医師9年目の川島恵美先生は、高校時代に産業医を志し、産業医として都内の企業に勤めています。そして最近では、臨床医をしながら産業医を始める先生向けに産業医の基本を学べるセミナーや、気軽に相談できるプラットフォームを作っています。そこに至った経緯を伺いました。
◆高校時代から産業医になりたかった
―産業医を志したのはいつからですか?
産業医になろうと決めたのは、高校3年生の時でした。医師になりたいと思って大学を調べている時に産業医科大学を知り、産業医の役割に感動して迷わず産業医科大学に進学しました。産業医科大学は大学6年生の夏に、産業医になるか臨床医になるかを決めます。ポリクリを経験して臨床にも興味が湧いてきましたが、産業医コースに進むことを決めました。
私が選択した産業医コースは、他の大学の卒業生と同様に2年間の初期研修を修了したのち、1年間だけ臨床現場を経験し、その後大学に戻り産業医の研修をみっちり受けてから企業に就職します。産業医コースの医師はたいてい、初期研修後の1年間はメンタルヘルスに必要な知識をつけるために精神科に行ったり、幅広い知識を着けるために内科や救急科に進んだりする場合が多いです。
―川島先生は、どこの診療科で3年目を過ごしたのですか?
私は珍しいのですが産婦人科を選択し、滋賀医科大学産婦人科学講座で後期研修をさせていただきました。村上節教授が産業医大出身者の状況を理解して下さったことや、大学病院としては珍しく、周産期医学・婦人科腫瘍学・生殖内分泌学・女性医学の4領域を網羅して学ぶことができたからです。非常に恵まれた環境でしたし、産婦人科は人手不足が叫ばれているからこそ、このまま臨床医になろうかと考えることもありました。
―それでも産業医を選んだのはなぜですか?
臨床現場では、切迫流早産で「今日から入院です」と告げられ、昨日まで仕事をしていたのに突然仕事を休まなくてはいけなくなった方や働きながら不妊治療を受け両立に悩まれる方、会社に言えないまま更年期障害で苦しむ方などがいらっしゃいました。仕事を持ちながらの受診が、いかに大変で苦しいのかを目の当たりにし、その前に予防できなかったのか?働く現場でのサポートをもう少し整えられないのかと思うようになったのです。
また産業医科大学での進路相談の際、産婦人科に進もうか悩んでいると、森晃爾教授が「働く女性の健康はこれからもっと重要になってくるが、産業保健ではまだまだこれからの分野である。あなたは産業保健と産婦人科の知識を融合するような視点を持った産業医を目指してみてはどうだ」とアドバイスをくださったのです。それならどちらもできますし、その視点を持ちながら産業医として活動したいと思い、改めて産業医の道を進むことを決意しました。
産業医の研修を受けるべく大学に帰ると、産業医として学ぶべきことはその他に沢山あり、産業保健の中で女性の就労に関連することはわずかでした。「私が目指そうとしていたことは、本当に必要なのか?」と悩む事もありましたが、少しずつ女性の就労に先駆者として関わってこられた先生方とネットワークができるにつれ、また頑張ろうと思えるようになりました。最終的には、企業で産業医としての役割を果たしながら、就労女性の健康支援をライフワークとして取り組めているので、今は非常に充実しています。
◆臨床医出身産業医のためのプラットフォーム
―今は、新たな取り組みを始めたと伺いました。
産業医の資格は持っているものの、うまく活用できていない医師に向けて、産業保健の知識や産業医としての基本姿勢、面白さを伝えるオンラインセミナーを始めました。それに付随して、初心者産業医の先生が、産業医として活動しているときの困り事を気軽に相談できるプラットフォームも作っています。
―それぞれについて詳しく教えていただけますか?
オンラインセミナーはビジネスマナーや臨床医と産業医の違い、産業医の心構え、歴史など本当に基礎の基礎からはじまり、メンタルヘルスや長時間労働者への対応、健康診断事後措置、安全衛生委員会など、産業医に求められる基本的な業務や産業医の職業倫理について、全6回にまとめています。意識したのは、明日求められてもすぐに使える内容であること。そのため、リアルタイムで質問を受け付けながらできるオンライン講座のスタイルにしています。
これまでトライアルも含め定期的に開催し、受講者も増えてきました。北は北海道から南は九州まで、さまざまな先生が参加して下さり、ニーズの大きさを感じています。
プラットフォームについては、受講者のアフターケアをしっかりやりたいと思い始めました。SNSで受講者だけのグループを作り、質疑応答などもしています。
産業医は孤独です。大企業であれば複数人の産業医がいることはありますが、多くの場合は1人です。ですから病院で他科の専門医にコンサルテーションをするように、ちょっとしたことをすぐに相談できるプラットフォームがあれば、産業医初心者の先生であっても安心してできるのではないかと思いました。ときには、相談が来てから1時間あまりメッセージのやり取りを続けることもありますね。
―なぜオンラインセミナーを始めたのですか?
2017年、10年目未満の若手医師交流会に参加した時に、産業医を専門にしている私がすごく珍しがられるとともに、次々と「産業医の資格は取ったのだけど、使い方が分からない」「何となく産業医もやっているが、自分のやり方が合っているのか分からない」「産業医始めたけど、おもしろさが分からない」と言われたのです。
それを聞いて「こんなにも産業医は魅力的なのにもったいない。契約先の企業や従業員に対してもそれでいいわけがない。何かできることはないのだろうか」と思うようになりました。ちょうどその頃出会った株式会社iCARE代表で産業医の山田洋太先生も、何となく産業医をやっている人が多いから、明日からでも使える実践型のセミナーを作りたい、とおっしゃって――。それがきっかけで一緒に(株)iCAREでオンラインセミナーを始めることになりました。ただ、自分がセミナーの講師になっていいのかは戸惑いましたね。
―なぜですか?
ベテランの産業医の先生は、たくさんいらっしゃいます。そして、臨床医としては大ベテランの先生もセミナーに参加されていて、自分が本当に講師に適任なのかと悩んだからです。
しかしセミナーの内容を議論していく中で、“経験年数が増えることで、初心者が分からないことを分からなくなる。今なら、それが分かるのではないか”と思うようになり、”全てを完璧に教えることはできないけれど、産業医の入り口には連れていけるかもしれない”そう思い直して、セミナーの講師をやる決意ができました。
―セミナーを通して、どのようなことを実現していきたいと考えていますか?
産業医と臨床医は同じ医師免許を取得していますが、同じ司法試験を取得した弁護士と検察官くらい全く違うと例える先生がいらっしゃいます。これは、臨床医から産業医になった時に私自身も実感しており、全く違うマインドのスイッチを入れなければなりません。ところが、そのことをきちんと理解して産業医をできている臨床医出身の先生は、多くはないと思います。
臨床医は、目の前にいる患者さん個人を治療することに最大限力を尽くします。一方の産業医は、社員が健康で元気に仕事できるようにサポートし、生産性を最大限に高め、企業の価値を高めることまでを視野に入れています。
臨床医のマインドで相談に来た社員の治療を最優先すると、同じ部署の他の従業員に負担がかかって疲弊し、部署全体がうまく機能しなくなり、特別扱いしてしまうことで、会社にも悪影響が出てしまう可能性があるのです。このようにマインドを切り替えられないと、いくら有能な臨床医の先生でも、企業側からすると「困った産業医」になってしまう可能性があります。
私にできることは限られていますが、産業医に興味を持たれた先生に産業医の魅力や基本的な知識・技術を伝え、気軽に相談できる場を作ることで、企業で活躍されるようになり、健康的に働ける人が増える社会に貢献できれば嬉しいです。