森永康平先生は獨協医科大学で、医学生を対象に「対話型観賞」の手法を活用した授業に取り組んでいます。一見するとアート鑑賞と医療とは関係がないように見えますが、医療現場で活かせる手応えを感じているとのこと。なぜ対話型鑑賞を授業に取り入れ始め、どのような授業を行っているのでしょうか?
◆「国語」と「観察」が苦手な医学生が多い
―現在の活動を教えてください。
現在は訪問診療クリニックで院長を務めながら、獨協医科大学の非常勤講師として週1回大学で教鞭を取っています。授業では「対話型鑑賞」という手法を用いています。
対話型鑑賞とはファシリテーターの司会のもと絵画を鑑賞し、みんなで気付きを言葉にして共有しあい、理解を深め広げていくというもの。作者や背景などの作品情報は一旦置いておくルールにより、全員がフラットに気付きを共有でき、さまざまな判断材料を集めながら、作品の解釈を探っていく過程にフォーカスを当てることができます。ここで身につけたもらいたいものは、主に「国語力」と「観察への興味」です。
―なぜ、国語力と観察への興味を養う授業を行っているのですか?
医学生と接している中で課題に感じたのが、まさに「国語」と「観察」に由来するものだったからです。
今の医学生たちは真面目で、新しい病気や診断基準を覚えるのは非常に熱心です。一方で単語で会話をしたり、文章になっていないプレゼンテーションや根拠のないカルテ記載があったり。専門的な知識はあるのに、それらを有機的に結びつけるような言語が欠けていて、非常にもったいないと思ったのです。
また実習に出ると、患者さんを見ずに手元のメモ帳やカルテ、パソコンにかじりついている姿もみられました。患者さんの話した言葉のテキスト情報はもちろん重要ですが、話すのと同時に出現する表情や身体の仕草などの情報も加えれば、診療にとってさらに有用な情報になります。「それを見逃してしまうのは、非常にもったいない」というもどかしい思いがありました。
一方で、国語や観察への興味を身につけてもらうために「本を読め」「もっとよく見ろ」と頭ごなしに言ったところで、本質的には解決しない、とも感じていました。それで何かいい方法はないかと探していた中で、アートの視点や題材としての特徴に可能性を感じたのです。
―なぜアートに可能性を感じたのでしょうか?
恥ずかしながら一番の理由は、おしゃれですし、楽しそうと自分が率直に思ったから(笑)。これは自分のポリシーでもあるのですが、教える立場の自分が良いと思っていないものは本質を伝えられないですし、心からやりがいを感じたり楽しめたりしていなければ、そもそも指導を継続できないと思うんです。そして実際にアートを診療や教育の現場に実用可能な形で落とし込んで活用できる方法はないか、と調べていく中で対話型鑑賞に行き着きました。
対話型鑑賞はコミュニケーションベースで進みます。そのため主語があいまいだったり、発言の根拠に触れていなかったり、生徒の発言の中で事実と解釈がごちゃまぜになっていたりしたとき、その場で速やかに指摘し、気付きを促すことができます。そして気付き深めるために、他者の発言を注視し自身と比較することになるので、多様な視点を受容する姿勢も自然に養われていきます。
またアートには唯一無二の正解の解釈、というものはありません。そのことが場の心理的安全性を高めるため、発言するハードルをぐっと下げてくれます。そのため、普段話さないような子でも目を輝かせて発言してくれたり、授業への参加率が他のグループワークと比較しても格段に上がったりするんですよね。
患者さんの症例でのディスカッションや臨床現場での教育では、こういったコミュニケーションをしようとしても実現は難しいです。例えば患者さんが目の前にいる状況では、どうしても患者さんへの配慮が優先され、思った通りの発言がしにくいものです。また症例をテーマにしたグループディスカッションであっても、結局いつも同じ人しか発言してなかった、という経験は少なくないのではないでしょうか。
対話型のアート鑑賞は決してたどり着けない正解に向かう「みる」「考える」過程にフォーカスできるので、これまで感じていた課題を解決する突破口になるのではないかと思ったのです。
◆対話型鑑賞は医療現場にどう活きる?
―対話型鑑賞の授業は、具体的にどのように進めるのですか?
全7回の授業で、なんとなく対話型鑑賞を毎回行うのではなく、各回、そして全体を通して学んでほしいテーマ(目標)を設定し、授業を設計しています。特に前半は言語力に特化し、「国語の型」を身に着けられるような内容にしています。本来、対話型鑑賞には、このように具体的なテーマを設定することは求められていません。しかし毎週アートを鑑賞するだけでは、自分が考える課題を解決できないと思い、私が独自に医療人に必要と感じているテーマを整理し、授業を編成しています。
もう少し具体的に言うと、例えば「事実と解釈」がテーマの授業の時には、事実と解釈を明確に分けてもらうために、予め「これから発言する際は、必ず枕詞として『これは事実ですが〜〜〜』『これは私の解釈ですが〜〜〜』と宣言してから、気付きを発言すること」と、ルールを提示して遵守してもらいます。事実と解釈が混在した発言があったら、やんわりと問いかけ、発言をやり直してもらったりします。
授業全体を通じて発言の「主語をはっきりさせる」こともテーマにしています。日本語は良くも悪くも、主語がなくても通じてしまいますよね。ですが、主語があいまいでコミュニケーションに混乱が生じることも少なくないでしょう。医療現場でそのような混乱を生じさせないように、主語を明確にして発言することを身に着けてもらうのです。
―対話型鑑賞を身に着けたことは、どのようにして医療現場で役に立つのでしょうか?
具体例として、今挙げた「事実と解釈を区別する」ことや「主語をはっきりさせる」ことが医療現場でどのように役立つか説明しましょう。
医療現場では、原則として事実に基づいて、病名や病態を推測したり重症度を判断して、検査・治療などのアクションを決定していきます。ところが事実と解釈を区別できていないと、患者さんに困った事実は起こっていないのに、自分の解釈で不必要な検査や処置をしてしまうリスクがありますよね。また、診療がうまく進まず、開始位置に立ち返り方向性を再検討しないといけない状況となった際、開始位置に解釈が入っていると堂々巡りになってしまうようなこともあるでしょう。
「痛い」というよくある情報も、患者さん自身が「痛い」と言っているのか、家族など周囲の人が「痛そう」と推測しているのか、発言の主語は誰なのかをはっきりさせることも、医療現場では非常に重要です。子どもがケガをして受診した時「子ども(本人)が痛がっているのか」それとも「保護者が『子供が痛そう』と思っているのか」では、その後の診察が変わってしまうこともあるでしょう。医療現場でのコミュニケーションの混乱を避けて適切な医療行為を行うために、主語をはっきりさせることは非常に大切なのです。
授業では、医療と直接関係がないアートを題材に扱うことがほとんどですが、それを通して視覚情報との向き合い方を学び、さらには視覚に限らず自分が集めた情報の吟味ができるようになります。また、さまざまな判断材料から解釈を導くことで、表面的ではない本質的な人物の心情や境遇へ歩み寄り、ストーリー(ナラティブ)を考えられるようになります。これは医療現場で有用であるのは言うまでもないのではないでしょうか。そういったことを目指して、対話型鑑賞の授業を進めているのです。
―授業を受けた医学生を見て、手応えは感じていますか?
1年生に向けた授業に取り入れて始めて5年目なので、まだ対話型鑑賞の授業を受けた学生が医療現場へは出ていません。そのため、この授業が本当に現場で活かされるものなのかは、これから分かっていくのではないかと期待しています。
ですが全部で7コマの授業が一通り終わる頃には、学生の変化を大いに感じますね。授業開始時にはあまり話さなかった学生も、慣れてくるとどんどん気付きを発言できるようになります。授業の最終レポートを見ると、1枚の絵から引き出せる情報量が格段に多くなっていたり、さまざまな判断材料から絵に描かれている人物に歩み寄り感情を想像できるようになったことで学生一人ひとり、どれ1つとして同じもののない感性豊かな物語を紡げるようになっていたり、さまざまな変化を感じ取ることができます。
◆日本文化を取り入れた対話型鑑賞を世界に
―対話型鑑賞の普及活動にも取り組んでいるようですね。
1年生の授業以外でも月1回病棟実習中の学生にも行っています。医療関係者以外にも月2回、オンラインで対話型鑑賞の体験会も開いています。依頼をいただきセミナーやフォーラムで講演させていただく機会も増えてきました。日本医学教育学会でも、ワークショップを開催。異色のテーマだったと思いますが定員以上の参加者が集まり、終了後も関係性が継続している参加者様もいて、新しい活動や取り組みの口火になったこともありますね。
実は世界に目を向けると、2020年時点で120以上の医科大学で美術館と連携したプログラムを実践しています(その多くが対話型の鑑賞方式を採用しています)。また研究からも、臨床現場でしか身に着けられないと言われていた観察力が、アート教育でトレーニングできると明らかになってきています。日本ではまだまだ取り入れられていませんが、対話型のアート鑑賞で培った観察力や言語力、コミュニケーション力を持った医療人は現場でも必ず活躍できると私は確信しているので、焦らず自分のペースで、少しづつ共感していただける人の輪を広げていければと思っています。
―今後の展望はどのように思い描いていますか?
海外では圧倒的な歴史や規模をもって実践されている医療従事者のアート教育ですが、その状況に甘んじて背中を追うだけでなく、日本文化特有の題材や感性・美意識も反映させた独自のプログラムを作って、いずれ世界にも発信していきたいですね。
例えばマンガは、言わずと知れた日本の文化だと思いますが、これを題材にした対話型鑑賞を試験的に始めるなんてこともしています。絵画よりも情報量が多いので、初学者向きでない題材という注意点は当然はあるものの、より多くの情報を統合して、ストーリーを編み上げていくことができる特徴から、格好の教育の題材だと感じています。何より、やっていて自分も楽しい。学生の反応もものすごくいいですね(笑)。海外の先行事例や形式を学んで取り入れるのもいいですが、日本文化を活かした対話型鑑賞にも大きな可能性があると考えています。
マンガ以外には、2022年度の授業で地元の美術館と連携し、栃木県の伝統工芸品である竹細工を題材に取り上げました。人間国宝がこしらえた、普段はアクリル板の中にあって触れられないような貴重な作品を、間近で手にとってその質感や重量を感じたり、周りを歩き回りながらさまざまな角度から鑑賞したりする授業は、スクリーンに映し出した絵画を見るのと比べても、学生の反応も大きく違いました。
医療に関連したところでは、いかに医療人を地域に根付かせていくのかは、差し迫った課題だと思います。奨学金制度や地域枠など様々な取り組みが実施されていますが、地域の伝統工芸品などを題材に勉強することで地域に魅力を感じ、好きになってもらう。そうして地域に残ってもらうという方法も本質的なアプローチだと思います。
その土地の人やモノにスポットを当て、そこでしかできない教育の取り組みの花が、全国あちこちで咲いていったら――考えただけでもワクワクしますよね。
(インタビュー・文/coFFeedoctors編集部)※掲載日:2023年5月16日