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【やまとラボ番外編】ピースウインズ・ジャパン稲葉基高医師 能登半島地震活動レポート

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ピースウィンズ・ジャパン稲葉基高医師に聞く
能登半島地震での緊急医療支援の舞台裏

正月三が日の出動要請

1月1日に発生した能登半島地震。甚大な被害に見舞われた石川県に、国際NGO「ピースウィンズ・ジャパン」所属の稲葉基高医師が緊急出動した。発災直後から救援活動の最前線に立ち、過酷な現場で懸命に活動を続けた。

「お正月だったので、のんびりしていたんです」と振り返る稲葉医師。しかし地震発生の報に接すると、直感的に事態の深刻さを察知した。

「テレビで被害の様子を見て、これはまずいと思いました。すぐにチームに連絡し、出動の準備を始めました」

深夜の被災地到着、ヘリで患者搬送

車3台に分乗し、当日の夜を徹して能登半島へ向かった一行は、翌朝には金沢空港に到着した。しかし周辺の道路が地割れで通行止めになるなど、被災地へのアクセスは極めて困難だった。「結局、NGOのヘリコプターを使うことにしました。自衛隊のヘリや医療機関のドクターヘリとも役割分担し、緊急の患者搬送を行いました」。

ダルマストーブの薄明かりが灯る避難所

発災翌日の1月2日夕方、稲葉医師は被災地の珠洲市に入った。そこで目にしたのは、まさに東日本大震災の惨状とよく似た過酷な避難所の環境だった。

「電気や水がなく、ダルマストーブの薄暗い明かりだけがある中、多くの避難住民が身を寄せ合っていました。誰もが疲労と動揺に打ちひしがれていました」

医療班は優先順位を付けながら緊急避難者から診療を行った。一方で、道路状況が悪く、車での病院搬送は極めて困難だった。

「インフラがないため被災地内の病院の患者受け入れには限界があり、ドクターヘリや自衛隊のヘリと連携し、1日に最大30人の患者の長距離搬送を行いました」

瓦礫の下からの救出、危機と隣り合わせ

1月6日、稲葉医師は極限の緊急事態に遭遇した。高齢女性が自宅の瓦礫に挟まれているという通報が入ったのだ。「クラッシュシンドローム、つまり圧挫された組織から出るカリウムなどが回り、命に関わる状態です。救出に先立ち、現場で薬剤を投与する必要がありました」。

消防隊と連携し、狭い現場で点滴ラインの確保、急速輸液、薬剤投与、保温に努めた。「自衛隊や他のNGO団体との連携も機能しました。お互いにサポートし合う態勢が、医療活動を成り立たせる上で不可欠です」。

医療支援のカギは地域との連携

稲葉医師が率いる「空飛ぶ捜索医療団“ARROWS”」は、外部支援チームの統括業務も担った。発災後は避難所の把握や支援者の手配、関係機関への報告など、調整役を務めた。

「現地の医療機関は、通常業務に加え被災者対応も抱えています。外部支援者が調整役を果たし、被災地全体に医療が届くよう尽力しました」

今後の課題については、こう語る。

「一般論として地域の開業医やクリニックの協力なくしては十全な医療は行えません。日頃から顔の見える関係を築き、連携体制を構築する必要があります」。災害は必ず起こりうる。医療が的確に機能するよう、平時からの備えが不可欠だと強調した。

「次は自分の街かもしれません。地域ぐるみで災害に備え、医療の万全を期すことが何より大切です」

稲葉医師はは保健医療福祉調整本部の立ち上げにも尽力した。「たくさんの支援チームが集まってきたので、その活動を統括・調整して、支援に漏れや重複が起きないようにするのが大切な仕事でした」と振り返る。

震災から10日以上経っても、まだたくさんの集落が孤立したままだった。稲葉医師は状況把握が難しい中、現地の医療体制が立ち直るまで支援を続けた。

一方、遠くから駆けつけてくれる災害支援チームにも、とても大きな役割があると語る。「被災地の病院を支援したり、避難所で診療したり、重症の患者さんを遠くの病院に搬送したり――。発災数日から1週間くらいの急性期から亜急性期にかけて重要な役割を果たしてくれました」。

行政地域超えた広域災害対策と専門診療

これから災害に備えるなら、行政の枠を超えた広域での取り組みが必要だと言う。「例えばキッチンカーやトイレカー、給水車などを自治体同士で融通し合える仕組みを作ったり、福祉避難所の運営マニュアルを整備したり。関係者が普段から交流して、互いの顔が見える関係を築いておくことが大切ですね。あと、多機関合同の実践的な訓練を重ねることも欠かせません」。

災害医療の現場には、救急だけでなく幅広い診療科のニーズがある。特に発災から時間が経つと、感染症が広がったり、持病が悪化したり、メンタルヘルスの問題が目立ってきたり。このような時には、やはり家庭医療や総合診療の力が発揮されることが多い。だからこそ、普段からプライマリ・ケアに携わっている医療者一人一人が、災害時の自分の役割について考えておくことが大事だと強調した。

日常・非日常に共通して必要なスキルを身につけられる仕組みを

もともとは麻酔科医になろうと思っていたが、患者さんを外来から治療までしっかり診たいという想いから、外科医の道へ進んだ稲葉医師。しかし、父が心疾患で倒れたことをきっかけに、救急の道を目指し始めた。

東日本大震災では、準備不足のまま被災地に飛び込み、無力感を味わった。「この経験から、医療以外の分野の知識も必要だと痛感したんです。そこで、国際NGOのピースウィンズ・ジャパンに参画し、組織基盤の構築に取り組んでいます」。

稲葉医師は「災害医療」「地域医療」「国際医療協力」という3分野の掛け合わせに、大きな可能性を感じている。資源が限られた状況下で求められるスキルやマインドは、この3分野に共通している。特に災害現場では、救命救急よりも日常の地域医療の延長線上にある活動の方が多いと言う。

ただ、こうした分野に情熱を持つ医療者の受け皿となる組織が、日本では少ないことを課題に感じた。「災害や国際協力の経験を積んでも、日常の医療現場には戻る場所がなかなかないという現状があるんです」。

稲葉医師は、この3分野を行き来しながらスキルアップできる「人材循環の仕組み」を作りたいと考えている。

「災害時に本当に求められるのは、高度な医療スキルだけではありません。地域理解、チームワーク、ファシリテーション能力など、さまざまな力が問われるんです。日常・非日常に共通して必要とされる力を身につけ、それを存分に発揮できる場を増やしていくこと。それが、災害に強い社会を作る鍵になると、私は信じています。これからも、そのための活動を続けていきたいですね」

(構成/coFFeedoctors編集部)※掲載日:2024年4月5日

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医師プロフィール

稲葉基高 救急医

1979年岡山県真庭市生まれ。2004年長崎大学医学部を卒業後、15年間、病院で外科医、救急医集中治療医として多くの患者の生死に関わる。
2011年:大阪府済生会千里病院千里救命救急センター勤務
    東日本大震災でDMAT(災害支援医療チーム)の一員として被災現場に派遣、十分な活動ができなかった悔しさから、災害医療の世界に入る。
2013年:岡山済生会総合病院救急科医長
2017年:岡山大学大学院医歯薬学総合研究科救命救急・災害医学講座
2018年:特定非営利活動法人ピースウィンズ・ジャパン(PWJ)に入職。災害医療を軸とした緊急支援プロジェクト「空飛ぶ捜索医療団"ARROWS"」立ち上げよりプロジェクトリーダーを務め多くの災害時に出動、徹底して現場にこだわった支援活動を行っている。

稲葉基高
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