学生時代に国際的な母子保健の課題を知り、国際保健に携わりたいと考えていた堀内清華先生。日本での臨床を離れることや、ロールモデルがいないことで不安や葛藤を抱えながらも、ラオスでのJICAプロジェクトに参加しました。そんな堀内先生は今度どのようなキャリアパスを描いているのか、そして、国際保健に興味のある医師へ向けてのメッセージを伺いました。
◆母子保健に携わり、国際的な健康格差解消に取り組みたい
―なぜ、国際保健に携わろうと思ったのですか?
大学入学後、国際医学生連盟に加入したことがきっかけです。海外で開かれる会議に参加したり、他国を訪問して保健セクターにどのような課題があるのかディスカッションしたりしました。その中で、世界にはさまざまな問題があり、それを解決しようと志高く活動している人がたくさんいることを知り、視野が広がりました。特に、国際保健の中でも母子保健は大きな課題ですが、どの国に生まれるかによって、生きる期間が大きく左右されることにショックを受け、国際的な母子保健に携わり健康格差解消に取り組みたいと考えるようになりました。
―小児科を選択したのも母子保健に携わりたいと考えたからですか?
そうですね。小児科か産婦人科で悩んでいたのですが、決め手は大学5年生の時の外来実習でした。子どもの発達を診て、ちょっとしたことですごく良くなることに感動したのです。そして子どもの持っている未来への可能性に貢献したいと思い、小児科を選択しました。
―海外に行くタイミングは悩みませんでしたか?
やはり悩みましたね。多くの人が悩むと思います。実際、国際医学生連盟に所属していて、将来は国際保健に携わりたいと考えていても、いざ研修が始まるとそのまま臨床医を続ける人が多く、実際に国際保健の分野に進むのは本当に一握りでした。
結局私は小児科を選んだので、小児科専門医を取るまで臨床医を続けました。専門医が直接海外医療で役立つわけではありませんが、私は小児科専門医まで取ってよかったと思っています。子どもに関しては一通り分かるという自信と、小児科に関する知識は現地でも活かせましたね。
◆現地の人の意識を変える
―そして2012年に、JICAのプロジェクトでラオスへ。
NGOやJICAで海外に行けないかときっかけを探していたところ、たまたまJICAのラオスでの母子保健プロジェクトのポジションが公募され、運良く採用しててもらうことができました。
当時ラオスのプロジェクトは、私が行く2年前からスタートして5年で終了する計画でした。国が母子保健戦略を打ち出しても県単位で実行されないという課題があり、県単位でどのようにして実施できるよう落とし込み評価していくかというキャパシティ・ディベロップメントに取り組み、最終的には母子保健サービスの受療率の改善を目指すプロジェクトでした。
まず県の人に計画の必要性を分かってもらい、妊婦健診や予防接種の実施、産後検診、施設での分娩など母子保健分野の活動をピックアップし、それぞれの活動に必要な人材や医療資源、トレーニングを洗い出し、計画に落とし込む。そして、予算を取ってモニタリングして、モニタリングの指標がきたらデータをまとめて分析し効果を測るというような活動でしたね。
被支援国にはしばしばある傾向ですが、援助国が来て行う活動を下請けのような感覚で取り組んでしまうことがあり、プロジェクト開始当初は、県に計画すらありませんでした。その状態を本来あるべき姿である、県が計画を打ち出しドナーが動かす体制に転換していくのが狙いです。
―意識を変えていくのが重要ですが、かなり難しいのではと想像しますが、実際はどうでしたか?
現地の人は、今までは人に言われたことをやっていればよかったのに、なんで自分たちでやらなければいけないんだ、という雰囲気で――。最初はなかなか分かってもらえず、すごく大変でしたね。私自身もコミュニケーションの取り方などで失敗して、喧嘩してしまうこともありました。
日本人に接するのと同じような態度だと全くうまくいかないんですよね。それに気付くまでに数ヶ月ほどかかりました。でも、そこからは現地の人が主役だから、自分は一歩下がり、まずは相手のやりたいことを聞いて寄り添うことでコミュニケーションが取りやすくなり、「やってみれば分かるから」と何とか進めて、1サイクル終わった頃に、「あーそっか」とようやく分かってくれるようになりました。分かってもらえるまでに結構時間がかかってしまいましたが、その瞬間は嬉しかったですね。そして、1度分かると、翌年以降は積極的に動いてくれるようになりました。
◆実務と研究、両方できる人間だからこその活動を続けたい
―任期終了後のキャリアを教えていただけますか?
まず、ロンドン大学衛生熱帯医学大学院で修士課程を取りました。ラオスでのプロジェクトを通して、データを正確に扱うことが重要だと痛感し、もともと留学自体は決めていたのですが、疫学コースが世界的に有名なロンドン大学に行きました。
その後、WHOラオス国事務所に呼んでいただいて再びラオスに入り、母子保健コンサルタントとして、母子保健活動評価のための指標の改定や、必須サービスの選定などにも関わらせていただきました。
―2017年から帝京大学大学院公衆衛生学研究科に在籍しているのは、どのような理由からですか?
修士課程で疫学を学んだものの、まだ自分で使いこなすほどのスキルはついていなかったので、もう少し実践的に使いこなせるようになりたかったというのが1つ。
あとは、近年さまざまなプロジェクトのアカウンタビリティーの要求が強くなっていて、現地の人からも自分たちの取り組みの成果を検証したいという要望が増えています。そして実際にWHOとしての活動も検証をしたい思い、当大学院の博士課程に進みました。現在はラオスで研究をさせてもらっていて、WHO時代に関わっていた新生児ケアプログラムの評価を進めています。
―今後のキャリアパスをどのように考えているのですか?
私は「小児×国際保健×研究」という軸で活動を続けていく予定です。今言ったように、現場からプロジェクトの効果検証が期待されていますが、現地での実務と専門的な疫学データ分析の両方をできる人材はあまり多くありません。その両方に携わり続け、実務と研究を通して世界の健康格差を解消したり、途上国や先進国関係なく子どもの健康に寄与したりしていきたいと考えています。
―最後に、国際保健に興味があっても一歩踏み出せていない方へのメッセージをお願いします。
興味があるなら、まずは一回海外に出てみることをおすすめします。私自身も実は、興味を持ってラオスのプロジェクトの見学に行ったことで、プロジェクトに参加するチャンスが巡ってきました。
ただ、海外に出るまではすごく不安です。海外に出たら一体その先のキャリアパスにはどんな選択肢があるのか、一度海外に行ったら何年くらい働けばいいのか――全くロールモデルがいなかったので、未来のプランが描けないことが不安でした。また、ちょうど専門医が取れた頃は臨床が楽しく、「あと数年トレーニングを積めば何でもできるようのでは」「今辞めたらもったいないのではないか」と思いましたし、周囲からも言われることがあり、葛藤もありました。
しかし、過去に国境なき医師団で活動された先生から「なんで悩んでいるのか意味が分からない。海外に行って違ったと思ったらまた臨床に戻れるけど、海外に行くチャンスはそう多くないから、行ける時にいったほうがいい」と言われ、それで一歩を踏み出すことができました。
実際に踏み出してみると結構吹っ切れてしまうというか、むしろ今は将来が描けないことを楽しむくらいになりました。興味はあるけど、一歩を踏み出せない人はたくさんいると思いますし、勇気がいることです。しかし、もし迷っているなら一度少しでいいから出てみてほしいと思います。
(インタビュー・文/北森 悦)