ロボット手術のメッカと言われる鳥取大学医学部附属病院で、婦人科がん領域のロボット手術に力を入れている小松宏彰先生。同時に医学生や臨床研修医の教育にも注力し、クリニカルラダーシステムのアプリを開発しました。アプリ開発の背景には、教育を受ける側・提供する側双方の環境やシステムへの課題感があったそうです。どのような課題感が出発点となりアプリ開発に至ったのでしょうか?そして、アプリによって目指す医学教育とは――?
◆医学生や臨床研修医の到達度をアプリで可視化
―現在、力を入れて取り組まれていることについて教えてください。
鳥取大学医学部附属病院産婦人科の臨床医としては、婦人科がんのロボット手術に力を入れています。国内でまだ私しかできないロボット手術もあり、婦人科がん治療の質向上のため、日々研鑽を積んでいます。同時に、医学生や臨床研修医に対する医学教育にも力を入れていて、4年かけてクリニカルラダーシステムをアプリ化した「ステップラダーシステム」を開発しました。
―「ステップラダーシステム」とは、どのようなアプリですか?
一言で言うと、教育を可視化するアプリです。医学生や臨床研修医が学習すべき項目を92項目に整理しています。学んだ項目ごとに指導者による5段階評価が入力され、1カ月にどれくらい学習できたか達成率がパーセンテージで表示される仕組みです。
例えば「ロボット手術時の鉗子の出し入れできる」という項目が達成できたら、その場で自分のアプリの該当項目をタップします。するとQRコードが出てくるので、指導医は自分のスマホでそのQRコードを読み込み、5段階評価とコメントを入力します。すると、評価日・評価者名も明記されて到達度評価が完了します。
これまで、どの医学生や臨床研修医がどの程度到達できているのかは、評価者の印象や感覚でしか分かりませんでした。それを網羅的に数値化・可視化しているので、誰が見ても一目で一人ひとりの到達度が分かるようになったのです。
他に、Bluetoothによる接触感知機能も搭載しています。そのため、いつどの指導医と一緒にいたか、教授や教育責任者が分かるようになっています。指導医と一緒にいる時間が短い医学生や臨床研修医は、指導者との関係に問題が生じているかもしれませんし、実習に積極的になれない理由があるかもしれません。そういった人には声をかけるようにするなど、心理面もフォローできるようにしています。
2022年4月からアプリを使い始め、現在は鳥取大学内でしか使われていませんが、すでに北海道大学や埼玉医科大学、熊本大学などから問い合わせがあり、トライアル版を使ってもらっています。今後商標登録して、1年以内に全国の産婦人科へ、数年以内に他の診療科にも普及させていきたいと考えています。
―まさに教育DXですね。
その通りです。実はアプリとは別に、分娩室をVR見学できるシステムも開発しました。お産の見学は産婦人科教育にとって非常に重要ですが、コロナ禍により一切見学できなくなってしまいました。そこで「お産の様子をリアルタイムにVR化すれば、分娩の見学が可能になる」と考えたのです。さらに映像をアーカイブ化しているので、夜中に医学生や臨床研修医を起こさずとも、日中にVRで分娩見学できています。恐らくこの取り組みは、全国でもまだ鳥取大学しか取り組んでいないのではないでしょうか。
教育アプリや分娩室のVR化を評価していただき、2021年には第1回日本産婦人科学会教育奨励賞をいただきました。
◆実習を数値化して評価できていない
―教育用アプリ「ステップラダーシステム」を開発しようと思った背景には、どのような課題感があったのですか?
実習での到達度をきちんと数値化して評価してあげることは、医学生や臨床研修医の満足度や到達度を上げるのではないかと考えていました。また適切な評価を伴った教育を受けることは、その後の人生を歩んでいく基盤になると思っていたんです。
ところが多くの指導医には、教育の方法を学ぶ機会が基本的にありません。そのためそれぞれの指導医は、教育法を学んでいない指導医からかつて教えてもらったことを踏襲し、今の医学生や臨床研修医に教えています。また、教育に熱心な医師とそうでない医師に分かれてしまい、熱意のある医師に教育の負担がかかってしまう構造があります。
「ステップラダーシステム」では、どの指導医が何人の医学生や臨床研修医を評価しているかを一覧で確認できます。評価人数が少ないことは、教育にあまり積極的に取り組んでいないことを意味するのです。このように医学生や臨床研修医の到達度を可視化すると、彼らの満足度向上だけでなく、指導医の教育への取り組み具合も可視化でき、教育全体の質が上がると考えました。
実はアプリの開発を始める1年前から、最初はA4用紙に実習項目70個を書いて医学生や臨床研修医に配布し、到達度を指導医に書き込んでもらっていました。学校の成績のようなイメージです。
実習中は常に持ち歩いてもらっていたのですが、紙だと1カ月もすればクチャクチャになってしまいます。またある1人の到達度を知るためには、その人を探し出して紙をチェックする必要があり、非常に不便でした。そして今お話した指導医側の取り組み具合を可視化するのも非常に困難。頑張ろうとしている医学生や臨床研修医をきちんと評価してあげたい、さらには頑張っている指導医が孤立しない形にしたいと思い、約4年かけてアプリ化しました。
―どの指導医も教育に積極的に関わらざるを得ない環境を作り出していますが、その点での風当たりは強くなかったのですか?
直接何かを言われたことはありませんが、面倒だと思っている指導医はいると思います。ですが、面倒ながらも教育に取り組み始めると意外と楽しめる、ということもあるはずです。実際に紙での評価システムを始めてから、一生懸命教えている姿が見られるようになった指導医もいます。
◆全国の医学教育を底上げする
―先程、産婦人科へは1年以内に、他の診療科へは数年以内に普及させたいとお話していました。教育用アプリ「ステップラダーシステム」で目指しているのはどういったことでしょうか?
少なくとも大学病院で働いている全ての医師が、忙しい中でも効率的にきちんとした医学教育を教えられるようになること、つまり医学教育底上げの基盤になったら、と考えています。
例えば、産婦人科領域を大まかに①周産期②生殖医療③婦人科がんに分けたとします。これまでの教育体制だと、周産期が専門の指導医についた医学生や臨床研修医は周産期分野しか学べないということが往々にして起こっていました。それが指導内容の偏りや指導医の負担の差につながり、実習の満足度を左右することになっていました。
このアプリを使えば、医学生や臨床研修医が①周産期②生殖医療③婦人科がんを網羅しなければ、全体の到達度が100%に近づきません。すると担当している指導医は、必然的に自分の専門外である生殖医療や婦人科がんについても教えなければなりません。何回も教えていくうちにどうやったら上手く教えられるのか、医学生や研修医がスムーズにマスターできるようにするにはどうしたらいいのかと、無意識に考え始めるのです。
「ステップラダーシステム」は、教育を受ける側にとって有益であるだけでなく、指導する側が効率的に質の高い教育を提供することにもつながります。そうして全国の医学教育の底上げを図っていきたいと考えています。
(インタビュー・文/coFFeedoctors編集部)※掲載日:2023年10月17日