消化器内科医として臨床経験を積み、戦略コンサルタントとしてビジネス領域への知見を深めた本田泰教先生。現在は、スマート治療室やデジタル教科書、デジタル医局事業を手がけるIT起業の社長を務めています。「人を幸せにする」という強い信念を持つ先生に、これまでのキャリアチェンジと見据える未来について伺いました。
◆手術室の情報をリアルタイムで共有、学びに転化
―先生が率いる会社「OPExPARK」の事業について教えてください。
シンプルにお話すると2つあって、1つがデジタル教科書をつくる「opeXpark」プロジェクトです。これは、手術に必要な戦略やノウハウ、デバイス関連のノウハウを手技デジタル教科書を通じて時間や場所関係なく学べるサービスです。これまで手術のノウハウは現場で学ぶ以外に手段がありませんでしたが、デジタルの力を利用することで、手術の追体験を効率よく学ぶことが可能になり、Learning curveが短縮されます。
2つ目は、手術室で使用されるさまざまな映像情報/機器データを活用した手術室のデジタル化を図る「OPeLiNK、OPeDrive」です。このシステムで記録した情報を、デジタル教科書として共有しています。
この2つの事業は、手技に関する経験が集う場所をつくりたい、手技に関する経験値や暗黙知をオープンシェアしたい、という思いからスタートしました。システムを通じて現場を幸せにしながら、デジタル教科書のコンテンツが半自動的に出来上がる仕組みになっています。
そもそも若手・中堅の医師にとって、動画が紐づく教科書を使って自己研鑽に励めることは、自己成長のために最高の環境ではないでしょうか。最近は論文でも動画が紐づくものが増えていますよね。私自身、メモを書き入れた教科書をバイブルとして持ち歩いていましたが、デジタル教科書は、頑張る臨床医にとっては必須なものになると今は感じています。
―海外展開も積極的に視野に入れていると伺いました。
現在、opeXpark会員の約8割は海外の方なのですが、日本の手技の暗黙知をシェアすることで世界の医療の均てん化を目指すことができます。それと同時に、日本の手技を輸出産業にすることで、日本の医療業界の活性化にも繋がります。留学をもっと簡単に出来る世界を創りたいですね。その二つの意味で、海外展開を本格的に進めています。
また、脳神経外科からスタートしたデジタル教科書ですが、要望の大きな他科で絶賛展開中です。
(2022年4月1日プレスリリース:https://www.opexpark.co.jp/news/322/)
◆医療現場以外で「目の前にいない人」を救ってみたい
―医師から起業家になられた経緯をお聞きしたいのですが、まずは研修先に日本赤十字社医療センターを選ばれた理由をお聞かせください。
医療にはさまざまな分野があります。私の中では、がんに携わりたいという思いがあり、また、緊急性の高い疾患に関する手技・薬物治療に関わりたいという気持ちが強く、消化器内科に学生時代から決めていました。
日本赤十字社医療センター内科コースは、当時、倍率が10倍ほどあり、マッチするまでも難関でした。あえて高いハードルにチャレンジしたいという思いが、まずありました。また、初期研修でどれだけ能動的に臨床経験を積めるかの軸と同時に、アカデミックな軸もある病院を選ぼうと考えていました。この2つのバランスの良さで決めたのが、日本赤十字社医療センターでした。
実際に、研修医2年目で内科当直を1人で任されるなど責任も重かったので、しっかり研鑽を積むには最適な場所でした。同期も最高の仲間達で選んで本当によかったです。
―研修を終えた後に消化器内科に進まれ、さらに医療現場の外へ出ることを決めたのはどういう思いからでしょうか?
臨床現場が大好きで、大腸or 胆膵の領域で日本の第一人者になり、世界で活躍することが学生の頃からのモチベーションでした。研修後は東大の医局下で、引き続き日本赤十字社医療センターの消化器内科に進んだのですが、そこで自分の憧れであり、現メンターである伊佐山浩通先生(現・順天堂大学医学部附属順天堂医医院教授)に出会いました。
尊敬する伊佐山先生グループの教えに「最初の5年間は、ガイドラインをちゃんと理解して使える医師になりなさい。6年目からはガイドラインを作る側の医師になりなさい」というのがあります。これは、5年間は目の前の人を、その後は、目の前にいない人をも幸せに出来る仕事をしなさい、ということなんですね。
医師になって4年目、AIの進化が話題になってきた頃、伊佐山先生が「自分の手技を誰もができるようなデバイスを作っている」とおっしゃっていました。それを聞いて「そのような世界はもうすぐ来るのではないか」と実感したのです。そこから「目の前ではない人を救う」ことを、別の切り口で挑戦してみたいと考えるようになり、悩みましたが医療の現場を外からみる経験をしてみることに決めました。
―コンサルティングファームに転身し、さらに起業へ至りました。
外に一度出ると決めてからは、自分が最も成長できる場所はどこなのかを考えました。その結果、ビジネス経験が全くない自分だからこそ成長曲線を最短にすべくチャレンジすべき場所として、戦略コンサルティングファームを選んだのです。Rolannd Bergerは戦略ファームの中でも若手に挑戦の機会が多くあり、ファームですごく有意義な時間を過ごせました。
またコンサル時代には、将来的な起業を考え始めていたので、自分が達成したい目標に対して常にアンテナを張っていました。そして、OPeLiNKを開発したデンソーと出会い、ビジネスモデルを固めて出資いただきカーブアウトベンチャーとしてOPExPARKの設立に至ったのです。
◆目標を見失わなければ、さまざまな道があっていい
―経営者として、今後のビジョンはどのように思い描いていますか?
OPExPARKの事業については、海外の協業相手が続々と出てきているので「日本で形をつくり、海外に進出していく」というイメージで進めています。
言葉も含め、海外の壁を感じることはこれまでありましたが、日本で確立したものをこのような形で世界に広めていければ、海外との壁を減らしていけるのではないかと思っています。
そしてデジタル医局構想もあり、その交流の場でボーダレスな手技を学べるようにもしたい。そうなれば、日本の医師にとっても海外留学がよりイージーになるはずです。
「頑張る医師がより自分を研鑽しやすい世界を作る」ことが、私の何よりの目標です。最終的な目標を見失わなければ、さまざまな道があっていいと、伊佐山先生からもお言葉をいただいており、今は迷いなく突き進んでいます。
―先生は現在も週1日は医師として現場に立たれています。医師と起業家、2つの顔を持つことへの思いを教えてください。
そこに関しては否定の意見もありますが、二刀流で両立したい、やり遂げるという覚悟を崩したことはありません。自分の医師としての本分は、医療を通じて人を幸せにすることだと思っていますし、一生変わることはありません。
経営者視点でいうと、病院という組織は、そこで働く人をもっと幸せにする方法があるのではないか、という課題を感じてきました。ですから、さまざまな医療課題を解決していくためにも、私自身が経営スキルをしっかり身につけていきたいとも思っています。
「やらない後悔より、やった後悔の方がいい」そう思ってこれまで進んできましたし、これからも進んでいくので、チャレンジあるのみですね。そして、同じ志のある仲間を増やしていければ嬉しいですね。
(インタビュー・文/coFFeedoctors編集部)※掲載日:2022年4月7日