「医局員に腹腔鏡手術を教えてほしい」。オファーを受けた磯部真倫先生が、新潟大学医歯学総合病院に赴任したのは2013年のことでした。それから7年で、新潟県下における腹腔鏡技術認定医はゼロから16名に増加。卒前教育改革にも着手し、産婦人科医を志望する医学生が着実に増えているそうです。
臨床、研究に比べて関心が低いとされる「医学教育」に日々取り組む磯部先生。自身も医師としてのキャリアに悩む中で、医学教育学との出会いが救いになった、と語ります。その取り組みと、医学教育に対する先生の思いをお話いただきました。
◆「新潟方式」で16名の腹腔鏡認定医を育成
―磯部先生が2013年に新潟大学に着任してから、7年間で16名もの腹腔鏡技術認定医を育成したそうですね。
婦人科腹腔鏡手術の地域間格差は、日本の産婦人科が抱える重大な社会問題です。新潟県もその例にもれず腹腔鏡技術の普及が遅れていて、着任した当初は県下の関連病院に認定医が全くいない状態でした。
都市部では、腹腔鏡手術の指導・教育を行う際は、技術認定医が所属する病院に修練医を集めて手術教育を行うことが通例です。しかし新潟県などの地方では人手不足から、腹腔鏡手術を学ぶために自施設を離れ、技術認定医の所属する施設に行くことが難しい事情があったのです。
―そのような地方のハンディがある中で、どのように認定医を育成したのですか?
都市部のように修練医を1つの病院に集めるのではなく、私自身が修練医の勤務する病院へ直接出向き、腹腔鏡手術を指導するスタイルをとりました。これを「新潟大学方式」と呼んでいます。
この「新潟大学方式」は、若手医師が自分の病院で腹腔鏡手術を学ぶことができるほか、患者にとっても、長距離移動をせずに低侵襲手術の恩恵を受けられるメリットがあります。この指導スタイルで、2014年からの3年間で計14カ所の関連病院に出向し、腹腔鏡手術指導を行った結果、新潟県における腹腔鏡手術件数は倍増し、腹腔鏡下子宮全摘術(total laparoscopic hysterectomy:TLH)の件数も10倍に増加しました。そして、関連病院における腹腔鏡技術認定医を2020年までに16名育成することができました。
◆卒前教育改革で産婦人科を学生評価1位に!
―卒前教育を通じて、産婦人科医の裾野拡大にも力を入れています。
私が新潟大学に着任した当初は、5年生の学生実習(ポリクリ)の学生からの産婦人科の評価は、全診療科23科の中で18~22位と低迷していました。そこで、自ら教授に学生教育担当を申し出て、どうすれば学生が産婦人科に興味を持ち学習できるか、どうすれば産婦人科の魅力を伝えられるかについて、他の医局員と日々議論を重ねました。
学生とのコミュニケーションを大切にしながら、手術や病棟の処置に積極的に参加してもらうようにし、分娩見学もできだけ多くの学生が参加できるように工夫しました。さらに、腹腔鏡、分娩、内診、胎児エコーなどのシミュレーターを購入し、実習環境を充実させていきました。
これら一連の卒前教育改革を行った結果、新潟大学産婦人科における学生実習の評価は年々上昇し、2019年度には1位に。その後も常に5位以内をキープできるまでになりました。それに伴い、6年次のクリニカルクラークシップの際に産婦人科を希望する学生が急増し、研修医終了後に産婦人科専攻医を希望する医師も増加しています。
―産婦人科の臨床医でありながら、医学教育にかなり熱意を持って取り組んでいるのですね。
産婦人科医というよりは「医学教育者」として活動している意識が強いですね。「教育」は自分の天命だと思っています。大学内でも「病院全体の教育に関わってほしい」と言われており、2021年5月からは産婦人科から離れ、病院全体の教育を統括する立場に移りました。
◆1つの正解より多様な価値観を伝える教育を
―今の医学教育において、先生が課題だと認識していることはどのようなことですか?
医学生はどちらかというと、テストで100点を取ることを目標にして医学部に入られた方が多いです。大学のカリキュラムも、国家試験に合格することが1つの目標になっているので、必然的に1つの正解を導くのが得意な人材を養成するシステムになっています。
しかし、医師の世界は答えのないことばかりです。またキャリア形成に関しても同様で「正解は1つしかない」という価値観を身につけると、キャリアに行き詰まったときに仕事に対する意義やモチベーションを見失ってしまう医師も出てきます。私自身も、研究に意義を見出せず、大学院を中退し、医局を飛び出した経験があります。でも自分のキャリアに悩む中で、私の場合は「医学教育学」に出会ったことで、救われたのです。
だから「正解は1つではない」ということ、多様な価値観を伝えていくのが、医学教育においても重要だと考えています。私はこれまで山形県、大阪府、新潟県とさまざまな地域の病院に赴任してきました。地域ごとの文化の多様性に触れたことも影響しているかもしれません。
―医学教育の課題をふまえて、先生が教育の実践において意識しているのはどんなことですか?
私自身、医学部時代の授業や実習に興味が持てず、授業にもほとんど出ていませんでした(笑)。だから、学生には同じような思いをさせたくない一心で、いかに学生に「大学に来ることが楽しい」と思ってもらうか、日々腐心しています。
まずは、指導している自分自身が楽しそうにしているのを見てもらうことですね。そして、インストラクションも重要です。教育を語る人が、話し方や教え方が下手だと全く説得力がないですから。
また、実習では出席確認も厳格に行っておらず、評価で順位をつけて競わせることは、あえてしていません。学生と医師との日々のコミュニケーションの中で、質問やフィードバックを繰り返す形をとっています。世界をみても、シンガポールなどの学校教育では順位付けを廃止する方向性です。順位というものは学生を動かす方法の1つではあると思いますが、学生の主体的、能動的な学びにはつながらないのです。
◆「教え方を考える」ことが自らの学びになる
―その他に、医学教育学に関連して先生が取り組んでいること、これから取り組んでいきたいと考えていることはありますか?
1つは、教育を志す医師のキャリア形成に取り組んでいます。医学の世界では、臨床や研究と比較して「教育」の位置づけや教育者のキャリアがあまり確立されていません。特に、産婦人科を含めた外科系の場合、どちらかというと「背中を見て学べ」という文化で、教育に興味がある医師はほとんどいない状況です。
そのため、教育の仕方についても系統的に学ぶ機会が乏しく「どうしたらうまく教えられるのか分からない」といった声を、多くの医師から聞きます。そこで、外科系医師の中でも教育者を育てるため、ファカルティ・ディベロップメント、つまり「医師に教え方を教える」ことにも積極的に取り組んでいるところです。
もう1つが、外科系医師の教育コミュニティを作ること。このコロナ禍でも学びを止めてはならないとの思いから、2020年4月より、全国の医師を対象に「オンライン勉強会を開く方法」についての勉強会を行っています。この勉強会に聴講生として参加した医師と、医学教育のコミュニティができつつあります。分野も産婦人科に限らず、外科系や総合診療などボーダーレスにつながっています。今はオンラインで全国の医師が集まれるので、とても有用な学びの機会となっています。
―最後に、若い医師たちへのメッセージをお願いします。
教育を学ぶことにはそれ自体が楽しいことですし、さらにいくつかのメリットがあることを知ってほしいですね。後進を育てる、社会とつながる、ということももちろんありますが、最も大きいのは自分の「学び方」が変わります。
自分の「教え方」を分析し、改善することができるのはもちろんですが、教え方を学ぶことを通じて、同様に自分の学びの好みや、自分の学び方の軸など、自分の学びのスタイルを分析できるようになり、学び方を改善することができます。これが、教育学の醍醐味だと思っています。
サミュエル・ウルマンの「青春」という詩に「青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。」という一節があります。いつまでも青春でいたい、心を熱く持ちたい――その思いを体現できるのが、私の中では「教育」なのだと思っています。
(インタビュー・文/coFFeedoctors編集部)※掲載日:2021年6月22日