2020年、佐賀県初の総合診療専攻医が誕生しました。教育を担当するのは、唐津市民病院きたはたの秋山瞳先生。秋山先生は佐賀県内で悩み模索しながらプライマリ・ケアを実践し、自身の経験から、佐賀に家庭医療・総合診療の教育地盤をつくろうと挑戦しています。秋山先生の現在の取り組みと、これまでのキャリアパスについて伺いました。
◆佐賀初の総合診療専攻医を指導
―現在、力を入れて取り組んでいることについて教えていただけますか?
私は唐津市民病院きたはたで、総合診療プログラムの担当者として総合診療専攻医の教育に携わっています。現在当プログラムには2人の専攻医が在籍しています。実はこの専攻医たちが、佐賀県内のプログラムで初めて総合診療専門医を取る予定の2人なのです。
佐賀県内には、2006年から家庭医療(総合診療)専門プログラムがあったのですが、10年以上、県内のプログラムで専門医を取得した医師がいませんでした。つまり、佐賀県で家庭医や総合診療医を育てた実績はゼロ。また、私を含めて3人しか家庭医療専門医がいません。3人の家庭医療専門医は、それぞれが佐賀県外で専門医を取得し県内で活動している状態です。ですからこの2人が総合診療専門医を取得できることは、佐賀県の総合診療や家庭医療にとって、非常に重要だと感じています。
―なぜ10年以上もの間、佐賀県内で家庭医療や総合診療の専門医を取得した医師がいなかったのでしょうか?
詳しい事情は分かりませんが、佐賀県は面積が狭く、医学部は佐賀大学にあるのみ。佐賀大学の医学生の中にも、家庭医療や総合診療に興味を持っている学生はいるものの、県内の家庭医療プログラムで専門医を取得した医師がいないために「佐賀では家庭医療や総合診療の研修ができないよね」という雰囲気になっているように感じています。1人も専門医を輩出していないプログラムで研修することは、やはり勇気も必要だと思いますから、なかなか初めの1人が出なかったのかもしれません。
ようやく2020年、当院で立ち上げた総合診療プログラムに初めて専攻医が来たので、ここから数年が非常に重要だと思っています。
―県内でも総合診療専門医が取れることを医学生にアピールするために、何か取り組んでいることはありますか?
本来ならば2020年度から、家庭医療・総合診療に興味を持っている学生が集まる場で、定期的なレクチャーをしていこうかと思っていました。大学の先生方に掛け合って話を進めていたのですが、残念ながら新型コロナウイルス(以下、新型コロナ)の感染拡大によって実現には至っていません。
しかし当院は地域医療実習の研修先の1つ。これまでは年間5〜6人が回ってきていましたが、2019年から急に15〜16人程の医学生が回ってくるようになり、より多くの医学生に接する機会が生まれています。新型コロナの影響でこちらも思うようにはできていませんが、実習に来た医学生との関係性を積極的につくっていき、現場も見てもらうようにしたいと考えています。
◆「偉くなりたくない」から模索し切り開いた家庭医療の道
―ところで、秋山先生が医師を目指したのはなぜですか?
将来の職業を考える中で、実は医師という選択肢はかなり遠い存在でした。というのも、困っている人たちを支える存在になりたい、とは思っていましたが、一方で「偉い存在」にはなりたくないと考えていたのです。医師には「とても偉い」というイメージがあったので、医師になることは考えていませんでした。
ところが高校3年生の受験期、さだまさしさんの楽曲「風に立つライオン」を聴いて、気持ちが変化したのです。「理系で、幸いにも医学部が狙える成績。それなのに自分の気持ちを理由に医師の道を選ばないのは、逃げなのではないか」と。それで医学部進学を決めました。
ただ「偉くなりたくない」という思いが強かったので、医学部入学時に「大学病院には絶対に行かない」と決めていました。しかし入学当時はまだ、新医師臨床研修制度が始まる前。そのため、どうやったら大学病院以外に勤務できるのか分からず、1年生の頃から卒業後のことを模索していましたね。
-家庭医療の道に進もうと決めたのはいつ頃だったのですか?
「家庭医療」という言葉自体を知ったのは医師2年目頃でしたが、その方向に進みたいと決めたのは大学1年生の時でした。
卒業後のキャリアパスが全く見えないと思っていた時、たまたま祖母が、入院した病院の主治医に「孫が医学部に入った」と話したんです。そうしたら、その病院が医学生実習を受け入れていることを教えてもらい、参加させてもらうことになったのです。その時の実習先は同系列の診療所で、訪問診療に同行させてもらいました。
訪問診療をされていた先生は患者さんのフィールドに入り、患者さんと対等な目線で話していて「こんな医師になりたい!」と直感。この時から、将来は診療所の医師になりたいと考えるようになりました。
その後は、卒業時には新医師臨床研修制度が始まっていて、実習に参加させてもらった病院で初期研修を受け、その後は診療所で勤務しようと考えていました。ところが、ちょうど赴任されてきた先生が「診療所でも役立つ知識だから、もし興味があるなら、秋山先生のために家庭医療研修プログラムをつくるよ」と言ってくださったんです。
この時初めて、私のやりたい医療は「家庭医療」だと知りました。専門医という肩書きもまた、偉いイメージがあったので取るつもりはなかったのですが、診療所勤務に役立つなら取ってみようかなと思い、家庭医療プログラムを作ってもらうことに。
その病院で3年間の研修を受けた後、医師6年目からは希望通り、佐賀市内の神野診療所での勤務を始めました。
-憧れの診療所勤務を始めてみて、どうでしたか?
診療所での実臨床はずっと希望していたことでしたし、訪問診療にも携わっていたので、とてもやりがいを感じられました。ところが一方で、徐々に閉塞感も抱くようになったのも事実。数人の同じメンバーで何年も診療を続けていて、「このままずっと変わらず同じことを繰り返していくのだろうか……」と思い悩んだこともありました。
そんな折、ありがたいことに、診療所の先生方から「一度外に出て研修してみてもいいのでは」と勧められて、1年間、東京で研修を受けることになったのです。それをきっかけに、佐賀県で家庭医の教育の携わりたいと思うようになり、2015年、唐津市民病院きたはたへの赴任を決めました。
―なぜ、東京で研修を受けたことをきっかけに、教育に携わるようになったのですか?
東京に出てみると、同じ志を持ち、家庭医療を実践している同世代や下の世代の先生方がものすごく大勢いて、衝撃を受けました。私はそれまで、佐賀県内で家庭医療を専門にしている先生に出会えず「私1人、みんなと違う」と感じることもありました。
あまりにも楽しいので、そのまま東京に残ろうかと思ったこともありましたが「佐賀県内でこういった仲間と出会うために、教育の場をつくれないのか?」と思うように。そしてチャレンジすることを決め、さまざまなご縁に助けられながら、唐津市民病院きたはたに家庭医療研修プログラムをつくることになりました。
◆佐賀での家庭医育成実績、地域に根ざした医師のネットワークづくり
―今後の展望はどのように描いていますか?
現在、2人の専攻医がプログラムを受けています。まずは、彼らが専門医を取得できるよう力を注いでいくことが直近の目標ですね。佐賀県内でも総合診療専門医が取れることを示すことができ、佐賀県で総合診療医になりたいと考えている学生たちが、県内に残ってくれる可能性が高まるからです。
また、地域医療の現場でプライマリ・ケアに心血を注いでいる先生方はたくさんおられると思います。しかしつながりが希薄で、皆さん1人1人が黙々と診療に取り組んでいる状況。かつての私がそうであったように、思い悩んでいる先生もいらっしゃると思います。ですから同じ志を持って、地域に根ざしたプライマリ・ケアに尽力している先生方がつながれる場を提供していきたい、とも考えていますね。
実際に当院の教育の場をオープンにして、総合診療や家庭医療、または教育に興味がある先生方にも教育に参加してもらっています。コロナ禍で定期的な勉強会や振り返りを全てオンラインで開催するようになったので、ある意味地域の先生方にも参加していただきやすくなったように思います。まだ始めたばかりなので数名の先生方しか参加されていませんが、一緒に若手医師を育てる経験を通じて、プライマリ・ケアを支える医師同士の仲間の広がりも実現できたらと思っています。
ようやく家庭医療の地盤作りが始まったところなので、まだ道程は長いですが、1歩1歩進めていきたいですね。