に渡って障がいのある人たちも含めて多世代の人たちが集まる地域コミュニティをつくってきた方々をゲストに呼んで、その実例を見てきました。

PRESENT04「全員参加型の地域づくりって、どうやるの?」-加藤忠相さん(株式会社あおいけあ代表)

PRESENT05「“福祉”って何?」‐飯田大輔さん(株式会社恋する豚研究所代表)

どのコミュニティにも共通するのは、そこに集まる人を尊重し、勝手にその人の可能性に限度を設けない運営側の姿勢ではないでしょうか。「介護・医療を提供する側/される側」という意識を外すことが、まず一歩目に必要ではないのかと感じました。

(取材・構成 / 北森 悦)

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医師プロフィール

田中 公孝 家庭医

2009年滋賀医科大学医学部卒業。2011年滋賀医科大学医学部附属病院にて初期臨床研修修了。2015年医療福祉生協連家庭医療学開発センター (CFMD)の家庭医療後期研修修了後、引き続き家庭医として診療に従事。医療介護業界のソーシャルデザインを目指し、「HEISEI KAIGO LEARDERS」運営メンバーに参加。イベント企画、ファシリテーターとして活躍中。

田中 公孝
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